日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

酒のかす

2014年01月21日 | 生活・ニュース


 大寒、単純には非常に寒いころをさす。寒の内は雨が少なく好天に恵まれるという。確かに雨は少ないが、寒さは立春までは続く。寒い寒いといっても瀬戸内の寒さは雪国のそれに比べることなどできない、連日の映像からそう思う。

 寒い時季には温かい飲み物がいい。いくつかあるがその一つに「粕酒」がある。呼び名は地域で異なるかもしれないが、これは飲みすぎなければ程よい酔い心地になれる。粕は酒を醸し出し、液汁を漉して残ったものでこちらでは「酒の粕」という。近くの酒小売り店の店先に「酒粕入荷」の張り紙広告が出た。

 名勝・錦帯橋の架かる錦川の水質の良さは製紙や繊維産業を発達させた。その水質は酒作りにも生かされ、川沿いの蔵元でそれぞれの長い歴史を醸しだしてきた。今、新酒の蔵出しがニュースになっている。山口県の日本酒の販売量はこのところ右肩あがりといわれる。ということは酒の粕も豊富に出回っているだろう。

 新幹線を利用して例会に参加する同好会員の一人が酒造会社に勤務している。1月の例会では全員に新酒を搾った酒の粕をお土産、と持参される。今年もいただいた。さっそく1回目の粕酒を作る。作るのは下戸の家内、味見は私がする。車で出かける予定のある時は「絶対に飲まない」が粕酒製造の条件、これは苦のないこと。

 熱燗とは違ったまったりとした酒の香は、粕に含まれる酒分がたっぷり残っていることの証。これが粕と滓の大きな違いだ。今夜は冷え込む、明日は平地でも積雪の予報。トロットした熱い粕酒を雪見酒としよう。
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高さ1.8メートル

2014年01月20日 | 地域


 裏通りを散歩しているとき、表通りを急ぐ救急車のサイレンが聞こえる。遠くで近くで救急車のサイレンを聞かない日はない。そんなことを思いながらガードをくぐった。いつものように少し背を屈めるようにして。そのガード下は、背の低い私でもそうしなければ低くて頭を打ち付けそうな圧迫感を感じる高さだ。

 高さに注意を促す「頭上注意1.8m」の標識が立っている。くぐる時には表示ほどの高さは感じない。いつだったか、高校生が自転車から降りてくぐるのを見たことがある。これでは救急車をはじめとした緊急車両は通行できない。おまけに民家密集地域で、歴史的に道幅の狭い裏通り。 

 JR岩徳線の西岩国駅から錦川の鉄橋に至る区間にはこんなガードがいくつかある。岩徳線(建設当時はは山陽本線だった)は1934(昭和9)年に全線開通だから、今の社会情勢を予測することはなかったのだろう。密集した民家の間を割るように走るジーゼルカーにはローカル色を感じる。一方で、勇壮な蒸気機関車時代を知る人は少なくなっていく。

 このガード下を掘り下げて高くし、その幅を拡張し救急車も通れる改修工事、行うとしたらどこの所掌になるのだろう。ローカル線の現状を鑑みるとJRは無理だろう。すると自治体の力に頼ることになるが、さてどうだろう。周辺に住んでる人は高齢者が多い。
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初雪の日

2014年01月19日 | 自然 季節


 長居する寒波、日本海一杯に広がる大陸からの筋雲が山陰から日本海側の北陸・東北・北海道を何日も連続して襲う。瀬戸内では見ることも想像もつかない積雪、それとの戦いを映像で見る。センター試験にも影響が出ている。受験生の動揺の少ないことを祈る。

 市内北部の方のブログには何度か雪景色が載っていた。今朝、5時ころ新聞を取りに出る。ドアを開けると冷たい風と一緒にブロックの上に積もった雪が目に入る。わずかでも雪は雪、予報が当たった。晴れた空には十八夜の月が夜明け前の空に冴えている。今、月は地球周回の楕円軌道の最も遠い位置にあるとか。それで少し小さく見えるというが、そういえば小さいのかも。

