2012/02/12 記
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茅ヶ崎市介護サービス事業者連絡協議会の実践発表会「身近なところで震災が起きたとき~私たちにできること~」に参加してきた。ソーシャルワーカーさんたちから、この会合への参加を勧められたのだが、被災時、高齢者等社会的弱者の同伴避難は重要な問題であって、被災後、いかに有効な庇護的ネットワークに包み込むかは、その方の命に係わる問題だ。この茅ヶ崎市の話が、気仙地方の仮設入居者の生活支援のヒントになりうるし、その逆もまた然りだった。
私に自閉症の特徴と支援法を明け方質問してきた##さんの、当座の協力の方針をJR相模原の方の塾長と、南橋本で打ち合わせをしたあと、塾長は「深酒くん」の方に車で向かって行った。そんなごたごたをしていたので、「仮設カーシェアリング」有志顔合わせ(世話人会発足準備)のチラシを増刷して持ち込むまで、15分遅刻してしまった。みなみマートの99円ショップのコピーは5円/枚なのでそこで増刷していたのだが、時間でコインを替えるので、コピーをやめてほしいというマニュアルバイトさんの言葉を拒否し、今度は途中「用紙切れ」があったのに、別のバイトさん、用紙交換をやったことがないのか、B5用紙を持ち込んだり、コイン機を開けて使えなくなってしまったりと、信じがたい管理のおかげで30分ロスしたおかげだった。
会の配布資料の中に折りこんでくださるようだったが、遅刻のために、閉会時、出口の机の上にチラシを置けと指示をうけた。がっくり来た。配布はだめかと聞くが応答が無かった。散会時、「チラシを持って行ってください」と発言させてもらったが、なんと閉会と同時に、机を片付けられ、チラシはアンケート箱の横に、床に落ちそうにつまれてしまった。
50枚用意したが、出たのは8枚。惨敗だった。こういう虚しさをすべての活動について、10余年続けている。既に怒る気力も失せていた。関心が薄い。特に専門職の会合は動員がかかって参加している方も多く、一昨年東海大学でおこなわれた学会本会議で、炭谷茂氏がソーシャルファームの話をしだしたとき、自分の仕事のノウハウに関係ないと見るや、人が講演している最中に、ぞろぞろと帰ってしまう。川崎で精神衛生関係者の会合でも、被災地釜石からの被災者のメインの話が始まるや、帰宅してしまうという具合で、専門職の発想の狭さはただごとではない。この人たちに命を任せているのだと思うとぞっとすることもしょっちゅう経験している。
残りのチラシは、守衛さんにお願いして、市議会議員ポストに再投函させてもらった。
これでさえ、今夜の顔合わせは私ひとりということも十分ありうる。「仮設生活者の足の確保」の問題は、重要な問題である。そういう質の問題として取り上げるのではなく、社会活動も類型化と常識に乗って流していくために、指示待ちになり、言葉が通じない場合が多い。
この会の最後に、我が家の近所の某介護センター所長の**さん、包括支援センターの++さんと名刺交換し、**さんはペットレスキューとも接点があることを知った。これから関連チラシを持ち込むことになった。
講演者のAさんとは、障害福祉の場面でお世話なっていたので旧知、「お前、なんでこんなところにいるの?またかい。」という感じ。以前、祖母と父の介護のとき高齢福祉課でお世話になった??さんと再会したり、父が利用していた事業所の担当者の方と数年ぶりに再開した。
平塚市のHPに「平塚市津波浸水モデルシミュレーションビデオ」が出ていると紹介された。10mの波が平塚市を襲ったときのシュミレーションを東海大学が作ったことを知った。ガードがかかっているので、DLできない。
今夜の顔合わせ用の資料作り・市の市民活動だよりの本文原稿編集、市議宛の参加要請メール作り。仕上げて寝る。
こういう書き方を「けんちゃんの絵日記」という。出来事を書き連ねていくからだ。もう6・7年経つが、私の諸提案が既存団体の協力を要請するとき、貴方は何者なのかわからないと信用をめぐり、ばっさりといわれたことがある。障がい者団体の関係者2名だった。自己証明はいくつ積み上げ、述べ立てても外から見れば真偽はわからない。つまり私は身の飽かしようがないのだった。そこで始まったのがものHP企画だった。「けんちゃんの絵日記」を百万とつみあげることにした。字数が多くて放棄されてもいい。しかしその中には、遠くで狼煙をあげているのだと気がつく方がいらっしゃれば、累々とした言葉の屍も意味がでる。私は中途半端に書き込んではいないつもりなのだ。
夜間傾聴:橋本2君(仮名)
