2020/11/14 記
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コロナ第三波の東京に出かける気がしれないと、浜見平の##さんに、チクリと突かれつつ、母のお守りを頼んできたが、頭が上がらない。
教材屋の話は、オンライン教育の画面や掲示物の作成バイトの件だろう。しかし、悲しいことに気がついてしまった。視野が狭まっているうえに、みえるところが、まだら。バランスの良い画面が作れないのだ。P.P.を使ってなんとかという状態。売り物にはならない。この前は色相表の隣り合う青のバックの境目がわからなかった。ぽんこつだなと思う。
知識の伝達に偏する教材はじゅぎょうのかわりにはならない。互いに検討し合う、練る過程が補償されていないからだ。授業経験がないと、いかにわかりやすく教え込むかという発想にながされてしまう。しかし、ここをうるさく言ってきたが、価値がつたわるかなあと思う。明日は進退伺いかなと、覚悟している。
トーベ•ヤンソンの未翻訳絵本を##さんのみやげにすることにした。豪徳寺の旧友宅は、お見舞い。顔出しだけ。みやげをどうするか。
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帰りに石川町で、ビッグイシューの買い取りをする。浜見平19時ごろかなと。
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11/14
80年代後半のバブル期。私は学校外の理系フィールドワークの学びを塾の実験として積みあげていた。不登校の子のなかに、キノコの研究者や、スワヒリ語の通訳者、服飾デザイナーなどの先達がではじめていた。いわゆるオタク開拓でもあった。知の世界のファーストフードのような実践、平塚博物館や、横浜国大、理科大の研究者のたまごの協力をいただいた。
不登校の子の中には、LDという認知の偏りからずっと学校の中では、疎外されていた。詳細は次回にゆずる。
(つづく)