日々のことを徒然に

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女の悲しみを代弁

2013年01月29日 | 生活・ニュース
 久しぶりに紅白歌合戦に出場した歌手の由紀さおりさんが、文藝春秋2月号にこう書いている。少し長いが引用させてもらう。
 
 「80年代半ばから、姉・安田祥子と二人で童謡のコンサートに力を入れるようになっていた私ですが、デビュー40周年を前に『もう一度歌謡曲を歌いたい』と思いを募らせています。なぜなら、21世紀にも歌謡曲は絶対あってほしいと思うからです。

 今は音楽をリズムや映像でキャッチする時代です。手をつないだり、抱きしめたり、という直接的なうたもいいけれど、銀座の通りを歩く女の哀しみを代弁するような大人の歌もあっていい。歌詞の裏側に何かを想像し、自分で世界観を作っていくような音楽、私はそれが歌謡曲だと思っている。その魅力を多くの人に伝えることが、歌謡曲の歌手としてデビューした私の役割だと思うのです。

 とは言っても、若い人たちが歌謡曲という言葉を使わなくなった今、それを実現するのは生半可な覚悟では無理だということは承知しています」。

 歌謡曲歌手の役割実現のため準備をされているという。期待して待っている。最近は歌うというより、光と映像の中で踊りまくる、専門家の人には申し訳ないが私にはそう見える。「女の悲しみを代弁」するような味わいある歌詞に出合えない。こんなことを書くのはある会話に勇気付けられたからだ。

 紅白歌合戦を楽しみに見ていた母。それが最近見なくななった。その訳は「歌でないから」と言う。その後に拍手をしたくなるような今風の音楽への感想が口に出る。はばかれるので引用は避けたるが、要は「歌手は歌を聞かせることに徹して」というような内容だった。数千、数万の観衆を魅了させるという舞台も、そう感じない人のあることもまた事実だ。

 こうした背景は「夜明けのスキャット」や「ブルー・ライト・ヨコハマ」など由紀さおりデビュー(1969年)のころの歌謡曲が、アメリカのみならず各国でチャート上位にランクされ、逆輸入された背景がある。これは「SUKIYAKI」以来という。そこには日本人の感情表現の奥深さが認められてた。さて、どんな歌謡曲がいつから聞かれるのだろう。
コメント (2)
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