湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

2/8 仮設カーシェアリングの問題点を考えつつ/情念を見失わない活動を作りたい

2012-02-09 05:57:07 | 引きこもり
2012/02/08 記
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母が深夜起きてきて、(日本)地図がないかと私に聞いた。早朝、再び起きてきて、トイレに行った後、今日は生協の灯油の日だという。たしかに灯油の巡回配達日であり、この配達は朝8時台に来る。就寝時刻が6~7時の私にとって、恨めしく、由々しい事態と毎回感じている。離れに出て行ってポリタンクをならべておかなくてはと、5時になろうとしている闇の中の庭先に出て行き、そっとシャッターを開け、タンクをならべた。近所の明りは無く冷や汗ものだった。

しかし、母はトイレだけの場合を入れて、今夜は3回起きてきていることに気がついた。今夜の通夜には出かけたいという母の意向を受け、母と出かけることになっていた。眠れないのかなと母の部屋にいくと、案の定ベッドの縁に腰掛けて、ぼんやり壁を眺めていた。

「眠れないのか」と聞く。「カモミールを飲むか」と問いかえるが、間を置いて「いや、寝る」と布団をかぶったので、私は茶の間に置いたPCの前に戻った。母の部屋の壁側から、ごとごとと音が続いていた。

遠縁と聞いていたが、深い思いがあるのかなと思いつつ、東北の方たちの地縁の濃さをふと重ねていた。

「仮設カーシェアリング」を実現するには、技術的な問題からくる提供コストの問題がある。仮設生活3年間に区切って、その生活支援、見守り支援の支援の中身をどうわかりやすく言ったらいいか。

寒冷地仕様・車検2回・LPG車ならバルブ交換1回・消耗品メインテナンス、譲渡登録料etc.これを考えると1台の車を使い切るには数十万円は見込まなくてはならないだろう。

私は個人の寄付も実際は出てくると思う。しかし、この活動は受け取り後、個人レベルで考えるとこの金額で行き詰ると考えている。企業CSRを組織していかなくては、実現は難しくなる。その車を求める筋を安直に考えると中古車ディーラーということになるが、値段があって、無いような商品を扱う業界とは金銭取引することが危ない気がする。

今考えているのが「タクシー協会」「レンタカー業界」「自動車教習所」「自動車メーカー」である。「タクシー協会」はLPG車の場合が多く、タンクバルブ交換が加わる。ここに働きかけるために、公益的な交渉の顔が欲しい。行政や公益団体のバックアップで動かなければ、先方が交渉相手と認めないだろう。大概この手は、行政が嫌がり話がつぶれる。

しかし、ことの重要さは「流れた」で済むことではない。1万6千人弱が亡くなり、3千3百余人が、未だ行方不明である。家族や仕事を失った方が仮設に入って、その重圧を背負っている。収容所ではないのだから、自由になる足の問題は基本的な課題なのだ。だから維持費は捻出する算段を行政と企業の協力のバックアップが必要なのだ。日本財団や赤十字を動かすという話も公的なネットワークで交渉しなければ、助成金ももらえない。この助成金を偽ボラの蜜に化けさせない構造を入れ込んだ活動を作るためにも、まずはテストケースを走らせて、触媒効果を得ながら、運動体を組んでいく活動がいる。

その実証的な現場の裏づけを取ることを基礎活動として別途、進めておかなくてはならない。大船渡・陸前高田の仮設を回りたい。とにかく3/1~4は、現在の運転手候補氏に3/2(金)を休んでもらわねばと、日々、拍手(かしわで)を打って拝み倒している。

車の整備士の方の意見も聴いておきたい。12日、ソーシャルワーカーさんたちの紹介の形で、活動紹介の場を一件いただいた。また某経営者団体さんの3月例会にプレゼンの場をいただいている。いずれも現在、実際に譲渡する車を抱えている方たちである。実現するかどうかが、メインテナンス料の見通しにかかっている。全市会議員さんの有志の会作りを働きかけているのも、この活動の企業CSR比重がおおきいからだ。

既に何人かの国会議員の秘書さんに、茅ヶ崎市関連課に企画提案した文書コピーを渡し概要をざっと説明したが、勿論質問を投げかけてくる方はひとりもいない。活動は誰がやっている活動であるかが、最優先される。内容はその2つも3つも後というのが実情だ。政治の想像力は所詮その程度のものなので、まずは皆が始められる明快なミッションを持った、かつ、様々なレベルの参加が考えうる裾野を持つ活動を立ち上げること…。

そんなことを考えていたら、夜が明けていた。

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私が寝床についてまもなく、灯油配達の車が入ってきた。8時半過ぎ。ゴミの捨てる時間と、これがいつも憂鬱なのだが、対応しようと起きた途端、母が待っていたように対応に飛び出した。寝ていなかったなと思ったが、対応は任せてともかく眠った。

私が起きたのが11時。母に朝兼用の昼食を作って母に食べさせた。ところが母の様子がおかしくなっていた。案の定徹夜。興奮していたのだ。間際まで心身を休ませて、タクシーを使って駅へ。ところが改札をくぐったところで気持が悪いといいだした。私を代理にして戻れというが、いくと言って聞かない。結局乗換駅で改札の外に出てファミレスで休ませ、そこからタクシーに乗り継いで斎場にたどり着いた。知らない顔ばかり。お別れを済ませて、早めに退席。帰りはそこからタクシーで我が家まで。

ひとの思いの深さを改めて感じる。何万のひとの命がかかる政治の課題の影で、黙って耐えているひとりひとりの方の身のきしみを見逃してはいけない。そう思うのだ。そこに連れそう支援を作りたいのだ。

元気を取り戻した母が、昔話を一生懸命解説している。その耳に入るその言葉の流れの底で、私は別のことを考えていた。


夜間傾聴:橋本3君(仮名・母親から)


(校正1回目済み)

コメント
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