湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

2/18 読み飛ばしてください

2012-02-19 05:31:06 | 引きこもり
2012/02/18 記
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今日は午前中、某タクシー会社の事務方さんに、タクシー廃車後の転用の可能性について質問する約束だった。母のダンピング嘔吐が再開し、地元医に連れて行くことでFAXで日程変更をお願いしたが、応答が無かった。(当たり前である。)

NTTの訪問修理を9時に断って、その後すぐに母を連れ出した。さすがにばてた。徹夜である。午後は平塚で震災ボランティアの交流会が開かれていたが、参加する余力はなかった。とにかく眠ること。夜の訪問巡回まで、眠ること。

母の好きなホワイトシチューを作って、暖めるだけにして家を出た。母は風邪を引いていた。橋本往復、とにかく寄り道をしないで家に戻った。

母はひと箸も食事を口にしていなかった。口がまずくて食べたくないという。白だし醤油できしめんを煮て、野菜ジュースを無理強いして飲ませた。年になると冷たいものを嫌がる。内蔵体温が下がるためだが、とにかく、最低限の食事はとらせなければならない。

洗濯物を縁側に取り込んでおいて正解だった。ところが家中が馬鹿に寒い。灯油が切れてストーブをつけるには、物置から灯油タンクを運んでこなければならなかったのだ。新聞にゴミ出しが重くてできないから、新聞を取るのをやめたという独居高齢者の話を見たばかりだった。

ところが灯油が物置になくなっていた。私が忙しくなるとこういう穴が空く。やむなくポリタンクをひとつ抱えて、ガソリンスタンドに行き、帰りはタクシーを呼んで灯油を運んだ。また0時を回っていた。スタンドで明日の配達を頼んでおいたが、この配達が朝8時台なのだ。母の部屋と私の夜間の作業室を暖める。

夜間傾聴をどうしたものかと、誰もアクセスがありませんようにと祈りつつ、遅れていたブログの更新に入った。

終了5時。今回分の記事は簡単にさせてもらう。8時過ぎには業者が来る。


夜間傾聴:橋本3君(仮名・母親)


(校正1回目済み)

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2/17 日本ロレアル特例子会社見学/プシケおおた糀谷生活支援センターへ/二子玉川から茅ヶ崎の講演会へ

2012-02-19 04:59:18 | 引きこもり
2012/02/17 記
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●日本ロレアルの特例子会社を見学

朝10時に川崎・矢向駅(南武線)に集合し、駅から5分、日本ロレアル(株)の特例子会社「エヌ・エル・オー(株)さいわいファクトリー」の見学会に参加した。ハローワークや、地域就労支援センター、企業人事担当者、特別支援校就労担当者の集団のスーツ姿の中で、ひとりジーンズのうらぶれたブレザー姿の違和感はなかなかのものだったが、期待通りというわけにはいかないが、予想外の発見もあった。自閉症青年たちを中心とした知的障碍者の職場、その集団作業である。

今回の特例子会社は、高級化粧品の輸入販売を行なっている日本ロレアルの作業下請けを行なっている。1)輸入化粧品の日本語ラベルのラベリング作業 2)宣伝物の作製・組み立て作業 3)サンプル品の充填作業 を業務としている。

この特例子会社が誕生して1年半。15名のチームを5名の管理スタッフがサポートしている。様々な経営上の説明を伺ったが、建物も施設も、もったいないほどの容量を持っており、成長途上にある会社なのだが、静かな作業の背後が見えてくるようだった。mm単位でずれてはいけないシールを3×4cmパッケージの化粧品サンプルの英文の上に貼っていく。欧米サイズの作業デスクは、日本の規格よりも1.5倍ほどあって大きい。対面型にした3列のデスクに座って黙々と約1時間半単位で作業を行なっていく。貼りこみ済みのサンプルは、10個ずつ積み上げ並べていく。その作業面にはゆとりがある。

私がまわってきた見学会の中では、「手順」ということが一番強く感じられた職場だった。クリーニングの現場では、その人は洗濯物の異物を注意して、洗濯機のドラムに洗濯物をいれ、選択後にそれを出すとか、郵便物をセクション分けして配達のカゴを出していくというように、工程が少なく移動もまた少なかった。ところが今回は、一定数貼り終えると、指定の場所に仕上がり品の入ったトレーを集積場に積み上げていく。そしてシール面を内側に巻いたロールを管理スタッフに要求し、元のサンプルのトレーを自分で持ってくるのだった。黙々と作業。表立ってはこうした動きだったが、足らなくなったロールを要求したり、この作業が終わったら、別のサンプルの「袋詰め」作業に切り替えられるのだった。

