湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

2/15 ルータ故障に泣きました 今回は下書き原稿が2つ

2012-02-17 02:01:18 | 引きこもり
2012/02/15 記
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16日早朝、突然アクセス速度が極端に落ちた。数秒のデータが1時間かかる始末。原因がわからず、NTT東日本と@nifty の技術サポートとぐるぐるまわって、結局原因不明。書き込みが出来ませんでした。

NTT東日本がルータをチェックしに来る話がまとまって、その後、ルータのコネクタ部が目一杯引っ張られているのを発見。私の不精を見かねて母が掃除機をかけた、そのときLANケーブルをひっかけたということが判明。

コネクタ部が破損していることをチェック。ハブの差し替えを行なったところ復活。半日かかってしまいました。すみません。

今回は、「仮設カーシェアリング」の「通信」作りと平行して「リーフレット」も作るつもりで、かき始めた原稿の下書き。

もうひとつは、就労困難を抱える青年たちの就労打開の研究会を続けていくべきであると、関係者に説明した文書からの引用です。東日本大震災経験を境に、社会の基本的な社会観が変化したこと。そことの関連において、私たちが生きていくこと、仕事を通じて社会参加する意味合いを見つめなおそうという提案でした。

現在は「通信」の本文に「世話人会をたちあげましょう」という、13日の失敗に終わった会合のレポートを書いています。別に私と組まなくとも同一の企画は実行できるのですから、狭い根性で企画参加に執着はありません。ただ今やらなくてはならないことを実行すること、それが動き出していないのなら、私はひとりでもこれを実行に移します。そういう意味合いが込められています。

まずは「リーフレット」原稿初稿(下書き)です。

------ ここから -------

私たちは、東日本大震災という極限を見ています。同時に被災者がその中で、懸命に家族と地域の生活を再建しようとしている、しかしそのことは、実家や親戚のの出来事であったり、日々の生活を提供してくれる人々の災害、生産流通の破壊でした。人が人の悲惨な状況に向き合うこと以上に、私たちと直結した人々を襲った出来事でした。またそのことは、湘南という立地の中で、いつか同様の体験をする可能性の中にある出来事でした。だから、この災害は同情の域を超える問いを私たちに投げかけました。災害はいつでもあなたの生活を根こそぎ破壊してしまう。そのとき、あなたはどうするのという問いです。目をつむるのという問いです。

どす黒い津波が町を襲い、原発を破壊し、昨日まで話していた方や家族の命を持ち去ったのです。被災直後、避難所には様々な善意の物資や応援の手が入りました。福島のように分散避難した方々のように、支援を集中し難く、長期避難を余儀なくされるという、未体験な困難をどう受け止めるかという重い問いもありました。

秋口から仮設住宅や半壊した自宅から、生活を再出発した時点で、非被災地の支援者は現地に行ける人以外、的確な支援を届ける道筋を見失ってしまったかのようです。これを日本人の移り気と説明した人もいます。そんな単純なものではないと私は思います。支援したくとも、その方法が見えない、募金の力もどこに行くか知れず、その効果すら疑われています。

被災地産の商品を買っても、その効果が仮設入居した高齢者に届くのだろうか、ましてや福島の避難者のような方々を支援することになるのだろうか。そういう限界のようなものが見えてきます。支援しようにも支援し切れない澱(おり)のようなものが心を覆っていきます。

だからこの時期の支援は、支援の行き先がはっきりとした、目的が明瞭に見える支援が必要です。また現地に出かけることの出来る方の応援も必要でしょう。湘南に居て、被災地に効果的に届く支援、それは何なのでしょう。

私たちは被災地の方々が、家族や親しい人々、仕事と財産を失い、生活再建には二重ローン・進学保証と僻地介護のような難題を背負い込んでいることを知っています。ですから、日々の生活の中の必要に手助けするような支援が必要です。なんのことはない、私たちも緊急の程度さはあっても抱えている問題ではありませんか。解決の糸口になるような支援はないのか、しかしそれは被災地の仮設入居者の方々に聞いても漠然としすぎていて、これが欲しいと絞りきれない状況があります。しかも抱えていることが他人には話せないし、隣人が見知らぬ人が多い仮設の生活では、孤立感が深まっていくばかりです。

