湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

12/26&27 連続セミナー第一回目を終えて(2)

2012-12-28 05:00:19 | 引きこもり
永井氏の話は、保健師という立場から被災者支援に向かった自分の経験を織り込んだ、被災者の生活支援の形を紹介する論旨の話だった。環境整備や産業復興支援の公私の公の部分の支援と異なり、生活支援の根の部分は、「命と健康」を原点にしている。その立場に立った講演は、保健師という仕事の重要性や災害に対するアクティブな関わりという、普段あまり気がつかななった話が印象的だった。

しかし会に参加した方々は、被災地に出かけるのが難しい立場の方々であって、よりエピソード的な語りを集積していかないと、被災と「命と健康」保全活動がどのように自分と関係付けられるかが見えてこない、というよりその活動は、保健師としての活動であって、そこを一歩超えて、被災者の生活という場面で、一般の方がなしうることを語るということにつながっていかない。被災地に入っての支援の現場から、見えてくるものを出来事の中に語るという方向になっていなかった。

例えば私の大船渡市立大船渡中学校避難所の訪問時、隣接している校庭に移住が進み、後片付けを進めているのは、全国からのボランティアさん達だった。(2011年7月)

しかし撤収作業をしているのは若手ばかり。しかも校庭の仮設住宅に人影が見えない、被災者はどこだと迷うことに驚いた。しかしそれは、避難所生活では体力が持たない方から優先的に仮設入居を進めていくため、最後の撤収時には被災者が数名が移動しただけという状態だったということが、指導者への質問でわかった。私は、このあと避難所周辺をたどって、いろいろなことがわかってくるのだが、ここで「被災者を徐々に仮設に移住させた」ということが、被災者を受動的にさせているそんな背景が見えてくる。

被災者が自主的に成す活動と、支援者が従う活動とを切り分けているとみるか、行政+ボランティアによる管理指導が自主活動生育にとってこの段階では障壁ととるか否かという問いかけがある。これは分散入居か地域集団入居かということでも生活支援活動には自主性という点において、大きな影響が出てくる。

これはシステマチックな側面の問いだが、同時にひとを基本単位に考えていくか、地域集団を基本単位に考えていくかというところにも問いは届いている。あなたはどちらが正しいと思いますかというといかけになる。だが必要なのはその結論なのだろうか。被災地という現場では、そういう、今後を左右される目に見えない出来事が、日々生成し流れているという実感を共有することだろう。

体験はそのまま経過を語っても、相手に届かない。その自己評価という咀嚼を経ることが相手を動かすことになる。

つまり咀嚼を経た経験語りや、意見提案から各自が考えるという本セミナーの基本姿勢でもあるのだ。

「私の場合は、こうだった」と語り合えるには、複数の経験者がいなくてはならない。私はそれを市行政担当者の方に期待した。その方は現れなかった。今必要な議論という共通認識作り、それが甘かったということだ。

今回の集まりでは、永井氏と私との対話から、参加者の立場から見た湘南の防災に通じる話題を膨らませるべきだった。私は集まった方々の立場から、永井氏の講演への質問はないかと問いかけてしまった。話が未成熟のため、永井氏と参加者とが取り結ぶ糸が見えないという事態のなかで、各自の主張が噴出した。

(つづく)

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参加者の方から語られた「向こう三軒両隣の協力」という言葉が、気になっている。東日本大震災の災害への整然とした対応の素晴らしさというところが、今後被災時の受け継ぐ価値であるという考え方とセットになっているのだ。前回の感想の中に書いたことだが、地域の絆(結束)によって、災害避難から復興までの原動力となるという「隣人の絆」礼賛は「ないものねだり」に聞こえてならない。民衆の受け止めかたも「災害を最小限に食い止め、復興への街の原動力となる"絆"」という話が刷り込まれていった。それがいつのまにか「災害と家族の絆」という具合に、「家族の協力」が忍び込み、地域の絆がすり替えられ、誰も問題にしない風潮で証明されるように、この発想が非常に先験的なのだ。まず絆ありきなのだ。

この「向こう三軒両隣」論は、ご近所が均一、つまり「はっつぁん」、「くまさん」社会が全体となっている。ところが家族のそれぞれが、それほど「サザエさん」式に平坦な生涯を送っているのではない。誕生から墓場まで、個人はそれゆえに、名を持った個人であるような唯一無二のドラマを抱えて生きていく。誕生・結婚・子の誕生・親の死・己の死そしてその間の事故とか就職とかが錯綜し、個人はもっと立体的なのだ。当然そこには、他者に通じない言葉もあり、対局は普遍性をもつ出来事もある。

奇妙な実話を話そう。

私が父をまだ在宅介護していたころ、大急ぎで近隣バス停に通勤のために出て行った。そのときのことだ。バス停でご近所さんと出会って、バス待ちの間に世間話をしていた時のことだ。。

ところがふと私の左足の腿(もも)の部分に目をやると3cm四方に父の大便がついていたのだった。当然臭う。それは私の出がけ、父が便意を催して、歩行困難なのに自室の2階から急な階段を勝手におりようとして、私と格闘になったときについたものだった。父を2階の便座に座らせ母とヘルパーさんに引き継ぎ、大急ぎでバス停にたどりついた。そんな経過がかくれていた。

このバスに乗り遅れると、授業に間に合わない。そんなジレンマの中にいた。私は行動不安定な子を担当してきたこともあって、眼鏡割れ、服破れたまま帰宅した経験もあって、職場に着替えを置いてあった。それを頼りに、とにかくハンカチで部位を抑え、ご近所さんに唐突ではあるが会釈してバスの最後尾に離れて乗った。

ところがその行為は、ご近所さんの女性にとっては、急に言葉を遮断し、逃げるようにバス内に離れて座った私の失礼な行動と写った。それ以来、すでに数年、彼女は私を見ると走り去るようになった。ではどうすればいいのか。

ひとの関係はそういう意味で、通じない関係の谷間にすぐに落ちるように危うい。家族内ではそれが超えられるのは、どうしようもない血縁と生計、そして近い共通体験を経ているからだ。農林水産業のような地域単位の経済活動を残す地域ならまだしも、お互いの生計も家族の事情もばらばらの地域にあっては、うんこひとつで人は絶たれてしまう。

ひとの噂話と悪態の好きな爺婆がそこにおり、災害時にその悪態隣人を助けなければならないとしたら、それは生命の尊さという高邁な思想に頼るか、それでもなお非情になれない互いの関係性によるものだろう。

そうした不安定な地域の人間関係に、「向こう三軒両隣」礼賛論者は、平板な人間関係の偏狭さを背景に持っていることを知るべきだろう。幼児のころからの知り合いで、これからもその集団の中で生きていく地域閉鎖集落の人間関係というより、互いの怪物一家の隣人が助け合うと考えたほうが実は自然だと思うのだ。私なら必要に応じた隣人共同、それこそ「生き残るため」の地域連携をのノウハウを探るべきだと思う。

夜間傾聴>橋本3君の母親


(校正3回目済み)


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