日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

金の卵か

2013年01月21日 | 生活・ニュース
           

 昨日、「だいかんのたまごをたべる」と聞かされ意味が分からず聞き返した。漢字を使って書き直すと「大寒の卵を食べる」となる。昨日は大寒、一年で最も寒さが厳しくなる頃を言い表す。「大寒と卵」の絡むいわれを聞いたのは初めて、特別な卵が存在するのかと思った。

 「鶏は寒さで本能的に産卵数が少なくなる。寒さに耐えて産まれた卵は大変貴重で栄養価が高い。そのたまごを食べると、一年を健康で過ごせる」と伝えられている。また風水では「大寒の日に産まれた卵を食べると金運が上昇する」と言われているそうな。

 「一に健康、二に金運」、その卵の値段、普段の数倍に値上がりする。高いものは8倍、それ以上のブランド品もあるそうだ。生産農家の人は喜ばれるだろう。「産んだ鶏は同じなのに」産まれ日でこれほどの差が生じる。人の世にも似たような事は珍しくはない。

 特に放し飼いをしている鶏の卵は人気が高く、食するためにはそれなりの手間を掛けないと入手困難とか。この日の養鶏農家は「寒の卵」を1個でも多く出荷するため、間をおかず鶏舎を見回れるそうだ。「新鮮な卵」を届けるため宅配の特別体制を組む運送業者もあるとか。小さな卵だがこの日ばかりは日本経済の「金の卵」に変わる。

 「地元の米を使った白いご飯に、地元で放し飼いで育った鶏の生卵をかけ、醤油を注ぐ」だけの昼食を出す店がある。味噌汁とタクアンはついている。その卵の黄身は箸で挟んで持ち上げられる、そんなお店が山間部にある。さて、このお店、大寒の卵は幾つでただろう。
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「花水木」七号になる

2013年01月20日 | エッセイサロン
           

 年はじめのエッセイ例会はいつもにました楽しみがある。前年の会員の投稿掲載をまとめた同人誌「花水木」が配られる。構成・編集・校正など発行への一連の流の全てをを会の代表一人でこなされる。年末・年始の大仕事だろうと思う。今年は印刷側にちょっとしたアクシデントがおきたそうだが、発行日は変わらず例会で第7号を手にできた。

 掲載されたエッセイの総数は96編。掲載されたときに読み、例会で感想を語り合い、時には創作にいたった面白い話に笑うなどした「作品」ばかりだ。それが本という形になって読み返すと違った感想が浮かぶ。内に秘めた優しさ、芯のある心意気、軽快なペンの中に真摯な人の気持ち、読み直して改めてそんな作風感を見出す。 
 
 エッセイ同好会の会員になってまもなく6年半の時が過ぎる。思い出せば「です・ます調」と「である調」の不統一な混在の文章からスタートした。今もそのことを克服できていない。前者だと優しく柔らかな文と感じ、後者が多くなると断定しすぎて厳しい文になる。また、安易に慣用句を使い、そのことの情景や心情描写が抜け落ちている。まだ指摘されることは多い。

 代表は「まえがき」の中でこう述べられている。「近頃の自分を振り返ってみてください。エッセイを書いていなかった頃の自分と、書いている今の自分の注意力、好奇心、観察力、問題意識など、日常生活の中でものを見る目の変化です。随分と感性鋭く丁寧になっているのではないでしょうか。これこそが充実した生き方をしているということであり、エッセイを書いている効用だと思います」。

 一番目に掲載された252字の短い随筆はその全文を思い出せる。掲載されるということはそれほどの強い印象を残す力を持っている。載る載らないは別にして「充実した生き方をしている」と実感できるよう、これからも投稿を続けていく。
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冷たくて寒い朝

2013年01月19日 | 生活・ニュース
           

 家の前の小さな四つ角。出会いがしらに一人は「冷たいね」一人は「寒いね」と同時に挨拶を交わした女性。すると、お互い相手の挨拶を言い返し笑った。照れ隠しのような笑いは相手への思いやりか、それともそう感じたからだろう。車庫の屋根は露が凍って白くなり不透明、よく晴れた青い空は見えない。冬の朝なのでどちらも通用しそうな挨拶だ。

 二つの違いはどんなところにあるのだろう。冷たいは「温度が低く、ひややかに感ずる」、寒いは「気温が低いために、皮膚に不快な刺激を感じる」と広辞苑の第一解釈。夏でも氷に触れるなどすると「冷たい」と手を引っ込めるが、寒いとは言わない。夏でも保管用の大きな冷凍室に入ったときは「寒い」という。「手が冷たい」とは言うが「手が寒い」とは言わない。

 何か分かってきたような気がする。手や足や頬が気温の低さを感じたときが「冷たい」、体全体が気温の低さを感じたときが「寒い」という表現になる。先の女性で「冷たい」と言った人は両手に荷物を提げていた。手が冷たかったのだろう、そんな解釈をして納得した。

 冷たいは、温度の低さからだけでなく人の関係でも「性格や態度が冷たい」という。何かに熱心でないと冷淡ともいう。気候の感じを表す冷たい寒いはいいとして、人間関係のそれはいいことにはならないようだ。常に暖かく心を開いた人になれ、そう自分に言い聞かせた。
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県道150号線

2013年01月18日 | 陶芸
           

 県道150号線。正式には「山口県道150号銭壺山公園線」と呼ぶそうだが、この道を定期的に通るようになって5年が過ぎた。通り始めたいきさつは「世界で一つだけの作品を作ろう」と大きく誘われ「老後の楽しみの一つ」、そんな気安さで入会した陶芸同好会の教室通い。教室は山頂近くにある「山口県ふれあいパーク」略して「ふれパク」。この施設の送迎バスで月2回往復する。