だから仮設集会所の食事会交流や、手仕事を皆でやりつつ交流していくような「見守り交流」の支援が始まり、被災者臨時雇用事業として相談員採用を進めているところが多いのですが、失業した男性や、心身に不自由が出ている高齢者が引きこもりがちになり、男性はアルコール依存のような問題となり、高齢者は認知症予備軍となり、なかなか手がつけられないでいる状況があります。

こうした状況の共通点は、地域の親しい隣人との出会いの困難や、日常的な買い物・通院などの外出が思うに任せない深刻な悩みがあります。仮設は公共用地に立てることが多いために、本来の住宅地ではない学校の校庭や公園など、高台や僻地に建っていることが多く不自由で、それに対して地元大手スーパー送迎バスや、公共の仮設巡回バスをだしているといってもその本数は少なく、必要に応じて自由になるという性質のものでもありません。しかしそれらは、当人の精神衛生上のことは考慮されていません。だから自由になる「足の確保」ということが、大きな意味を持つと思うのです。

もし、子どもが夜間に熱を出したり、怪我をしたが救急車を呼ぶのはためらうような場面や、保健薬ではなく治療薬が無くなっていることに夜、気がついたとき、どうしたらいいでしょう。ニトロやインシュリンのような薬が、高齢のために自己管理に穴があったときどうしますか。仮設の近くには医院もクリニックも流されて、遠方の病院に出かけなくてはならない。若い人にお願いして病院に行くでしょう。このときの車が共用車として仮設にある安心感は大きいと思います。

訪問客の送迎にも気兼ねなく使える車、外出や民間救急車としても使える車、それを提供できないかと考えるのです。

中古車を被災地行政に贈り、適地に配置してもらうというのです。勿論これには様々な問題が立ちはだかっています。


●「車の提供者」>これは現在、贈ろうという具体的な話にはいろうとしている車が2台、申し入れをいただいた車が1台の3台の車が出番をまっています。

●「車の管理者」>初めは「ケア付き仮設」という常駐相談員のいる仮設に、共用車を配置してもらい、管理してもらいます。つまり地元行政や関係支援活動の合意の中で、進める必要があります。

●「メインテナンス料・車検・ガソリン代等運用費用」
>ここが高額なので大きなハードルになっています。ある方から、手渡した後のメインテナンスは、共用車を100~200円程度の有料にすることや、ガソリン代は使用者を含む支援者の負担として相談するという案はどうかと提案されました。しかしここは、車の入手に企業CSR(社会的貢献)が必要だと思っています。タクシー協会・レンタカー同業者組合・自動車教習所・配達業同業者組合を通じた交渉をすること、中古車を出すときに、メインテナンス済みの完動車として提供してもらうことが必要です。また維持費負担は、仮設生活最長の3年間を保証するものとし、期限を区切ること。

●「運転者と隣人の善意」
>「ケア付き仮設」(常駐相談人のいる仮設)「仮設自治会」のある仮設から順番に共有車を配置。運転手には行政の感謝状や薄謝が必要。

>仮設コミュニティは、再建実家や、被災者住宅が出来るまでの過渡的な性格があるが、3年程度の生活を潤滑にするもの。だから高齢者を買い物や通院に連れ出すこと自体、精神衛生上大きな意味を持つが、同時に運転者と高齢者の交流の契機となって、仮設コミュニティを作る一助になる。そのことから運転者に行為の意味を伝えるような公共情報提供が必要。


●「地元タクシー業界との関係」
>当初、小さな仮設を包括支援する公設タクシーに使う共用車という構想もあった。しかしこれは営業車とみなされる。不特定の乗客を乗せることになるので、コミュニティバスの小型版と考え、行政の公共サービスに組み込む必要がある。