つまり作業に熟達しているし、作業の手順が何工程も頭に入っている、心身がおぼえているのだろう。作業ができるようになるまでの、さまざまな訓練が活きているているのだ。説明で印象的だったのは、「納期」にせかされ、作業の速度を上げなくてはならない場面もあって、管理スタッフがダンパになっているが、それでも、その変化についてきてくれるということだった。全体状況を共有しているかは無理がありそうだが、急ぐ指示が通るということは、管理スタッフが信頼されていなくてはならない。

無影化した柔かい照明の元ではあるが、mm単位の仕事を力みもせず黙々とこなしている姿が印象的だった。今回は作業場面を見ることは出来なかったが、化粧品サンプルの袋詰めも、大きさの違う瓶やチューブ、箱をゆとりの無い袋に詰め込んでいく作業や、化粧品梱包の箱折り作業は、前者は手順を、後者は力の入れ具合に熟練が要る。箱の中の仕切り版などは、化粧品が入る穴の部分以外の折り皺(しわ)や歪みを残してはいけない。見せていただいた袋の作業は、ひとりが袋を折ってねじり、隣の方がそれを受け取り、テープ機に通して貼っていくという共同作業が見られた。個々の部分は自閉症ではない知的障がいの方が担当していた。

つまり管理スタッフが、綿密に配置や作業デザインを考えているということだ。

作業室から出て、会議室に戻った私たちは、管理スタッフに質問をぶつけた。本社と別の建物を借りて特例子会社を発足させているが、家賃がかさむだろう。ましてや、空き室のある大きなスペースを残していて、賃金水準を確保しうるのかという直球だった。応答は、今は過渡期、もうすこし社員を増やしたい、その中で解決して行きたいとのこと。若い会社なのだ。

そのQ&Aのやり取りの中で印象的だったのは、(カナー型の)自閉症の人たちは、同僚同士のもめごとをつくらない。社員の中の自閉症者の比率が半数を超えるのは、そういう雇用メリットがあるからだという話がなるほどと思いつつ、町田の「赤い屋根」の、「高級豆腐の引き売り」に見られる「協業」の姿の対極にある作業効率の論理が見事に通っている例と感じ取っていた。

私たちが作業室から出ようとしたときは、ちょうど昼休みに入るところだった。次々に仕事を切り上げて、会合スペースに座って弁当を食べる様に、自然な集団を見たような気がした。互いの存在を認め、私たちに礼をしているのだった。自閉症者の無機質な感じがしない。返って不思議な気がしていた。

しかし、見学会の参加メンバーの関係か、かなりオフィシャルな感じがして、完全に浮いているなというところ。これからあと数箇所、見学会が集中して組まれている。私は手帳を持っていない高機能な方と手帳のある方との協業を地域社会の中にデザインしたいとかねがね思ってきた。いわゆる障碍畑と困難な条件を抱えている方との動的な労働の基本デザインを探っている。このとき、その対象となる方の実力と特性を肌で感じ取っておきたいと思っている。毎年、2・3月は集中して障碍者就労をしている会社の見学会が集中して行なわれる。これには積極的に参加していきたいのだ。会社への就職を持って就労と呼ぶ、いわゆる障碍者採用枠を拡げて、賃金労働者となっていく道を開いていこうとするベクトルの上に企画化されている見学会だから、特別支援校卒業者の就労を考える道を強く感じるのは当然のことだ。精神や身体の中途発症者の就労の視点は希薄だ。私の目指すものは、昔からサポート体制が「福祉的雇用」と「一般雇用」に二分されいることを無視した「横断的地域就労または起業」の道だから、非常識にいまだに観られている。公的な就労支援が、やっと境界線の人々を意識し始めた。その時代の眼で職場を見つめて行きたいと思っている。


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●「プシケおおた・糀谷生活支援センター」に行ってみる

**子は大田区の馬込周辺に住んでいる。川崎まで来たのならと、**子に電話を入れた。**子は現在の作業所では閉塞した人間関係にうんざりしている。IQもボーダーではあるが高めで、現在の環境の入所者に不満を感じていた。初めそれは知力や機能差によるものと思ってきたが、それはそれで無くはないが、彼女の交友関係が、そこでトラブルが起これば、そこから距離の置き様がないといういわば、いじめの温床になりやすい。