 海抜200メートルにある岩国城、それを取り囲む樹々は、吉川広家の入国以来350年以上も斧を入れぬまま原始林化した。それらの樹も初雪に薄化粧し、麓の錦帯橋や城下町を見下ろしている。この常緑広葉樹の根元に暮らす小動物たちは今年の寒さをどうしのいでいるのだろう。そういえば、城山の麓の公園にノラとして住まわされているネコの姿を見かけなかった。

 車庫の屋根の雪は日の出からしばらくすると日の当たる側から溶け始める。小さな屋根の上にも自然の節理は生きている。昨夜見た、身長ほども積もった屋根の雪下ろし映像を思いだし、日ごろあまり意識しない瀬戸内の温暖な気候を思い知り感謝する。
 

 
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まだまだ続ける

2014年01月18日 | エッセイサロン
 


 岩国エッセイサロンの1月例会は「同人誌 花水木」の発行日。前年1年間に、会員の新聞掲載された全編が載せてある。ある、というのは集稿から編集、印刷の手配に納本まですべて代表一人の手によっているからで、、代表に感謝するしかないことから断って書いた。

 今回は第8号、8年目の活動がまとめられた。掲載作品は104編、うち、毎日新聞の「はがき随筆」が72編と最多となっている。昨年のはがき随筆の全掲載数は663編だから当同好会がその1割余を占めた。会員のはがき随筆に採用されたい、載りたいという高い挑戦意欲が掲載数に連なっている、と思う。

 本の形になった作品を読み返してみると、新聞紙面で喜んだとは違った趣を感じる。それは内容も字数も変わっていないのに作品然としているからだろう。特に飾ってあるわけではないが、本という体裁がそうさせているようだ。手前みそだが、ブログの1年分を印刷し製本したときも感じている。

 エッセイサロンに入会して7年半。例会で、ほめられたり、初歩的な修正を何度も教わったり、表現についての質問に答えられず立ち往生したりと、まだまだ修練を積み重ねなければと感じる。しかし、例会が楽しみの間は当分続きそうだ。自分の作品を多くに人に読んでもらいたい、そんな大それた希望をもって楽しく投稿を続ける。

 

 
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HAKUJYAOH

2014年01月17日 | 地域


 幾つかの散歩道の一つ、見慣れた通りの駐車場に目立つ車、スポーツカーが見える。車体に何か描かれているのが遠くからでもわかる。少し足早になる。車は「ホンダS2000 AP2型 Type-S」とある。文字は「SEIRYU KOUSIN  HAKUJYAOH DREAM HERO PROJEKCT」とある。極めつけはリアルに描かれたハクジャオー決めのポーズ。映像でみた姿だ。

 CMやイベントの人寄せには欠かせない存在になりつつある「ゆるキャラ」に「ご当地ヒーロー」などの人気が沸騰している。どの実物にもいまだ出会っていないが、地域振興に貢献するということで観光大使やPR部長などの公的な肩書をもって活動している。見る人を和ませるマスクの中にはどんなイケメンが潜んでいるのだろう。

 ここ岩国のご当地ヒーロー、その名は「清流光神ハクジャオー(白蛇王)」という。名前のハクジャオー、それは岩国だけに生息する国の天然記念物「白蛇(しろへび)」から由来している。清流は日本一と称賛する人もいる、錦帯橋の架かる「錦川」の美しさを表現しているのだろう。来月には、昨年の春ころから制作されていた誕生秘話などの映画が上映される。

 ハクジャオーを描いた車、相当の思い入れがなければ高価な車に描けないだろう。そんなことから、困った時に「ハクジャオー」と大声で呼んだら即座に助けに来てくれる、そんな錯覚を起こす。危機に駆けつけるとき、マントをなびかせた月光仮面は白いバイクだったがハクジャオーはS2000だろう。
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頭 あたま

