2012/11/01 記
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県保健福祉局総務課の協力を得て、茅ヶ崎保健福祉事務所が講師選択に動き出してくれた。被災地支援に出来るだけ長い期間関わった保健師・看護師・福祉士さんたちに、地域医療介護福祉の視点からの支援経験から、必要な課題を抽出して懇談する場となる。災害対策支援活動の関係者の勉強会のような会合である。一般公開としないのは、現在の災害ボランティア活動が、篤志家の活動意欲に委ねられつつある現状を解析し、社会活動の力学に乗せなおすという作業を孕むため、啓蒙的な目的とは異質と思われるからだ。経験の交流から横断的な活動、ネットワーキングの活動を浮かび上がらせたいと願うからだ。
例えば被災者の皆さんを元気付けるために、バンド演奏を届けたという活動、これも立派な支援活動に違いない。しかし、頑張って環境整備や就労活動をしていても、また自宅や店の再建をしようにも、二重ローンや、子どもの進学、親の介護などの課題が山積して、現状からなかなか抜け出せないという悩み、家族・親族の死の悲しみが、いくら頑張っても、ひとりになったとき、心の隙間から悲しみが滲み出してしまうというような直接の訴えに、なぜノータッチでいるのだろう。高齢のために福島の除染活動と町再建の構想を聞いても、その実現の長さから、支援から取り残されてしまう方の生活再建の手助けをと、誰も動き出さないのだろう。
善意を届けるのが市民活動というとき、受け取る側の方は彼岸にいる。交流を言ったとき、言う非被災地の私たちは何が変わったというのだろう。施しを市民活動というのだろうか。私たちの同時代に生きている生活への共感を基礎に活動を語れないのだろうか。大きくは「いつか我が身」の論理がある。個別には、生涯かけて築いた物や成果が一瞬のうちに打ち砕かれたことへの悔しさや、それを誘導した人災への怒り、善意の判断が生死の分かれ目となったり、逃げる力なく津波に飲まれてしまった身内のひとへの悲しみなど、元気の底が抜けている状況に寄り添う活動がなぜ出てこないのか。
もしそれが実家の身内の出来事だったとき、プライバシーの壁に安穏としていますか。それは施しではないでしょう。そういうところまで、もっと支援経験を抽出していったとき、彼岸の構造から脱していくのだと思う。その深みをまずは、被災地の支援経験を吟味するところから、見てみようという方法論に立っている。支援者の私もまた変わる、そのことへの自覚の上にありたい。
一方、生活支援に入っていったとき、それは行政専門職の活動や、医師などの専門家の活動になるというドグマ、これも疑うべきだろう。専門職活動の外周に成り立つ活動が、まだ姿を明らかにしていない。その大半は現地訪問活動の中にあるだろうが、非被災地の活動、特に防災活動と関連を持った活動がありうる。私たちもまた有閑生活を送っているわけではないからこそ、つながれる道があるはずだ。被災時それは、物資提供や募金カンパの姿を取ったが、被災者の声を確実に受けとめていく活動、必要な方へとつないでいく活動などは、オンライン上では既に始まっている。
そうした活動の鳥瞰的な議論もありうるが、経験してきた場面の中の避難所生活の様々な出来事の世界の向こうに見える普遍性のことなどを場面丸ごと語る議論もある。この後者の議論をセミナーが担いたいと願っている。支援の谷間に落ちてしまうマイノリティーの課題(実は皆の課題なのだが)、災害時要援護者の支援の課題をまずは、論じ合っていく、そういう場にしていきます。
講師と会場が決まり次第、呼びかけに動き出します。参加協力してください。
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夜間傾聴:なし
(校正2回目済み)
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県保健福祉局総務課の協力を得て、茅ヶ崎保健福祉事務所が講師選択に動き出してくれた。被災地支援に出来るだけ長い期間関わった保健師・看護師・福祉士さんたちに、地域医療介護福祉の視点からの支援経験から、必要な課題を抽出して懇談する場となる。災害対策支援活動の関係者の勉強会のような会合である。一般公開としないのは、現在の災害ボランティア活動が、篤志家の活動意欲に委ねられつつある現状を解析し、社会活動の力学に乗せなおすという作業を孕むため、啓蒙的な目的とは異質と思われるからだ。経験の交流から横断的な活動、ネットワーキングの活動を浮かび上がらせたいと願うからだ。
例えば被災者の皆さんを元気付けるために、バンド演奏を届けたという活動、これも立派な支援活動に違いない。しかし、頑張って環境整備や就労活動をしていても、また自宅や店の再建をしようにも、二重ローンや、子どもの進学、親の介護などの課題が山積して、現状からなかなか抜け出せないという悩み、家族・親族の死の悲しみが、いくら頑張っても、ひとりになったとき、心の隙間から悲しみが滲み出してしまうというような直接の訴えに、なぜノータッチでいるのだろう。高齢のために福島の除染活動と町再建の構想を聞いても、その実現の長さから、支援から取り残されてしまう方の生活再建の手助けをと、誰も動き出さないのだろう。
善意を届けるのが市民活動というとき、受け取る側の方は彼岸にいる。交流を言ったとき、言う非被災地の私たちは何が変わったというのだろう。施しを市民活動というのだろうか。私たちの同時代に生きている生活への共感を基礎に活動を語れないのだろうか。大きくは「いつか我が身」の論理がある。個別には、生涯かけて築いた物や成果が一瞬のうちに打ち砕かれたことへの悔しさや、それを誘導した人災への怒り、善意の判断が生死の分かれ目となったり、逃げる力なく津波に飲まれてしまった身内のひとへの悲しみなど、元気の底が抜けている状況に寄り添う活動がなぜ出てこないのか。
もしそれが実家の身内の出来事だったとき、プライバシーの壁に安穏としていますか。それは施しではないでしょう。そういうところまで、もっと支援経験を抽出していったとき、彼岸の構造から脱していくのだと思う。その深みをまずは、被災地の支援経験を吟味するところから、見てみようという方法論に立っている。支援者の私もまた変わる、そのことへの自覚の上にありたい。
一方、生活支援に入っていったとき、それは行政専門職の活動や、医師などの専門家の活動になるというドグマ、これも疑うべきだろう。専門職活動の外周に成り立つ活動が、まだ姿を明らかにしていない。その大半は現地訪問活動の中にあるだろうが、非被災地の活動、特に防災活動と関連を持った活動がありうる。私たちもまた有閑生活を送っているわけではないからこそ、つながれる道があるはずだ。被災時それは、物資提供や募金カンパの姿を取ったが、被災者の声を確実に受けとめていく活動、必要な方へとつないでいく活動などは、オンライン上では既に始まっている。
そうした活動の鳥瞰的な議論もありうるが、経験してきた場面の中の避難所生活の様々な出来事の世界の向こうに見える普遍性のことなどを場面丸ごと語る議論もある。この後者の議論をセミナーが担いたいと願っている。支援の谷間に落ちてしまうマイノリティーの課題(実は皆の課題なのだが)、災害時要援護者の支援の課題をまずは、論じ合っていく、そういう場にしていきます。
講師と会場が決まり次第、呼びかけに動き出します。参加協力してください。
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夜間傾聴:なし
(校正2回目済み)