目の調子が悪く、夜中父がポータブルトイレをまた深夜に修理しようとして阻止し、書き込みが出来なかった。いつもなら何のと集中できたのだが、霞む目に気後れして、運営実のMLへのレポートを書き送ったところで気力が切れ、書き込めなかった。もうしわけない。
右目の調子が悪い。朝、起きたてからしばらくは、視力が出ないのだ。父の朝食を作る8時ごろになると霞が少し消えて、焦点を合わせることが出来る様になる。事情を東京のクリニックのセンターに電話連絡して、割り込ませてもらった。昼間は半月前ごろと変わりないところまで戻ったが、眠りから覚めてしばらくの間、右目は点眼薬を注して、回復を待たないと焦点が合わせられないというか、全体が霞んでいるのだ。数分の出来事だがやはり変。PCの長文読み書きも片目をつぶりたくなるときがしばしば。ヒアルロン酸点眼薬を注すと回復する。
クリニックは、担当医の院長は予約が全然だめで、私は若い緑内障専門医が臨時に担当。指定時刻に飛び込んだら、すぐに診察してくれた。ただあくまでもつなぎのようで、従来の薬を処方するための診察の印象。地元の医師が処方したアレルギー用の薬のことは、要領を得なかった。結局、霞んだときの点眼薬を出しただけで、地元の医師が出した薬と時間をずらせば併用は構わないという。地元の実費診療は、やはり救急のときだけにしたいお値段。
いつもなら帰り道に本屋の梯子をやるのだが、さすがに目だとそうもいかない。まっすぐ辻堂に戻った。金曜日の夜は、茅ヶ崎市役所内の障がい者の協働喫茶(通称ドット・コム)が年数回、地元関係者の顔合わせのイベントを市行政との官民協働企画で行っている。「市民カフェ」と呼んでいるが、地元の協力網作りの顔合わせである。ここに参加予定だったが、少し間があったので一旦自宅に戻ったのがいけなかった。
いつの間にか母が買物にでかけ、足止め。父は元気が無いが、歩き回っての転倒のような派手な立ち回りではなくて、ベッドからずり落ちて自力で戻ることが出来なかったり、排尿が間に合わなかったりと、いつものような派手さはないが、それはそれで困ったことがおきた。
木曜日にショートステイから帰ってきたときの報告日誌には、「夜間14~15回の立ち歩きあり。宿直がベッドに戻すが、言う事を聞いてくれない。歩行が危ない状態なので、家族から説得して下さい」とあった。
父がいじめた亡き祖母が愛用していた竹製の孫の手を、父は無神経に奪って使っているのだが、この孫の手を布団をはたくように椅子を苛々とはたくのだった。そして排便。母が帰るまで目を離せなかった。幸いぎりぎりに母が戻ってきたので、夕食を駆け足で途中、駅ビルで済ませて、市役所に飛び込んだ。目の調子がわるいと、表情が歪む。片目を閉じたくなったり、眉間に皺が寄ったりと。
知り合いに会釈を繰返した頭を上げると片目をつむっているのだから、変に思われるのは仕方が無いだろう。
カフェは50名ほどで、喫茶スペースは満員。当事者の元気のいい挨拶の最中、発言者のすぐそばに市長がうなづいていた。すぐに立食パーティに切り替わり、福祉車両の販売業者さんや、市長に挨拶をしてきた。協働スペースのカフェが誕生すれば、要望を携えて市長室にお邪魔することが増えるので、その辺の事情を話した。これからの一年、茅ヶ崎市の障がい者就労の状況は大きく動く。大事な時期に入ってくる。
最後に三浦展 氏の著書「商店街再生計画~大学とのコラボでよみがえれ!」を紹介した。街づくりのヒントが豊富なのだ。
昨日は、横浜では、よこはまCbsmiles(事業主体:NPO法人市民セクターよこはま)主催の「障がいのある人の働き方を考えませんか?地域作業所報酬UPを考えるワーキンググループ」が行われていた。じわりと類似の活動が拡がって来たことを感じている。
------
一昨日の6/25(木)の夜、協働スペースの運営実を開いた。7月上旬にたい焼きチェーンの研修が始まり、茅ヶ崎の事業所グループ「翔の会」の担当者2名が参加する。