それを避けるためには、「別の作業所に移る」「もうひとつの別の居場所を持つ」という距離を保つことが必要になる。私は**子に、更に広い意味で、同世代の交流を提供しておきたかった。**子のご両親は、ご母堂の介護と自営店の経営に忙しく、作業所を除いたところで**子との家族サポートに時間がなかなかとれないという状態がある。通信制高校時代の友人は遠方のため疎遠になってしまったという。ご両親が老いたとき、**子は孤立してしまうと思ったからだった。

知的障碍関係の施設ではなく、精神障碍の居場所施設、地域の交友のノード(結節点)として生活支援センターを利用するのは、自主企画の率が高そうだからだ。外出やスポーツ観戦・夕食会・施設内企画等に、好きなときだけ利用することも可能だ。ただ交通の便が遠かった。

父親の車に送迎してもらうという話が主だったが、もしひとりでバスに乗り継いで、この居場所や交友と出会う場所として利用できれば、**子の午後と、作業休みの日の交友のもうひとつの選択肢を作ることができるだろうと思ってきた。

そんなことから、折角川崎まで来ているのなら、大森を回って馬込に出るのもいいかと、**子の携帯に電話を入れて、**子に会うことにした。

しかし、**子に会ってみると友達は欲しいと答えながら、生活支援センターの話は、はぐらかしてしまうのだった。それでは、やめようかというと困った顔をしていた。「私、説明聞いてもわからないよ」という言葉に様々な意味が込められていた。話の意味ということだけではなく、彼女の一存ではことが決められないという意味でもあった。さらには、新たなことへの怯えも含まれていた。

この件は、旗の台君(仮名)のとき、自由が丘夫妻(仮名)のとき、駒沢公園君(仮名)のときも外出への怯えや、自分の一存ではことが決められない自主性を主張できない環境などは共通するものだった。(自由が丘夫妻のときは、ふたりともパニック障碍の持ち主だったという事情もあったが。)

ファミレスで会いながら、母親に携帯で、これから大森に出かける旨の連絡を入れるように指示。相談員の予約はしていないので、施設内には入れないが、ともあれ糀谷に行ってみようと誘った。さきほどの煮え切らない怯えた表情はすっかり消え笑顔にもどった。

私たちは、馬込からバスで大森に出て、駅の反対側のロータリーから再びバスに乗って仲糀谷のセンターの前までいってきた。「プシケおおた」は蒲田の工学院の先に、もうひとつの生活支援センターを持っている。こちらの方が人数が多く、**子の同世代も多いという。しかし駅前から工学院までの通りは歓楽街で、夜間女性ひとり歩いて帰るとなれば、親御さんが認めるはずが無かった。

こうして糀谷のセンターを確認して大森に戻ったが、**子の表情はすっかり陽気になっていたが、忙しい父親が送迎してくれるかどうか不安の色を隠せないのだった。果たしてここの利用者が、**子とそりがあうかどうかは、わからないしかし、一枚、扉を開いたのだ。大森で**子をバスに乗せ、私は大井町に出て二子玉川に向かった。

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●多摩美の学生さんと二子玉川で合流

夜の湘南子どもネットワークの講演会の時間が迫っていたが、3/1~4の気仙地方に出かける件で、もしも横国大の++の都合がつかなくなったとき、仮設まわりの運転手がいなくなってしまう。陸前高田のボランティアに参加していた知り合いの学生さんに最悪のとき、依頼できないか考えていた。彼には3/2に夜行バスを一日遅らせて乗ってもらえば、私は初日、歩いて大船渡の仮設を回り、行政との車贈呈関係の下準備をしてくれば、翌日彼と合流して、残りの大船渡の仮設と、すべては無理になるだろうが、陸前高田の仮設を回り、3日の夜のバスで池袋にという形で、彼の民宿宿泊費と一日分のレンタカー料金を浮かせた分で、レンタカーのガソリン代と彼の交通費の一部が出るだろうと、縮小企画を考え始めていた。この縮小企画なら横国大さんも平日を休まないで済むのだが、平日の一件で横国大さんの被災地行の意欲は萎えていた。

