湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

「わーく」編集部の今後について/「あすなろ会」にN販売員候補参加/情報のエアポケット

2009-07-23 07:10:01 | 引きこもり
私は市自立就労支援協には三障がい(身体・知的・精神障がい)当事者団体ではないということで、オブザーバ参加や傍聴も許されていない。結局誰からか間接情報を得て動くことになるが、今回は情報収集の暇がないまま、茅ヶ崎養護関連の方の部分情報と、先日の準備会中の参加者の方の発言からの情報から予定を取り違えてしまっていた。社協会場の問い合わせをしたら、ユースボランティアの会合だった。前回、内容が全く異なるふたつの情報があって、すっかり後手になってしまったと感じさせる経過があったので、また拾い落としか、という苛立ちがあった。

話は変わるが、私の夏期講習は授業を行うことではなく、そこに生まれる弾き出される子を受け止める「取り出し個別相談とキャッチアップ」「演習応援と補助授業」という外野の仕事をしている。教室待機や、電話要請にしたがって穴埋めしてくるという、ファームのコーチのような仕事である。だから「待機・備えよ」という時間が増える。本来の外勤講師(巡回屋)に、講習期間、飛び込みの新顔君の対応が加わっていく。待機即応予定が不安定に拘束してくる、そういう期間になる。

教員の予定情報も通勤している者の口情報が運営情報となって、職員会議に出かけたら、もぬけの殻だったり、いつの間にか担当予定の子が切り離されていたりすることが起きる。外回りだから教員間の立ち話が運営を変える内輪の経過から外れてしまう。確認変更が事後承諾だったこともしばしばおきる。こうしたずれを防ぐための非公開掲示板があるが、誰も記入しない。掲示板が必要なのは契約・非常勤講師たちだけだからだ。

これに抗議しても、むしろ誰に情報を聞き出せば情報が確実かを知る方が現実的という困った状況がある。夏期講習のように運営情報が集中する期間では、情報が契約・非常勤講師の頭越しに情報が飛び交っている。そこに更に事件が起こる。

昨日の勘違いも講師情報と同質の会議情報のずれがあった。しかし、一昨日の準備会の議論の質の変化の中にも、私の参加していないところの話が基調になっていくために、議題の前提がどんどんずれていくが、そこを埋めていく説明がなされていないために、どんなに私が準備会上の発言の一貫性を主張しても、意味を成さない空転が生まれていた。

私はこのショップと協働スペースを、障がい者支援活動のなかに生まれてきた就労問題の打開を近未来(現在~4・5年先位)につなげる、いわば時代性を反映させる課題としてあれこれ考えてきた。ところが「いま・ここ」で経過を踏まえてうみだすべきことという共通認識が、実は生まれないことがはっきりしてきた。今までのショップ活動をよりよく運営するアイデアを実現する、その効果を追うところに流れをおく、いわば従来の活動の再生産を基調にしているために、戦略性を失っていることが起きている。構えの違いがずれと対立を生んでしまう齟齬が浮き上がってきた。

私は当事者が運営参加できる集合の場とその展開が、地元住民との協働へと拡張していくという活動する者から発想する。軽度障がいや社会的挫折者のリード展開(サブ・スタッフ化)の手法によって、中・重度の方のインクルージョンやノーマライゼーションを実現するという道を考えた。

ところが従来の事業所展開では、助成金・補助金の法的な枠組みに沿って、入れ物に何人当事者を「受け入れ」ていくかという形を取る。支援者による受け皿作りである。手帳を持つ当事者の相互関係は視野にないし、その方の力を借りることなど世迷言になってしまう。この活動は障がい者生活就労支援活動の中に閉じており、手帳を持たない一般就労との境界線の分野では、実行が当たり前のようなことも、福祉的就労、手帳を持った方の世界では非常識になってしまう恐ろしさがある。

私の関わってきた心病む青年たちは、私の活動に関わってきた有限の若者たちの中でさえ、私の活動年数とほぼ同じ数の方が、自殺や自殺未遂の極限をくぐっている。彼らの虚しさや苦しみを軽度と始末する論は成り立たない。結果が引きこもりや、安易を求めるかのような無業者の姿をとるとしても、障がい者の苦渋比較によって裁かれるような質のものではない。