秋口からは、横浜の小箱ショップのカフェ研修が始まる。10月オープンだとすると、よほどタイムチャートをしっかり作って動かないと開店に間に合わない。そういう状況にあるのは、わかるのだが、私にはこの活動の作り方が従来の事業所の立ち上げ方を質的にも踏襲していることが気になっている。事業所の申請や助成金の制約もある。しかし、事業所自体が準備する受け皿に何人かを駆け込むという形には、実績はあるが地域の中の機能の意味合いは放置されてしまう。質的にも地域起業を育てる発信基地的な役割を含ませる必要を感じている。私は本人活動を生み出していく「ケア・パートナー制」(メンター制の徹したもの)を動かしうる就労形態を考えている。受け皿作りから、育成型へのシステム的拡張の流れ作りを行うのだ。ショップ待ちうけ型がたい焼き屋さんのような製造業のように経験伝授・協業を含む場合は接点が持ちうるが、同型の生産型であって、様々な形の原形にはなりにくい。小箱ショップでは仕入れ販売活動となるが、そこは個人の資質が大きく影響するため、経験共有がしにくい。つまり、たい焼き展開と小箱展開の合流部分、接客活動部分に変容可能性がある。しかし起業生成の契機は意思的な束ねがないと消えてしまうだろう。この意味で、私は「物と仕事」の「配達業」にこだわりたいと思う。別名「御用聞きシステム」の展開だ。社会的企業と地域融合、知り合いネットワークへの仕事を媒介とした障がい者の組み込みである。それを進めるために「ケア・パートナー」を置くのだ。
運営実は、小箱ショップ主導者のふたりが後から合流したので、まずは見通しの部分や、各人が期待する活動の内容を語る形で前半は推移した。
しかし、旧養護学校卒業生に寄り添ってきた方の考えと、一般就労から脱落するような精神障がいと社会的挫折・軽度発達障がい畑から、障がい者就労の脱皮とゲタを履かせる考えとはイメージがまだまだ違っていることを感じた話し合いだった。
後半の小箱ショップが、より広範な層を獲得するために、どのようなターゲットを持つか、その共有空間をどう活かしていくのかという基本線について、7月早々の設計図完成までに、話し合っておかなくてはならない。例えば自由な会合を行う空間に、固定型の椅子が入ってしまうと、空間が死んでしまう。議論はあとでというわけにもいかないのだ。
きつくても、少々連続して行うことになった。次回は6/30の19時から、茅ヶ崎サポセンで話し合う。興味のある方、参加可能。
夜間傾聴:******君(仮名・一昨日)
小田急相模原君(仮名・昨日)
□□君(仮名・昨日)
(校正1回目済み)
右目の調子が悪い。朝、起きたてからしばらくは、視力が出ないのだ。父の朝食を作る8時ごろになると霞が少し消えて、焦点を合わせることが出来る様になる。事情を東京のクリニックのセンターに電話連絡して、割り込ませてもらった。昼間は半月前ごろと変わりないところまで戻ったが、眠りから覚めてしばらくの間、右目は点眼薬を注して、回復を待たないと焦点が合わせられないというか、全体が霞んでいるのだ。数分の出来事だがやはり変。PCの長文読み書きも片目をつぶりたくなるときがしばしば。ヒアルロン酸点眼薬を注すと回復する。
クリニックは、担当医の院長は予約が全然だめで、私は若い緑内障専門医が臨時に担当。指定時刻に飛び込んだら、すぐに診察してくれた。ただあくまでもつなぎのようで、従来の薬を処方するための診察の印象。地元の医師が処方したアレルギー用の薬のことは、要領を得なかった。結局、霞んだときの点眼薬を出しただけで、地元の医師が出した薬と時間をずらせば併用は構わないという。地元の実費診療は、やはり救急のときだけにしたいお値段。
いつもなら帰り道に本屋の梯子をやるのだが、さすがに目だとそうもいかない。まっすぐ辻堂に戻った。金曜日の夜は、茅ヶ崎市役所内の障がい者の協働喫茶(通称ドット・コム)が年数回、地元関係者の顔合わせのイベントを市行政との官民協働企画で行っている。「市民カフェ」と呼んでいるが、地元の協力網作りの顔合わせである。ここに参加予定だったが、少し間があったので一旦自宅に戻ったのがいけなかった。
いつの間にか母が買物にでかけ、足止め。父は元気が無いが、歩き回っての転倒のような派手な立ち回りではなくて、ベッドからずり落ちて自力で戻ることが出来なかったり、排尿が間に合わなかったりと、いつものような派手さはないが、それはそれで困ったことがおきた。
木曜日にショートステイから帰ってきたときの報告日誌には、「夜間14~15回の立ち歩きあり。宿直がベッドに戻すが、言う事を聞いてくれない。歩行が危ない状態なので、家族から説得して下さい」とあった。
