湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

協働スペース「夢たいカフェ(仮称)」運営準備会がありました

2009-07-15 13:04:24 | 引きこもり
暑さ負けというより、睡眠不足で昨夜はダウンしてしまった。茅ヶ崎北部のとび職作業場の電話番号と我が家の電話番号が1つ違いで似ているのだが、二十年前にも、間違い電話が続き、最後に父が怪我で病院に運ばれたという連絡に、慌てて病院に駆けつけたら別人だったという問題が起きたため、先方が電話をかけてくる関係者に番号注意を徹底するという約束が出来て、それ以降は年数回位の間違い回数の範囲に収まっていた。その番号違いがここ4・5日連続していた。

朝の6・7時台は、朝型の方には、仕事始めの当たり前の時間だが、私は6時に寝る。デイサービスの日は8時に起きて父を送りだして、9時すぎにまた寝る。*辺さんという年配の方なのだが、毎回2回ずつ間違えて電話を掛けてくる。この方、二十年前にも間違えて掛けてきた方なので、相当年配の方だと思う。説明してやめさせようとすると、すみませんの嵐で話を聞かずに切ってしまう。やむなく作業所に何回も電話をかけて、先方がいらしたときに、*辺さんの話をして、やめるように対策を打ってもらっていた。

この時間、母の関係の連絡が入る。ところが私の生活が6時就寝に変わってから、母のほうから連絡を入れるようにして、電話を鳴らさないようにしているが応答が入ってしまうこともある。知人の元塾の関係者の危機連絡がたまに入ることがあるので、はずすわけにもいかないし、カチリと音がしても、もしやと目が覚めてしまう。すると*辺さんの「**さん?」という大きな声がする。

そんなわけで、今朝は「*辺さんに、言っておきましたから!」という同じ時刻の電話が作業所からかかってきた。何もわかっていないのだ。傾聴用の携帯や、私専用の仕事の電話は、この時間切ってあるが、母の体調が悪いとき、家庭用電話の子機を枕元に持ってくる。そんなときに限って間違い電話が来る。

母に聞くと、「*辺」さんの間違い電話はしょっちゅうかかってきていたという。私は知らなかっただけのようで、もう子機を預かることは、やめるが、このわからなさ、修正の効かなさは、驚異である。

電話番号違いを二十年間続けてきた猛者ということになる。こういう話題は電子メディアでは危険で、すぐに真似をする暇な人がでてくるので、母に伝えておいた。母も技術革新とやらで、メールを使えるようになっているので、朝型の相手とはメールにすると言っていたので、あしからず。

自分が間違ったとき、何をどう間違ったのかという捕らえ返しがないと、ひとは学ばないという例だ。

一息で飲めるようにプラスチックキャップにまとめた錠剤を、父は必ず掌に開けて口に放り込む。掌は両手とも巧緻動作が鈍っており、片手は掌は旋回は出来ても握ることが俊敏に出来ず、しっかり握れない。だから錠剤をこぼしてしまう。これをやめさせようと数年がかりで取り組んでいるが、かけらも直さない。こうした困った習性を変えるという事は至難の業だ。

目をあけたら7時50分だった。腹の下にヴェルナーの「ベーシック・イン・カム」を挟んで、マウスに手を掛けて眠っていた。PCはスタンバイに。

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昨日は夢たいカフェ準備会があった。父が出発直前に排便したので母が排便バケツをすぐに処理してくれと言い出し、バスが1本20分遅れた。茅ヶ崎には売っていない「介護作業用シート」を平塚に買いに出て、図書館で書籍の更新、さあ帰りのバスが来ない。上り電車が出たばかりと、遅れは50分に拡がって、準備会には30数分遅刻した。

翔の会の**さんが、たい焼き修行第一陣として昨夜戻ってきていた。いろいろ大変だったようだ。障がい者へのスキルの橋渡し役なので、泡が「このくらい」立ったらとか、こげが「この位」という見立ての部分を翻訳しなければならないし、接客と作業という併行作業をどう切り分けるかなど、修行して逆に困難が見えてしんどいという話があった。そのとおりだと思う。この辺はジョブコーチの応援もいる場面があるかもしれない。