軽度障がいの方や引きこもり分野では、発症回復の患者の治療=実践のような、医療モデルに押し込んだ能力育成と適材適所への配置を「就労支援」と呼ぶ。しかし、充電量的能力観を基礎とした活動を脱皮する試みが始まっている。しかしその軽度障がい・社会的挫折の分野も、医療モデル以外の実践から学ぼうとしていない。ましてや、障がい者の境界線のところと引きこもり者との重なり部分に至っては、特に発達障がいの視野を媒介に、活動上のつながりがやっと見えてきた段階にある。

つまりお互いが何をしているか、全く知らないし見ようともしてこなかった。就労支援の現場では、K2インターナショナルや、浦河べてる、部分的には世田谷スキップやJHC板橋会、赤い屋根の豆腐引き売りなどにありながら、その実践の当事者性(相互関連)というところに気が付かない。これでは社会にあふれでた社会参画や仕事を必要とする無業者の若者の解決にはつながっていかない。障がい分野に閉じた活動の中身も個々は決して悪いことではないのだが、出来るだけ長い期間雇ってほしい当事者の方を支えることに終わってしまう。次へと連鎖の火を広げていくような活動にはならないだろう。今行われている案は、地元市民交流を生み出したとしても、街に潜在している障がい者が事業所に集まる社会参画活動とは違っている。障がい者が、個々街中では出会っても単独の姿でしか見かけない不可解な状況をどう見るのだろう。重い差別やディスコミを抱えて、当たり前のように市民交流するだろうか。そこには運動の構造の違いが浮き上がるばかりなのだ。

ならば「わーく」という別の種を撒こうと考えた。

平塚の市民活動センターに相談しに行こうと考えた引きこもり青年が、ビジネスビルの2階という環境のために抑圧感を感じ、エレベーターまで足を運んだが、息苦しくなって帰ってきてしまったという話があった。不登校の子が学校の門前で嘔吐までして立ちすくんだ活動初期の頃の光景が浮かぶ。それと類似の事態が事務所側の話の中に出るに至って、この協働スペースに入る必然がなくなったと考えている。

現在の支援活動のように、自宅の深夜、近所の方の抗議を気にしながら活動を続けている限り、本人たちの出会いと交流は生まれないだろう。その意味で出会える事務所は最低限の活動の出発点である。現行の協働スペース論議に、そのまま腰掛けるか立ち去るか、あたかも後から付け足された事態のようにレッテルを貼られ変化していく状況ではあるが、「いま・ここ」で始めるべきことの時代性、その打開を見通す本人活動の育成を分野横断していく機運が、全く地域に感じられないことに正直言って背筋が寒くなっている。

私がなすべきことは、語り続けること。「あすなろ会」ではないが、個別支援を徹底しよう。引きこもり青年となしうる「わーく」を再刊にこぎつけること。まずはここからである。

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昨夜「あすなろ会」の定期連絡会を行った。Big Issue 東京事務所に連絡したことでTさんとつながった新人Nさんが会に参加した。湘南販売の体制の上限となるが、Tさんの誤解を解くためにも必要な人材だと思った。収支の確実性を確保する方策は整った。こちらは、次回の東京の定例会前に佐野代表に会ってもらおうと思っている。大阪の件は資金は私の貯金から、Tさんと二人分の交通費を捻出できた。しかし実行は、東京事務所の方と、もっと話し合ってからにすることに。代表の怒りを買えばTさんの販売の可能性は断たれる。Tさんは前回までの支援者の方への借金返済計画を先方と話し合ってきた。販売再開には協力してもらえるという。販売再開に向けて手紙を作ってもらうことにした。Tさんの信用回復がかかっている。

湘南販売3人目以降は、保管場所等管理の問題がある。当面このふたりの活動を盛り上げていく。

次回は路上にて明日相談。

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今日は、母が眼科検診(眼底正常・かすみ目・視力低下etc.)が私の通っている東京の眼科まで午前中早々に出かける。私は巡回が夜、昼間は父の見張り番。

夜間傾聴:中延君(仮名)
     多摩センター君(仮名)

(校正2回目済み)

コメント
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