月曜日は父の激しい転倒から始まった。5時50分、カーテン裏の天窓を閉めようと、父がソファーに乗って手を伸ばして転倒した。近くの使っていないFAXに激突して、FAXは数m吹き飛んだ。父の痛んでいる側の腕の様子がおかしくなった。肩が外れた可能性があった。ベッドの淵に足を下ろして腰掛けさせ、様子を見た。少し落着いたとき、ペットボトルを渡し、蓋をねじる動作を観察した。蒸しタオルを渡して顔を拭く動作を観察し、後から両肩に手を当て、局部に少し力を入れた。父は無頓着に朝食をむさぼってたいたので、デイサービス先の看護師宛てに伝言を添えた。
とにかくやることが派手なのだ。ソファーに登れば落ちる位置も高くなる。衝撃も強くなるので、ソファーの上に着替えの衣類の山をわざと置き、登らないようにしたつもりでいた。甘かった。父は衣類の山を押しのけ、床に落としていたのだった。しかも背筋が寒くなったのは、こだわりの十字ドライバーを持っていたことだった。ドライバーを身体に巻き込んでいたら、大怪我をするところだった。父の大工道具の入った引き出しは、わかっていた。しかし、それを取り上げれば、道具を探しに階段を降りかねなかった。
大工道具の危険性や、ソファーに登る危なさを叱ったが、真横を向いて黙りこくるばかり。最後には、私を無視し、爪を神経質に切り始めるのだった。激しい転倒だったので、母も様子を見に上がってきた。母は洗濯した衣類が床に散乱していることを怒った。しかし、父の容態は二の次、更に横倒しになったFAXのことは眼中に無いのが不思議だった。
しかし、8時半にはヘルパーさんが、階段介助にやって来た。打ち身があるから足元がふらついて、そこにヘルパーさんの激励が入ってしまう。父がムキになると、動かない側の足の踏み外しが出て、崩れ体重が倒れかかる父の身体を全力で支えた。両腕が震えるのが分かった。幸い体位を回復できたが、肝を冷やした。
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10時からは「市会議員と話す会」が、市役所分庁舎のコミュニティホールで開かれた。このとき、Mさんたちは、地元のジョナサンで、自治会の役員さんにご挨拶中。私はどちらに出るか悩んだが、私はことをこじらせかねないので、「話す会」を選んだ。超党派の議員がテーマ別の4つのテーブルに分散した。遅刻して飛び込んだが、「教育」「施設・グループホーム」「医療」「その他1」「その他2」の4つで、私はテーマでは行き場所が無かった。席の空きのある「その他2」に座った。市会の「内田さん」、「松島さん」のテーブルだった。就労支援の関係のことでは、質問が山ほどあったが、「内田さん」「松島さん」ともに、この間の話を話したことがなく、そのグループには聴覚障がいの方が4人参加されており、話の共通項を探すだけで、時間が過ぎてしまった。
ただ、聴覚障がいの方々の手話通訳が公共の場でも、確保に困難があり、それが労使の話し合いの場などは、企業秘密の漏洩を恐れるなど、守秘義務を持つ手話通訳を信用しないための問題が多発しており、それをどう解決するかは、難しい状況にあることがわかった。ともあれ公共サービスが十全に実施されていない件は、市議として早急に調べるとの話あり。
同席した知り合いの自閉症青年の母親の方とは、昼食をご一緒させてもらい、近況をうかがった。B1の方なので、彼の地域の居場所が無い、サポートが無いという方で、最近は暴力傾向が出てきており、彼と再会しようと約束し、その場を終えた。ある精神の会の理事長さんが離れた席にいらした。知人のSさんが紹介してくださったが、朝の父との格闘後遺症から、たちあがるときの痛みがあったため、席に着いたままで失礼してしまった。
父のいるホームのケアマネさんに、ホーム入所手続きの段取りを調整する必要があった。時間に少し間があったので、鶴が台のブックアーチのYさんのお店に立ち寄って用事を済ませた。
とにかく行き先のホームから、帰ってくる父を我が家で16時半には迎えなくてはならない。買物をマラソンの「水の配給地点」の受け渡しのように済ませ、父を迎え、ふたたび海老名巡回。幸い夜間は、父が騒がなかったのが救い。
昼間同席した方の情報サポートをしている。まもなく父の朝食。これから睡眠。午後父の胸部レントゲン撮影。介護タクシーのTさんと病院へ。腕も検査してもらう。
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網膜色素変性症の団体から入手したDAISY版DVDが見つかった。