2014年01月16日 | 生活・ニュース


 「いりこ」、これは西日本を中心とした地域における呼び方で「煮干し」と呼ぶのが標準だとか。イワシの小魚を薄い食塩水で煮て乾燥したものが一般的だが、キビナゴ、アジ、サバ、トビウオなどの小魚も加工されるそうだ。その使い道は主として出汁をとることに使われる。

 子どものころから、いりこは身近にあった。出汁になったり小魚の代用であったりと、親しんでいた食材に思う。大人数だった我が家にふさわしく、大きな紙袋に入った買い置きのいりこがあった。時々は、つまんでおやつ代わりにもしていた。そんなこともあってか、今でも味噌汁の出汁はこれが1番だと思う。

 今でもよく使っているものの、訳あって頭と内臓は取り除く。その処理をするとき特に観察することもなく取り除いている。これまで、数はわからないほどやってきたが、ハットする頭に出会った。あの小さな頭部のその一部分の口が大きく開いたまま硬くなっている。

 釣り揚げられた魚が口を大きく開けてもがく映像はよく見る。しかし、小さないりこの口が開いているのは初めてだ。その姿は、加工されることへの怒りのようであり、断末の苦しみを発しているようであり、海に残る仲間へ捕まるなと呼びかけているようでもある。いりこ、という優しさは微塵ほども無く、そこに強い生を感じさせる。

 金子みすずの作品「大魚」が浮かんだ。「朝焼け小焼けだ 大漁だ 大羽鰮の 大漁だ 浜は祭りのようだけど 海の底では何万の 鰮のとむらい するだろう」。人は食物連鎖の中で生きている。どれほどの小さな物にも感謝を忘れてはならない、小さな頭が思い直させた。
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とんどの炎に

2014年01月15日 | 地域


 町内恒例のとんど祭りが河川敷広場で開かれた。冷たく冷え込んだ13日の朝方に準備された世話役さんには頭が下がる。これにこたえてか参加者がこれまでになく多い。景気の回復を願う人も多かろう。積み重ねられたお飾りもそびえるように見える。

 20人ほどが点火用のたいまつをもって積み上げた飾りを囲む。点火は参加者のなかの年男年女で希望した人と決まっている。観光や集客を目的の行事ではないから、派手さは全くない。その代り地域の親睦を育むことができる。注連縄の飾りなどの金属や樹脂製の紐などは事前に取り除く申し合わせ。我が家も家で分解し燃えるものだけを持参した。

 「点火」の指示が飛ぶ。一息の間を置いて燃え上がる。自然に拍手が起きた。猛るように燃え上がる炎を見ながら、その恐ろしさを思い出した。昨年の夏前、向かいの家が全焼する火災が発生した。ケガなど人的被害が起きなかったことに近所の皆が安堵した。とんどの炎は風まかせで向きが変わる。火災でも同じだ。風上と思った側が一転して風下に変わる。炎や煙に巻き込まれないように注意が必要だ。

 お接待はぜんざい。お神酒の振る舞いはいつだったか忘れるくらい前に中止になった。わずかなお賽銭だけでお接待を受け、勇ましい炎に勇気をもらう。年初めの行事はこれで終わった。本格稼働に向けてギヤーを入れ替える。

 
 
 
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畑の力

2014年01月14日 | 回想


 散歩道のそば。年末には大根葉が茂っていた畑が一新、畑らしからぬ芸術のキャンバスのように変わった。乾いて白くなった畝に伸びる細長い筋が現実らしからぬ姿に見える。2畝置きの大きな窪みが謎を添える。どんな作物の種が蒔かれたのか、これから植えられるのか分らないが、年末年始の間に模様替えとなった畑だ。

