冬にしては少し暖かい感じのする錦帯橋下の川原。市内にある空手道場の入水寒中訓練、正月2日の行事として親しまれている。最年少の4歳を含む空手に励む400人の参加とか。回を重ねて49回目というから半世紀近く親しまれてきた。気合のこもった掛け声に合わせる基本技は水の冷たさを思わせない。錦帯橋上はもとより演武の周囲は大勢の見物の人垣ができる。
元日には錦帯橋下川原で岩国藩鉄砲隊初撃がある。岩国藩鉄砲隊は、岩国藩初代藩主、吉川広家が設立したもので、有坂家を中心に石田三成が興した石田流砲術の流れを汲んでいて、明治時代まで伝承した。現在の岩国藩鉄砲隊は、その技を継承しようと、1987(昭和62)年に有志が集って作られた。火縄銃で空砲とはいえ、耳をつんざき身体の奥底まで震わせる音は、銃の威力を思い知らされる。
忘れ去られているかもしれない、その昔といわれるくらい古いことだが、高校生の寒中水泳が錦帯橋上流で行われていた。黒の肉太の字で「寒中水泳」と書かれた番傘が泳ぐ光景を記憶している。赤色の蛇の目傘が水上で舞っていたようにも思う。そんな寒中水泳を体験した人がブログに書かれている。それによると、
気温より水温が高いので川に入った瞬間は正直「暖かい」、川から上がった瞬間、風に吹かれて震えあがった。参加すると希望進路に合格するといわれた、などなど。そして最後に「最近は開催されていると言う話を聞かなくなりました。これも時代の流れなのでしょうか」と結んである。その高校HPでは今も水泳部は存続しているようだ。復活されると年初めの錦帯橋畔はより賑わうだろう。
穏やかな三が日が終わる。