>地元タクシー業界からは、業務妨害という批判は必ず出てくる。しかしこれはコミュニティバス増発と同じこと。丁寧な説得が必要。

(未完)


----- ここまで -----

次は社会参加的な地域労働の積極評価を研究会続行提案として、書いたものです。東日本大震災の被災者自立支援の活動から「就労」を時代の風の中で見つめなおそうと呼びかけました。3.11は膨大な破壊と悲惨におわるものではなく、様々な人の関係や価値観の露わになった現状を取り上げていく。

====== ここから ======

家計を支えるため、賃金を得ることのために働くとしたとき、その仕事することの価値が見失われる隙間がある。その隙間を見失わずに「就労」という観点から諸企画をやっていこうと呼びかけています。来年度のために。


>  今年度は、東日本大震災の支援の関係で、実質上休止状態でした。この東日本大震災は、それ以前の私たちの「社会と私のあり方」を深く問うものになりました。家族も職場も財産も、すべてが一瞬のうちに覆されてしまう。ひとと家を流されてみて、次の一歩を踏み出すためには、隣人の協力がこれほどに必要と感じたこともなかったでしょう。
>
>  大企業の機能停止、系列中小企業工場の破壊と生産停止、農林水産業の壊滅的な打撃というように、大地と海の氾濫が平常の仕事を奪いました。仕事の土台となる働き手の家庭の危機が、その状態を決定的なものにしたのです。仕事と家庭ということも、今回の震災で露わになったことです。
>
>  震災直後から被災者と支援者が動き出し、人命の保護や、生活の支援の活動が始まりました。自分の出来ることが問われ、抜き差しなら無い状況の中で人々が動きました。
>
>  注目すべき点は、まず必要とされたのは、医療の確保・行政機能の復活・生活物資流通の確保・社会的弱者の保護でした。ところが気付かない出来事もここで起きていました。専業主婦・ティーンズ・高齢者・軽度障がい者の方々が自分の身の回りからケアに至るまで、徐々に動き始め、やがて協力して、支援者の応援や、身の回りの方々のケア、農地整備等に動き出してたのです。
>
>  私は岩手県大船渡市・陸前高田市を中心に被災地に行って見て驚いたことがあります。路上生活者支援の「舫(もやい)」のメンバーをあちこちの避難所や、ケアの現場でみかけるのです。よくみると、私の顔見知りの引きこもり青年たちが、被災地に来ているのです。両市の支援者ネットワーク関係者にその話をしたところ、大船渡の避難所の支援をしていた青年を紹介してくれました。
>
>  その対話の中で非常に大切な言葉を聴いたのです。
>
> 「ここは、お互いが 必要と されているから ね。」
>
> という卓越した言葉でした。
>
>  震災は、「働く」という事の深淵を見せてくれました。ひとを通じて自己実現するというボランティアの精神が、「働く」ということの原動力でもあったのです。こうした身の回りから動き出す、つまり「地域から仕事をつくる」ということが社会的弱者の方々の社会参加の大きな契機となっていたのです。
>
>  天災は湘南にも高い確率でやってきます。このとき、その天変地異のなかで生き延びる知恵に満ちた社会参加的な働くことのモデルを探っておくことが、大事なことだと思います。そのための諸企画を練りませんか。防災とは違う角度ですが、災害の中の人をポジティブにつかみ出していく作業です。
>
> (文責:飛田)
>

------ ここまで ------


「地域カーシェアリング」の「通信」原稿は現在進行中。失敗は書きにくいが、そこでも成しうることを書いていこうと思っています。

明日17日は、朝から特例子会社「エル・オーさいわいファクトリー」の見学会に参加し、帰りに**子と会い、夕方、某タクシー会社の技術屋さんと会います。

一昨日のNPOサポートちがさきの本会議を踏まえて、高校生やハイティーンズたちの受け皿を作って行きます。

とりあえず、〆。


夜間傾聴:深酒君(仮名・親御さんから謝罪うけ。困ってしまう。



(校正2回目済み)

コメント
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