 「畑」は野菜や穀物を栽培するところで水を張らないものをいう。水を張る水田と区別される。また、あの人は農業畑の出身とか化学畑の出身など専門とする領域を表現するときにもおなじ「畑」を使う。こうしてみると、畑という字は、成長発展を願ってあらゆるものを養い育てる不思議な力を備えているように思える。

 何十年も前になるが、種を蒔いたり苗や種イモを植えたりして、狭いながらも菜園作りの楽しさや苦労を経験した。今は見かけることの無くなったホボロや肥桶も担いだ。法面や畔の雑草は鎌で刈り、それで畝を覆い畑の乾燥を抑えた。収穫したイモや大根はリヤカーで運んだ。収穫した後の畑は次の植え付けのため深く掘り返す。そのとき使った四つ鍬の長い柄の感触は今も残っている。

 子どものころ遊んだ田畑や小川は宅地や商業地に変わり昔を偲ぶものは何もなくなり見る影もない。見かけは時世に遅れず進化しているように見える。しかい、その裏では農業の衰退という厳しい現実が忘れられていくようだ。畑の育む不思議な力を見直すことが大切だろう。中国地方の新規就農者、それも若者が増えているという嬉しい報道がある。土の無尽の力、そこに育つ作物で人は生かされている。
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初詣の中学生に和む

2014年01月13日 | エッセイサロン
2014年01月13日 中国新聞「広場」掲載


 数人の男子中学生のグループ。自分のおみくじのご託宣を順番に読み上げている。
 そのたびに仲間同士で、大きな声で笑いながらちゃちゃを入れたり、胸を押したりし合っている。実に楽しそうだ。
 おみくじは、たとえ凶が出ても縁起が悪いと落ち込むな、大吉が出ても有頂天になるなという。
 内容をよく読み、反省すべき点は反省し、励ましの言葉として受け止め、日々努力を怠らないことが大切だ。
 おみくじは読んだ後、どうするのか。家に放置するなど、粗末にしてはいけない気持ちがある。そこで、神社の木に結び、神職の人にその後をお願いする。境内の木におみくじを結わえて帰って行った中学生たちも、3学期が始まった。ご託宣をどう具体的にこなして学年を仕上げるのだろうか。
 初詣の生徒らの生き生きとした姿に、良い年明けを感じた。家内安全を願うかしわ手に、例年よりも力が入った。
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寒い朝

2014年01月12日 | 生活・ニュース


 峠のトンネルを抜けるとそこは盆地が見下ろせる。フロント越しに見える下方の平地は白っぽい。たっぷりと霜が降りているようだ。車載の温度計も0度に下がった。ローカル気象情報では県下で最低気温がしばしば観測される盆地、今朝はマイナス3.8度。取り囲む向うの山の頂は白い、うっすらと雪を冠っているように思える。下り坂が凍結していないのが嬉しい。

 盆地の底はやっぱり霜、それも大霜。久しぶりに見る道の両側の白い光景を見ながら運転する。今日は、仲間内との月1度の農園作業。周りからはこんな寒い日にしなくても、と疑問の声が聞こえそうだ。ゆっくりしすぎた年始のもろもろをこなすには程よい作業と、寒さ冷たさは口に出さない。

 しかし、何も植えてない畑に鍬を打ち込む、凍てついている。掘り起こすとこぶし大の塊になって転げ出る。鍬で打っても容易に砕けない。固まって寒さ冷たさから逃れようとしているのに、砕かれて冷たい空気に触れるのはごめんだ、そんな塊のひとり言が聞こえる。

 大きく育ったネギを収穫する。凍てついた並びの畑なのに簡単に抜き取れる。その硬軟の違いに驚く。畝にもみ殻がかぶせてあるのと、ネギが生きている温もりで土が凍らないという。もみ殻はあったかいが、生きている作物も地中で息づいていると教えられた。息をしているから暖かい、当たり前のことを改めて気づいた、これは今日の形のない収穫だ。
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