夏期講習のテキスト改訂版がドカッと送られてきた。今までは取りに行っていたから、その辺が楽になったというか、まあ、授業手伝いの隠居仕事なので気が楽なのではあるが…。今年はある子育て団体の夏季合宿が三浦で行われるために、「海のワークショップ」を一日任されている。教科枠を超えて3グループ12名の小3~6と、3名の新人講師グループを担当する。私は植物が苦手なので、国立市の私学教員+さんに応援をお願いした。
内容は昔、自分の塾で行っていた様式の探究型の授業展開だが、様子が違うのは参加する子ども全員が、軽度発達障害をかかえていること。12名のお子さん全員に親御さんが別個同行する。私に協力してくれる代表のPさんは、もと小学校教員なので、現場でいま生まれているまなびについて、参与観察してもらう。発達のミクロな生成場面を切り取ってもらうことにした。その夜、大人たちでビデオ映像を見ながら新人研修を兼ねて語り合う。なにやら偉そうだが、要は彼らなりの学びがどのような特性を持っているか、支援者の経験を束ねることが大事なことなのだ。私は所詮野次馬である。
これが今年の私にとっての夏休み期間の楽しみになった。以前ならば、塾を腰掛け(フリースペースとまでは、いかない場)にしている引きこもり青年が。はれのスタッフとして活躍する場だったが、今はそういうスタッフになれるメンバーがいないのが残念。
考えてみると、私が提案している「ケア・パートナー」制の発想の元は、こうした総合学習的なまなびの場や障害児者親の会企画支援の彼らの活躍の姿だった。通説ではこうした探究型は軽度発達障害の子が一番不得手とする形ということになっている。ここにいくつかの結節点の仕掛けを置いて、違いをみてもらうことにする。
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今年の夏期講習は、夜間にしてもらった。そうしたら大幅にコマ数が減ってしまった。今月は「わーく」の雛形を定型化したいし、PJのオンライン空間を誕生させたい。それが優先。幸か不幸か、今年度は8/8・9の高卒資格認定試験受験者受験対象者が秋の受験希望者ばかりで、いないから、時間に自由がきく。そのかわり巡回の子たちに夜間は自由に使えなくなる。そこをどう調整するかが思案のしどころなのだ。しかし、突然だが養護学校が休みの間、Uさんたちはお子さんたちをどうするのだろう。
8月の初め、私は精神ではなく知的のほうのガイドヘルパー研修をうけるつもりだ。定員で断られなければいいのだが。カウンセリングもどきばかりやっているのでは、役にしない。臨機応変さを身につけたいのだ。
また亡き*君が入寮を決めていた千葉県旭市の海上寮を目に焼き付けておきたい。二度とこの悲劇を繰り返さないためにも、外側からだけでも見ておきたいと思う。
昨年12月から中途半端になっていた「わーく」の全体像を冊子にまとめたい。新書化の話も立ち消えになっていた。
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今、Wさんへのメールを書いている。PJ勧誘のラブレターなのだが、空転を生むこの壁がなぜ生まれたのかを考えている。どうやら、ふたつあるのだ。ひとつは大きな枠組みの問題・もうひとつは無理強いの結果の私の個人にかかる歪みの壁だ。
前者は引きこもりの課題の取り組みの舞台の違いのことだ。不登校から派生した引きこもりの課題は、学校復帰を中心とした「教育の課題」として取り組まれてきたために、教委・県民部青少年課という枠の中で、取り上げられ方が閉じていたということなのだ。障害児者の諸活動が保健福祉部管轄だったために、課題に潜む自閉症スペクトラムの問題や、二次障害の精神疾患の課題は、スクールカウンセラーや保健所が接木的に受け止めてきた。精神障害が保健福祉部の管轄であるのに、扱いが別個だったということなのだ。不登校・引きこもりの支援活動に影響を受けながらLDから登場してきた軽度発達障害の諸活動も、不登校・引きこもり支援に関連付けた活動になっていかなかった。行政の縦割りの支援が、活動自身を裂いているのだ。
私は引きこもりの青年たちの就労支援活動を始めて、二重の問題に直面した。ひとつは、就労は「企業枠に参加するプライベートな求職活動への支援だ」という観点の限界。もうひとつは、福祉的就労と一般就労を別世界とする常識の問題だった。
(つづく)
夜間傾聴:大森君(仮名)
沼津の伊勢原君(仮名)<こちらから電話
仕事:Wさんへのメール完成
etc.