多摩美君(仮名)の応答は友人との予定があって無理とのこと。実は彼にとって交通費は大きかった。破談は痛かった。全額保証できるほど私の懐もゆとりはなかった。これで知人関係はすべて無理とわかったので、横国大さんを説得する以外なくなっていた。

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●湘南子どもネットワーク講演会
「発達障がいを持つ子どもの母が『障がい児でもOK!』」に参加して

上杉桂子さん、売井坂美奈さんの対談型講演に、なんとか間に合った。田園都市線から小田急江ノ島線、東海道線と乗り継ぎだらけ。自閉症児の子育て中の若い母親の比率があがった講演で、どんな苦境に立っても、ふりかえれば乗り越えられていたというエール。いままでのように、保育士さんたち中心の専門職向けの講演会とは違う層が参加していた。90名弱。いつもより20名ちょっと多い。

子育ての中で抱えている苦難を分かち合うような中身であったがゆえに、参加者の胸に熱いものがあった。司会者の##さんもまた、子育て中の身。声が思わず詰まっていた。こういう印象深い講演会となったのだが、私は一抹の不安を抱いていた。

それは、いままでの講演会が専門職の仕事の糧となる内容という実利が伴っていたが、今回の講演は心情を分かち合うものだったこと。優劣の話ではなく、新たな20数名は、内容を見て参加された方々で、講演会の内容は参加者数に大きく影響するほどのもの。逆に言えば、心に落ちる内容でなければ、これらの方は再び去っていくということだ。こういう濃い質の企画を連続していくことは大変なことだ。

午後、我が家には父方の伯父が来ていた。正月に屋根の修理で、屋根から庭に落下して、ひどい打ち身が治ったところの来訪だったことで、JR線に乗せるところまで送ることにしていた。20時をまわって、講演会から抜け出して、母が茅ヶ崎駅までバスで送ってくるのを受けて、私はJRのホームから伯父を電車に乗せる役割だった。

伯父を乗せ、先方の従妹に連絡。改札を抜けて、至急イトーヨーカ堂で明日の食材を買い集め、二次会の酒の席に飛び込んだ。

いつもとは違うメンバーが4名加わり盛況だったが、遅れてきた私は保育園関連の方たちの隣に座ることとなり、子育ての話以外の話題を切り出せないで弱っていた。この場では高齢者見守りを中心とした被災地への「仮設カーシェアリング」への協力要請や、3/1~4の運転手さんの候補探しの話題を切り出せないでいた。場が違う。いつもその思いを抱えるのだが、今回は絶望的だった。席の違いが結果を大きく変えてしまっていた。

今回は若松町「ゆめたい」関連からの一行が参加していた。

会の終わりは0時をまわっていた。駅に出て家まで歩いた。こういう空転が山ほど積みあがっていく。悔しさのようなものがこみ上げてくる。それを飲み込んでいた。ひとりではやれないというのは嘘だ。やれるベストを尽くしていくこと。この中でしか、ひとに働きかける資格はないと繰返していた。帰宅0:45。


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伯父の通り過ぎた我が家の厨房は、ひっくりかえしたような騒ぎだった。食器を洗って3日溜めた洗濯物を洗っていると、夜間傾聴の専用携帯が鳴った。

塾長だった。深酒君を親御さんと精神科に連れて行ったという。なんとも重たい話が炸裂したように出てきた。私のかかわり分について、至急母親宛にFAXしてくれという。参っていた。

家事をやっつけ、母親宛のレポートをFAXしている最中、母がダンピングを起こして吐き始めた。明日は朝、タクシー会社の事務方と会う約束があった。やむなく月曜日に変更させて欲しいとFAXを送った。明日は母を地元医のもとに付き添っていく。時間がどんどん過ぎていくので、次の調査項目のLPGガススタンドが湘南ライフタウンにある。土曜日午後もやっているだろう。費用やバルブメインテナンス料のことなど、聞けるだけのことは聞いてくる。

母、風邪でなければいいのだが。

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朝、ルータの修理にNTT東日本の下請け業者が来ることになっていた。ルータのLANケーブルが異様に張って、コネクタ部に接触不良が起きていたことがわかり、すでに原因を取り除いていた。NTTに断りの電話をするのを忘れていた。故障修理の受付電話は9時まで無人。9時まであと2時間半。

夜間傾聴:JR相模原の塾の塾長(傾聴にあらず)
     **子母(仮名・留守電に応答)
     橋本2君(仮名)

(校正1回目済み)

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