1年続くNHK大河ドラマ54作目「軍師 官兵衛」が始まる。初回は1963(昭和38)年というから半世紀を超えたことになる。1作目は舟橋聖一原作の「花の生涯」だった。そのころは、当地でもTV電波が届き、普及し始めたころでTVは欠かせない娯楽用品だった。白黒画面だが見ごたえのある映像だった。
今回の放送の「軍師 官兵衛」は誰もが知っている人。しかし、これは通称であって黒田孝高(くろだよしたか)があの戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名としての呼び名。読み物では孝高とした作も多い。出家後の号は黒田如水(くろだじょすい)と名乗った。豊臣秀吉の側近として仕え、凋落や他大名との交渉などで活躍。竹中重治(半兵衛)と双璧をなす秀吉の参謀であったといわれる。
「芦屋釜( 如水釜) 吉川広家が親交のあった黒田如水(官兵衛)から贈られた品」。これは錦帯橋近くにある吉川史料館に展示中の如水釜のそばに置かれた説明。史料館便りには「現存する官兵衛ゆかりの唯一の茶道具である」とも載っている。この釜は4日のNHKのヒストリアで短時間ではあったが紹介された。
贈られた所以を同館の学芸員は「吉川広家は、如水が秀吉との取次の役目をしてくれたおかげで、とても感謝していたのです。その恩人ともいうべき如水から芦屋釜を贈られたので、吉川家では如水釜として大切にしてきました」と説明している。この広家と官兵衛、その長男である黒田長政(くろだながまさ)との信頼ある関わりは、小説「うつけの采配」で知った。
吉川広家と黒田官兵衛あったればこそ、関ヶ原の戦い後に毛利家は改易に合わず減封で防長の主となった。これは「うつけの采配」の読後の思い、こんなことを思いながらドラマを見るの者もいる。素人の考えとお笑いください。