(校正1回目済み)
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茅ヶ崎市介護サービス事業者連絡協議会の実践発表会「身近なところで震災が起きたとき~私たちにできること~」に参加してきた。ソーシャルワーカーさんたちから、この会合への参加を勧められたのだが、被災時、高齢者等社会的弱者の同伴避難は重要な問題であって、被災後、いかに有効な庇護的ネットワークに包み込むかは、その方の命に係わる問題だ。この茅ヶ崎市の話が、気仙地方の仮設入居者の生活支援のヒントになりうるし、その逆もまた然りだった。
私に自閉症の特徴と支援法を明け方質問してきた##さんの、当座の協力の方針をJR相模原の方の塾長と、南橋本で打ち合わせをしたあと、塾長は「深酒くん」の方に車で向かって行った。そんなごたごたをしていたので、「仮設カーシェアリング」有志顔合わせ(世話人会発足準備)のチラシを増刷して持ち込むまで、15分遅刻してしまった。みなみマートの99円ショップのコピーは5円/枚なのでそこで増刷していたのだが、時間でコインを替えるので、コピーをやめてほしいというマニュアルバイトさんの言葉を拒否し、今度は途中「用紙切れ」があったのに、別のバイトさん、用紙交換をやったことがないのか、B5用紙を持ち込んだり、コイン機を開けて使えなくなってしまったりと、信じがたい管理のおかげで30分ロスしたおかげだった。
会の配布資料の中に折りこんでくださるようだったが、遅刻のために、閉会時、出口の机の上にチラシを置けと指示をうけた。がっくり来た。配布はだめかと聞くが応答が無かった。散会時、「チラシを持って行ってください」と発言させてもらったが、なんと閉会と同時に、机を片付けられ、チラシはアンケート箱の横に、床に落ちそうにつまれてしまった。
50枚用意したが、出たのは8枚。惨敗だった。こういう虚しさをすべての活動について、10余年続けている。既に怒る気力も失せていた。関心が薄い。特に専門職の会合は動員がかかって参加している方も多く、一昨年東海大学でおこなわれた学会本会議で、炭谷茂氏がソーシャルファームの話をしだしたとき、自分の仕事のノウハウに関係ないと見るや、人が講演している最中に、ぞろぞろと帰ってしまう。川崎で精神衛生関係者の会合でも、被災地釜石からの被災者のメインの話が始まるや、帰宅してしまうという具合で、専門職の発想の狭さはただごとではない。この人たちに命を任せているのだと思うとぞっとすることもしょっちゅう経験している。
残りのチラシは、守衛さんにお願いして、市議会議員ポストに再投函させてもらった。
これでさえ、今夜の顔合わせは私ひとりということも十分ありうる。「仮設生活者の足の確保」の問題は、重要な問題である。そういう質の問題として取り上げるのではなく、社会活動も類型化と常識に乗って流していくために、指示待ちになり、言葉が通じない場合が多い。
この会の最後に、我が家の近所の某介護センター所長の**さん、包括支援センターの++さんと名刺交換し、**さんはペットレスキューとも接点があることを知った。これから関連チラシを持ち込むことになった。
講演者のAさんとは、障害福祉の場面でお世話なっていたので旧知、「お前、なんでこんなところにいるの?またかい。」という感じ。以前、祖母と父の介護のとき高齢福祉課でお世話になった??さんと再会したり、父が利用していた事業所の担当者の方と数年ぶりに再開した。
平塚市のHPに「平塚市津波浸水モデルシミュレーションビデオ」が出ていると紹介された。10mの波が平塚市を襲ったときのシュミレーションを東海大学が作ったことを知った。ガードがかかっているので、DLできない。
今夜の顔合わせ用の資料作り・市の市民活動だよりの本文原稿編集、市議宛の参加要請メール作り。仕上げて寝る。
こういう書き方を「けんちゃんの絵日記」という。出来事を書き連ねていくからだ。もう6・7年経つが、私の諸提案が既存団体の協力を要請するとき、貴方は何者なのかわからないと信用をめぐり、ばっさりといわれたことがある。障がい者団体の関係者2名だった。自己証明はいくつ積み上げ、述べ立てても外から見れば真偽はわからない。つまり私は身の飽かしようがないのだった。そこで始まったのがものHP企画だった。「けんちゃんの絵日記」を百万とつみあげることにした。字数が多くて放棄されてもいい。しかしその中には、遠くで狼煙をあげているのだと気がつく方がいらっしゃれば、累々とした言葉の屍も意味がでる。私は中途半端に書き込んではいないつもりなのだ。
夜間傾聴:橋本2君(仮名)
(校正1回目済み)