2010/12/19 記
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慈恵医大眼科の検査は午後からだったので、昼食の下準備をしてから家を出ることが出来た。しかし品川>田町>御成門と短区間の乗換えが多く予想外に時間がかかるので、20分前にと余裕を取ったつもりが滑り込みとなってしまっていた。局部撮影と聞いていたが、網膜電位図つまり神経反応の電位分布を見る検査だった。視細胞には桿体細胞と錐体細胞がある。ひとの網膜にはが中心窩付近に錐体細胞集中し周辺に桿体細胞が分布している。電位差を計測することで、ダメージを受けている部分をその2つのタイプの細胞の分布の形で捉えて、障害されている部分の様子をつかむ検査というわけだった。
光量を変えたフリッカー光をあてて計測が行われるが、時間のかかる検査だった。まずまず薬を使って瞳孔を開く。これが数十分かかる。その後、暗室に入って完全に瞳孔を開く。これが30分。検査のためにセンサーのついたコンタクトレンズを両眼にはめるために、麻酔の点眼薬を入れて、効果が出るのを数分待って、レンズを装着する。検査開始。フラッシュ光から段々光量があがり、フリッカー光を浴びせ計測。部屋を明るくして眼を慣らさせ、再度同様な検査を繰返す。
土曜日、検査を受け終わる頃には外来に人影が消えて、しばらくして現れた別の患者さんとふたりで結果を待った。この検査は実は前の眼科で体験済みだった。だからなんと診断されるのか、大まかな予想はあった。ただその状態が進行しているか否かが、関心事だった。
診断は典型的なタイプではないが「遺伝性」「網膜色素変性症」「が疑われる」というもので、家系に視覚障害が出た者がいないので、劣性遺伝の可能性があるというのだった。「非遺伝性」だろうが「遺伝性」だろうが、両眼失明することが一番怖い。その辺の見通しのことについて話し合った。私が次々質問し、医師がそれに答える異例の診察。
右目については錐体細胞の減少が著しい。しかし左目は予想以上に視細胞が生き残っていて、視力回復はしないが現状維持の可能性が十分にある。右目についても完全失明にはならないだろうという。明るさは保存されそうだという。対策として視覚障害5級を申請し、遮光眼鏡で昼間の太陽光から眼を保護すること。現在のレスキュラ点眼薬を続けること。ビタミンAについては、通院観察を続けることで、希望があれば薬を出す。ということで、一番大きなことは、左目について現状維持が十分可能と言葉が出たことだった。朗報といえば朗報。右目はダメという意味で、無念は無念。実験台でもいいので、可能性を追って欲しいと伝えると、治療法がないのが現実。だができるだけ新しい知見はお知らせしますという話となり、ここの継続治療が決まった。私としては説明責任と情報提供をしっかりやってくれれば満足ですと告げて診察は終わった。
次回は私が普段なしうる治療法は何かということ。つまり戦略を立てるということの相談をし、前々日に局部電位図を取るということになった。
専門医のところにはあるそれほど珍しい装置ではないが、網膜色素変性症の専門医が少ないので検査を受ける機会が少ないということになる。
本が読めなくなる。それは致命的なことなので、そこだけでも歯止めがかかったような気分だった。
夜間傾聴:□□君(仮名)
相模大野3君(仮名)
(校正1回目済み)
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慈恵医大眼科の検査は午後からだったので、昼食の下準備をしてから家を出ることが出来た。しかし品川>田町>御成門と短区間の乗換えが多く予想外に時間がかかるので、20分前にと余裕を取ったつもりが滑り込みとなってしまっていた。局部撮影と聞いていたが、網膜電位図つまり神経反応の電位分布を見る検査だった。視細胞には桿体細胞と錐体細胞がある。ひとの網膜にはが中心窩付近に錐体細胞集中し周辺に桿体細胞が分布している。電位差を計測することで、ダメージを受けている部分をその2つのタイプの細胞の分布の形で捉えて、障害されている部分の様子をつかむ検査というわけだった。
光量を変えたフリッカー光をあてて計測が行われるが、時間のかかる検査だった。まずまず薬を使って瞳孔を開く。これが数十分かかる。その後、暗室に入って完全に瞳孔を開く。これが30分。検査のためにセンサーのついたコンタクトレンズを両眼にはめるために、麻酔の点眼薬を入れて、効果が出るのを数分待って、レンズを装着する。検査開始。フラッシュ光から段々光量があがり、フリッカー光を浴びせ計測。部屋を明るくして眼を慣らさせ、再度同様な検査を繰返す。
土曜日、検査を受け終わる頃には外来に人影が消えて、しばらくして現れた別の患者さんとふたりで結果を待った。この検査は実は前の眼科で体験済みだった。だからなんと診断されるのか、大まかな予想はあった。ただその状態が進行しているか否かが、関心事だった。
診断は典型的なタイプではないが「遺伝性」「網膜色素変性症」「が疑われる」というもので、家系に視覚障害が出た者がいないので、劣性遺伝の可能性があるというのだった。「非遺伝性」だろうが「遺伝性」だろうが、両眼失明することが一番怖い。その辺の見通しのことについて話し合った。私が次々質問し、医師がそれに答える異例の診察。
右目については錐体細胞の減少が著しい。しかし左目は予想以上に視細胞が生き残っていて、視力回復はしないが現状維持の可能性が十分にある。右目についても完全失明にはならないだろうという。明るさは保存されそうだという。対策として視覚障害5級を申請し、遮光眼鏡で昼間の太陽光から眼を保護すること。現在のレスキュラ点眼薬を続けること。ビタミンAについては、通院観察を続けることで、希望があれば薬を出す。ということで、一番大きなことは、左目について現状維持が十分可能と言葉が出たことだった。朗報といえば朗報。右目はダメという意味で、無念は無念。実験台でもいいので、可能性を追って欲しいと伝えると、治療法がないのが現実。だができるだけ新しい知見はお知らせしますという話となり、ここの継続治療が決まった。私としては説明責任と情報提供をしっかりやってくれれば満足ですと告げて診察は終わった。
次回は私が普段なしうる治療法は何かということ。つまり戦略を立てるということの相談をし、前々日に局部電位図を取るということになった。
専門医のところにはあるそれほど珍しい装置ではないが、網膜色素変性症の専門医が少ないので検査を受ける機会が少ないということになる。
本が読めなくなる。それは致命的なことなので、そこだけでも歯止めがかかったような気分だった。
夜間傾聴:□□君(仮名)
相模大野3君(仮名)
(校正1回目済み)