小箱ショップの話は、スタートまでのタイムチャート作り。そして会合に使う多目的スペースの設計上の話。ここで私の狙いとMさんたちの狙いの違いが一層浮き上がってきたように思う。

私は就労支援の要は「本人活動」をどう育てるかというところにあると思っている。従来のハローワークや特別支援校(旧養護学校)で行われている適材配置主義の場合、彼らの相互の影響力は二の次に追いやられてしまう。健常者の庇護の範囲の中で配置される存在になっている。仕事の場面で局面解決を通して社会性も育ち、仕事自身は習得されるものと固定されてしまう。

この形は今までの小規模作業所などの作り方を踏襲していて、なぜいま就労支援が問題になっているのかという時代認識が、自立支援法移行の事業所の経営危機というところだけに立脚しているために、インクルージョン的な視点は努力目標に落ち込んでしまう。

客層が地域の主婦層と考え、その交流を狙っていく。そうすると本人達の合流の場は、ドットコムのようなアフター5の喫茶交流のような、互いを結んでいく実践抜きのフリートークに委ねられ、本人活動の芽は彼方に送られてしまう。常識的なショップ作りだけに、なぜ・いま・地域就労支援なのかという戦略が違っているのがありありとわかるのだ。本人活動は段階を追っての課題と説明されているが、既に構造的な配置すら、純粋喫茶型になっていくのをただ見ている状態。

これは自分が関わってきた障がい者の様子の違い、例えば軽度発達障がい・ダウン症・MR・社会的挫折者の側から中度・重度の障がいの方のリンクを求めている私と、知的障がいの作業所通所の具体的な人物配置イメージの方や、精神の中高年の方の仕事作りから入っている方などでは、相互関係というより受け皿に関心が行ってしまう。その職場で熟達していくことや、経営が順調になることで、抱えられる人員の拡張を狙うという事になる。私のように、ネットワーキング手法で公共的なニーズに基づいて、短期起業を重ねたり、地域企業と関係付けたりしながら、仕事の場面で地域浸透を狙っていく「生涯の生活圏の人の輪の中へ」という当人自身が運営参加していくようなグループの形成は視野にはいってこない。構造が違うからだ。

事務所スペースと、喫茶風スペースからスタートしていくが、これでは若者は来ない。イベントを軽視しているからだ。主婦層をスペースにという昼間と、アフター5の切り替えを考えても、閉店後の小箱管理の難しさや、店舗運営時間とのせめぎあい(19時まで開業)があって、定休日の平日しかからっぽになる時が無い。駅から15分、交通手段は持っているとしても、磁場としての魅力が無いところに若者は来ない。

運営準備会の席上では、プロジェクタを天井常設の作り置きにして欲しいとの私の要望と、使用頻度・予算圧迫の反論が交わされた。画像・インターネットは障がい者には無理と、PC操作と混乱して反論がなされたりプロジェクタは、その場に持ち込めばいいという論があった。狭いところで半畳ほどの画面に映し出す場合、
店舗の動線と重なっている場合、映写光をまたいだり、電源の線に足をひっかけたりと危ういことが起きる。天井に乗せる柱と固定スクリーンを作り置いてくれれば、映画上映やTV会議・旅行企画の先方の様子画像の掲示など利用範囲は拡がっていく。開店後に工事して柱を立てたり吊るしたりよりは、構造的な部分は先に作るべきという主張と、不要という論がぶつかり、用不要は事例を挙げても水掛け論に終わることで、口をつぐんだ。それはこれだけでなく、戦略的なところから時代を抱えるか、従来の方法改善で地域市民交流を狙うかの違いが潜んでいるからだ。就労支援といっても、アプローチの差は「本人活動の育成」というその点にある。現在の範囲で、何ができるか、思案は続く。

夜間傾聴:******君(仮名・親御さん)

p.s. 昨夜Tさんの寝床で、Tさんと連絡が付く。今夜会うことに。


(校正2回目済み)
コメント
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