(校正2回目済)
内容は昔、自分の塾で行っていた様式の探究型の授業展開だが、様子が違うのは参加する子ども全員が、軽度発達障害をかかえていること。12名のお子さん全員に親御さんが別個同行する。私に協力してくれる代表のPさんは、もと小学校教員なので、現場でいま生まれているまなびについて、参与観察してもらう。発達のミクロな生成場面を切り取ってもらうことにした。その夜、大人たちでビデオ映像を見ながら新人研修を兼ねて語り合う。なにやら偉そうだが、要は彼らなりの学びがどのような特性を持っているか、支援者の経験を束ねることが大事なことなのだ。私は所詮野次馬である。
これが今年の私にとっての夏休み期間の楽しみになった。以前ならば、塾を腰掛け(フリースペースとまでは、いかない場)にしている引きこもり青年が。はれのスタッフとして活躍する場だったが、今はそういうスタッフになれるメンバーがいないのが残念。
考えてみると、私が提案している「ケア・パートナー」制の発想の元は、こうした総合学習的なまなびの場や障害児者親の会企画支援の彼らの活躍の姿だった。通説ではこうした探究型は軽度発達障害の子が一番不得手とする形ということになっている。ここにいくつかの結節点の仕掛けを置いて、違いをみてもらうことにする。
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今年の夏期講習は、夜間にしてもらった。そうしたら大幅にコマ数が減ってしまった。今月は「わーく」の雛形を定型化したいし、PJのオンライン空間を誕生させたい。それが優先。幸か不幸か、今年度は8/8・9の高卒資格認定試験受験者受験対象者が秋の受験希望者ばかりで、いないから、時間に自由がきく。そのかわり巡回の子たちに夜間は自由に使えなくなる。そこをどう調整するかが思案のしどころなのだ。しかし、突然だが養護学校が休みの間、Uさんたちはお子さんたちをどうするのだろう。
8月の初め、私は精神ではなく知的のほうのガイドヘルパー研修をうけるつもりだ。定員で断られなければいいのだが。カウンセリングもどきばかりやっているのでは、役にしない。臨機応変さを身につけたいのだ。
また亡き*君が入寮を決めていた千葉県旭市の海上寮を目に焼き付けておきたい。二度とこの悲劇を繰り返さないためにも、外側からだけでも見ておきたいと思う。
昨年12月から中途半端になっていた「わーく」の全体像を冊子にまとめたい。新書化の話も立ち消えになっていた。
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今、Wさんへのメールを書いている。PJ勧誘のラブレターなのだが、空転を生むこの壁がなぜ生まれたのかを考えている。どうやら、ふたつあるのだ。ひとつは大きな枠組みの問題・もうひとつは無理強いの結果の私の個人にかかる歪みの壁だ。
前者は引きこもりの課題の取り組みの舞台の違いのことだ。不登校から派生した引きこもりの課題は、学校復帰を中心とした「教育の課題」として取り組まれてきたために、教委・県民部青少年課という枠の中で、取り上げられ方が閉じていたということなのだ。障害児者の諸活動が保健福祉部管轄だったために、課題に潜む自閉症スペクトラムの問題や、二次障害の精神疾患の課題は、スクールカウンセラーや保健所が接木的に受け止めてきた。精神障害が保健福祉部の管轄であるのに、扱いが別個だったということなのだ。不登校・引きこもりの支援活動に影響を受けながらLDから登場してきた軽度発達障害の諸活動も、不登校・引きこもり支援に関連付けた活動になっていかなかった。行政の縦割りの支援が、活動自身を裂いているのだ。
私は引きこもりの青年たちの就労支援活動を始めて、二重の問題に直面した。ひとつは、就労は「企業枠に参加するプライベートな求職活動への支援だ」という観点の限界。もうひとつは、福祉的就労と一般就労を別世界とする常識の問題だった。
(つづく)
夜間傾聴:大森君(仮名)
沼津の伊勢原君(仮名)<こちらから電話
仕事:Wさんへのメール完成
etc.
(校正2回目済)
夏休みや冬休みは生活ペースも崩れてしまうしいつも顔あわせる人々と会えなくなるので私のような当事者は結構心理的にきついんですよね。孤独感とあせりの気持ちを回避するために、自分でも何か企画して周りへ呼びかけようかと思っています。始まってしまえば、なんとなくいろいろと過ぎてしまう日々ですが、海、里山、川遊び、花火、無料の工場の見学会、盆踊り、バーベキュー、バザー、園芸、観光農園、一緒に料理を作る、気分転換とストレスが苦手な人々のためのアロマテラピー、sstの一環で自宅でお茶の招待をする。講演会の準備のボランティア。当事者会以外のオフ会、ごく普通の、でも大事なこと。もろもろできたら楽しいだろうなと思う。協力者をどうやって得るかが問題です。私が頼まれるほうだったら、草むしり一本、ちょっとのお使いでも、誰かの用事のため外出するって口実もできるから。そんなちょっとのことで、安心して外へ出られるから。