父がいじめた亡き祖母が愛用していた竹製の孫の手を、父は無神経に奪って使っているのだが、この孫の手を布団をはたくように椅子を苛々とはたくのだった。そして排便。母が帰るまで目を離せなかった。幸いぎりぎりに母が戻ってきたので、夕食を駆け足で途中、駅ビルで済ませて、市役所に飛び込んだ。目の調子がわるいと、表情が歪む。片目を閉じたくなったり、眉間に皺が寄ったりと。
知り合いに会釈を繰返した頭を上げると片目をつむっているのだから、変に思われるのは仕方が無いだろう。
カフェは50名ほどで、喫茶スペースは満員。当事者の元気のいい挨拶の最中、発言者のすぐそばに市長がうなづいていた。すぐに立食パーティに切り替わり、福祉車両の販売業者さんや、市長に挨拶をしてきた。協働スペースのカフェが誕生すれば、要望を携えて市長室にお邪魔することが増えるので、その辺の事情を話した。これからの一年、茅ヶ崎市の障がい者就労の状況は大きく動く。大事な時期に入ってくる。
最後に三浦展 氏の著書「商店街再生計画~大学とのコラボでよみがえれ!」を紹介した。街づくりのヒントが豊富なのだ。
昨日は、横浜では、よこはまCbsmiles(事業主体:NPO法人市民セクターよこはま)主催の「障がいのある人の働き方を考えませんか?地域作業所報酬UPを考えるワーキンググループ」が行われていた。じわりと類似の活動が拡がって来たことを感じている。
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一昨日の6/25(木)の夜、協働スペースの運営実を開いた。7月上旬にたい焼きチェーンの研修が始まり、茅ヶ崎の事業所グループ「翔の会」の担当者2名が参加する。
秋口からは、横浜の小箱ショップのカフェ研修が始まる。10月オープンだとすると、よほどタイムチャートをしっかり作って動かないと開店に間に合わない。そういう状況にあるのは、わかるのだが、私にはこの活動の作り方が従来の事業所の立ち上げ方を質的にも踏襲していることが気になっている。事業所の申請や助成金の制約もある。しかし、事業所自体が準備する受け皿に何人かを駆け込むという形には、実績はあるが地域の中の機能の意味合いは放置されてしまう。質的にも地域起業を育てる発信基地的な役割を含ませる必要を感じている。私は本人活動を生み出していく「ケア・パートナー制」(メンター制の徹したもの)を動かしうる就労形態を考えている。受け皿作りから、育成型へのシステム的拡張の流れ作りを行うのだ。ショップ待ちうけ型がたい焼き屋さんのような製造業のように経験伝授・協業を含む場合は接点が持ちうるが、同型の生産型であって、様々な形の原形にはなりにくい。小箱ショップでは仕入れ販売活動となるが、そこは個人の資質が大きく影響するため、経験共有がしにくい。つまり、たい焼き展開と小箱展開の合流部分、接客活動部分に変容可能性がある。しかし起業生成の契機は意思的な束ねがないと消えてしまうだろう。この意味で、私は「物と仕事」の「配達業」にこだわりたいと思う。別名「御用聞きシステム」の展開だ。社会的企業と地域融合、知り合いネットワークへの仕事を媒介とした障がい者の組み込みである。それを進めるために「ケア・パートナー」を置くのだ。
運営実は、小箱ショップ主導者のふたりが後から合流したので、まずは見通しの部分や、各人が期待する活動の内容を語る形で前半は推移した。
しかし、旧養護学校卒業生に寄り添ってきた方の考えと、一般就労から脱落するような精神障がいと社会的挫折・軽度発達障がい畑から、障がい者就労の脱皮とゲタを履かせる考えとはイメージがまだまだ違っていることを感じた話し合いだった。
後半の小箱ショップが、より広範な層を獲得するために、どのようなターゲットを持つか、その共有空間をどう活かしていくのかという基本線について、7月早々の設計図完成までに、話し合っておかなくてはならない。例えば自由な会合を行う空間に、固定型の椅子が入ってしまうと、空間が死んでしまう。議論はあとでというわけにもいかないのだ。
きつくても、少々連続して行うことになった。次回は6/30の19時から、茅ヶ崎サポセンで話し合う。興味のある方、参加可能。
夜間傾聴:******君(仮名・一昨日)
小田急相模原君(仮名・昨日)
□□君(仮名・昨日)
(校正1回目済み)