「いりこ」、これは西日本を中心とした地域における呼び方で「煮干し」と呼ぶのが標準だとか。イワシの小魚を薄い食塩水で煮て乾燥したものが一般的だが、キビナゴ、アジ、サバ、トビウオなどの小魚も加工されるそうだ。その使い道は主として出汁をとることに使われる。
子どものころから、いりこは身近にあった。出汁になったり小魚の代用であったりと、親しんでいた食材に思う。大人数だった我が家にふさわしく、大きな紙袋に入った買い置きのいりこがあった。時々は、つまんでおやつ代わりにもしていた。そんなこともあってか、今でも味噌汁の出汁はこれが1番だと思う。
今でもよく使っているものの、訳あって頭と内臓は取り除く。その処理をするとき特に観察することもなく取り除いている。これまで、数はわからないほどやってきたが、ハットする頭に出会った。あの小さな頭部のその一部分の口が大きく開いたまま硬くなっている。
釣り揚げられた魚が口を大きく開けてもがく映像はよく見る。しかし、小さないりこの口が開いているのは初めてだ。その姿は、加工されることへの怒りのようであり、断末の苦しみを発しているようであり、海に残る仲間へ捕まるなと呼びかけているようでもある。いりこ、という優しさは微塵ほども無く、そこに強い生を感じさせる。
金子みすずの作品「大魚」が浮かんだ。「朝焼け小焼けだ 大漁だ 大羽鰮の 大漁だ 浜は祭りのようだけど 海の底では何万の 鰮のとむらい するだろう」。人は食物連鎖の中で生きている。どれほどの小さな物にも感謝を忘れてはならない、小さな頭が思い直させた。
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