●「チャネルロドプシンを用いた視角再生の現状と、今後の課題」
講演会記録なのだが、わけ分からん。とにかく眠い。朝食を出したら眠る。
夜間傾聴:******君(仮名)
中延君(仮名・先日は失礼)
(校正2回目済み)
とにかくやることが派手なのだ。ソファーに登れば落ちる位置も高くなる。衝撃も強くなるので、ソファーの上に着替えの衣類の山をわざと置き、登らないようにしたつもりでいた。甘かった。父は衣類の山を押しのけ、床に落としていたのだった。しかも背筋が寒くなったのは、こだわりの十字ドライバーを持っていたことだった。ドライバーを身体に巻き込んでいたら、大怪我をするところだった。父の大工道具の入った引き出しは、わかっていた。しかし、それを取り上げれば、道具を探しに階段を降りかねなかった。
大工道具の危険性や、ソファーに登る危なさを叱ったが、真横を向いて黙りこくるばかり。最後には、私を無視し、爪を神経質に切り始めるのだった。激しい転倒だったので、母も様子を見に上がってきた。母は洗濯した衣類が床に散乱していることを怒った。しかし、父の容態は二の次、更に横倒しになったFAXのことは眼中に無いのが不思議だった。
しかし、8時半にはヘルパーさんが、階段介助にやって来た。打ち身があるから足元がふらついて、そこにヘルパーさんの激励が入ってしまう。父がムキになると、動かない側の足の踏み外しが出て、崩れ体重が倒れかかる父の身体を全力で支えた。両腕が震えるのが分かった。幸い体位を回復できたが、肝を冷やした。
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10時からは「市会議員と話す会」が、市役所分庁舎のコミュニティホールで開かれた。このとき、Mさんたちは、地元のジョナサンで、自治会の役員さんにご挨拶中。私はどちらに出るか悩んだが、私はことをこじらせかねないので、「話す会」を選んだ。超党派の議員がテーマ別の4つのテーブルに分散した。遅刻して飛び込んだが、「教育」「施設・グループホーム」「医療」「その他1」「その他2」の4つで、私はテーマでは行き場所が無かった。席の空きのある「その他2」に座った。市会の「内田さん」、「松島さん」のテーブルだった。就労支援の関係のことでは、質問が山ほどあったが、「内田さん」「松島さん」ともに、この間の話を話したことがなく、そのグループには聴覚障がいの方が4人参加されており、話の共通項を探すだけで、時間が過ぎてしまった。
ただ、聴覚障がいの方々の手話通訳が公共の場でも、確保に困難があり、それが労使の話し合いの場などは、企業秘密の漏洩を恐れるなど、守秘義務を持つ手話通訳を信用しないための問題が多発しており、それをどう解決するかは、難しい状況にあることがわかった。ともあれ公共サービスが十全に実施されていない件は、市議として早急に調べるとの話あり。
同席した知り合いの自閉症青年の母親の方とは、昼食をご一緒させてもらい、近況をうかがった。B1の方なので、彼の地域の居場所が無い、サポートが無いという方で、最近は暴力傾向が出てきており、彼と再会しようと約束し、その場を終えた。ある精神の会の理事長さんが離れた席にいらした。知人のSさんが紹介してくださったが、朝の父との格闘後遺症から、たちあがるときの痛みがあったため、席に着いたままで失礼してしまった。
父のいるホームのケアマネさんに、ホーム入所手続きの段取りを調整する必要があった。時間に少し間があったので、鶴が台のブックアーチのYさんのお店に立ち寄って用事を済ませた。
とにかく行き先のホームから、帰ってくる父を我が家で16時半には迎えなくてはならない。買物をマラソンの「水の配給地点」の受け渡しのように済ませ、父を迎え、ふたたび海老名巡回。幸い夜間は、父が騒がなかったのが救い。
昼間同席した方の情報サポートをしている。まもなく父の朝食。これから睡眠。午後父の胸部レントゲン撮影。介護タクシーのTさんと病院へ。腕も検査してもらう。
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網膜色素変性症の団体から入手したDAISY版DVDが見つかった。
●「チャネルロドプシンを用いた視角再生の現状と、今後の課題」
講演会記録なのだが、わけ分からん。とにかく眠い。朝食を出したら眠る。
夜間傾聴:******君(仮名)
中延君(仮名・先日は失礼)
(校正2回目済み)