日々のことを徒然に

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馬にまつわる

2014年01月11日 | 生活・ニュース

 
 年の初め、午にまつわる諸々が文字になっている。「馬齢を重ねない1年に」という年賀の文章を読み首を傾げた。馬齢を重ねる、ということわざは、取り立てて言えるほどの業績もなく、むだに年を取ることで、馬齢を加えるともいう。これは、年配者が自分の年齢をへりくだっていう言葉で、他人の年齢について用いるのは失礼、とある。ことわざ類の用法は細心の注意をしなさいと教えてくれた。

 よく聞くのは李白の詩から「馬耳東風」で、他人の言うことを全く聞かず、聞き流すという意味。春を告げる心地よい東風が吹いても、馬は一向に気にしないよに見えることに由来するそうだ。馬は一生懸命働いていて気づかなかったのかもしれないのに、気の毒だ。

 馬脚を露す、本来の意味が転じて、包み隠していた事柄や正体が露呈することのたとえ。会話ではぼろが出たとか、ぼろを出すとも使う。真相はこれからだが、ぼろを突かれて辞めた首長さんもいた。他にも馬食とか馬鹿とかあまりよくない言い方がある。馬鹿はサンスクリット語の読みが転じたというから馬には気の毒だ。

 馬が誇る言い方も多い。老馬道を知る、これは馬は一度覚えた道は忘れないで知っていて、人が道をあいまいに覚えているときは 馬の行く方向に行った方が正確で、馬に道をまかす、ともいう。馬に乗れば唄心、こちらは馬に乗ると心が豊かになって気持ちが大きくなり唄心がわくということ。 なので、馬産地方では草刈唄、馬子唄、馬方節、博労唄など馬に関する唄や民謡が 数多くでき、伝統芸能の一つとして伝えられているようです。汗馬の労もそんな一つだろう。

 馬は犬くらいの大きさだったがあまり枝分かれせず一直線に進化し、今の大きさになたそうだ。馬は人の気持ちがよくわかる、だから人に好かれて交流できるという。馬といえば走る、それもただの走りでなく駿馬ととなる。さらに飛ぶようにはやく走る馬を飛馬とある。でも、行きすぎを止めるには人、手綱はウマくさばこう。
コメント (2)
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