 「ふれパク」は銭壺山(標高550m)の山頂近くの標高500mにある。海岸線沿いの国道188号線を右折し道のりで約6.5キロを登る。登るにつれ道幅は狭くなり、離合ままならぬところも多くドライバーの技量を信じるだけ。それでも拡幅工事も進んで、5年前に比べれば整備されたてきた。都合で自家用車で何度か通ったが、登っても降りても神経を使う道に変わりはない。

 道幅だけではない、山道だけにカーブも難儀の一つ。車の進行方向が90度以上変わるカーブが60カ所近くあり、連続するヘアピンカーブもかなりある。そんな「ぐにゃぐにゃ」道も瀬戸内海を眼下にしながら話が弾むと、左右の揺れが程よい心地にさせる。

 そんな道沿いに小さな集落は飛び飛びだけど続く。車窓から見上げるほどの家も少なくない。荒れた田畑も多いが、耕作中の畑を目にするとほっとする。途中にはコスモスの群生地もあり、瀬戸内海をバックに写真には好適のカーブもあり、訪れる人も多い。

 この道では「ツール・ド・由宇」が行われる。映像でしか見た事はないが、自転車であの勾配を登りきるとは、ただ感嘆するしかない。坂道、明日からセンター試験、いろいろある坂の一つと考えて登りきれ。培ってきた力が出せるよう祈っている。

 ふれパクの紹介はいつかしたいが、若い指導員の高齢者への指導方法や接し方は気持ちよく、いつも感心している。そのことが続けて参加している一つにある、と思っている。
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あの日から

2013年01月17日 | 回想
             

 18年前の午前5時46分に発生した阪神淡路大震災、遠く離れた我が家でも揺れを感じ、TVのスイッチを入れた。時間の経過とともに甚大な被害の様子が伝わる。社員とその家族の被害はないか、情報収集したことを思い出す。家族を亡くしたひと、安否の確認に長時間を要したなど、幾人かの情報に接し厳しい現実を認識した。震災後すぐに、工場からライフラインの一つ都市ガスの復旧へ多くの社員がボランティアとして出むいた。

 6千余名の犠牲者の中に、神戸で事業を起こしていた同期が含まれた。仲間でどうするか相談したが、現地へいける者はいなかった。弔意を表すため代表が神戸に出向いた。応対した息子さんがしっかりしており安堵した、という報告を受けホットしたことを思い出す。

 あの日から18年、震災の事は知らぬままに誕生した子供は18歳、高校卒業を迎える。それぞれがそれぞれの思いを持っているだろう。震災の記憶は全くない、小さいときはその当時の話を聞かされても理解できなかった。やがて追悼の催しなどへ参加するうち、亡くなった人の分も生きる、その責任の重さを感じる。男子生徒の感想に「志を生かして」と応援する。
 
 震災の記憶が薄れつつある、という報道がある。その一つに、震災経験のない人が人口の4割にならんとすることと、いう。そんななかで、震災時に1歳と少しだったという男の子は、将来消防士となり、人命救助に活躍し、あわせて震災の状況を長く伝える働きもしたい、そのために今は専門学校で学んでいるという。その目に強い意志を感じ、減災への活躍を願った。
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本当は

2013年01月16日 | 自然 季節
           

 鯉、といえば広島カープに連なる。毎年GWころまでは「今年は」と期待を抱かせるが、まあ、そのあとは愚痴になるから控えておこう。開幕に向けて自主トレを始めた選手もいる。当市には二軍の練習場があり、地元では老若男女が大声援を送っている。そろそろAクラスへ足を踏み入れて欲しい。

 カープの選手は始動を始めたが、ここお堀の鯉は寒いと姿を見せない。始めは何か事が起こってどこかへ移されたのか、と思い訊ねたら、そんな事はないという。なら、どこへ消えたのか。薄く濁った堀の水は底まで見せない。寒いのでどこかでじっとしているのだろう。

 鯉の姿が見えないので浮かんだのは文部省唱歌「池の鯉」。今は歌われることはないのだろが、声には出さないが口にでた。

  出て来い 出て来い 池の鯉
  底(そこ)の松藻(まつも)のしげった中で
  手のなる音(おと)を聞いたら来い 聞いたら来い

  出て来い 出て来い 池の鯉
  岸(きし)の柳(やなぎ)のしだれた陰(かげ)へ、
  投げた焼麩(やきふ)が見えたら来い 見えたら来い

 茶店の軒先に麩を詰めた餌袋が積まれている。「一袋100円」の値札が風にくるくると舞っている。それは「商売にならない」と焦っているようで面白い。

 陽射しを暖かく感じた次の日、お堀の中には鯉の姿が見える。同じ様子を2、3回繰り返すと「鯉は冷たさを堀のどこかで凌いでいるのか」という確信に似たものが生まれる。本当はどうしているのだろう。
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いい形

2013年01月15日 | 自然 季節
            

 散歩しながら、草花や樹木の名前を知っていたらもう少し楽しさが加わるのではないか、そんなことをしょっちゅう感じる。それが叶うだけでこの殺風景なブログにも少しは華やかさが出るんもではなかろうか、そう思いながらも積極的に覚えようとしないのは何故だろうかと思う。名前を覚えられなくなっているのだろう。

 桜に梅、もみじや椿、バラや水仙、菖蒲などは分かる。花水木は同人誌のタイトルなので遠くからでも判別できる。百日紅、漢字では読みづらいが、昔の思い出が今も残っており見間違いはしない。菊も小菊か大菊かの区別は出来るが、でわ何菊か、と問われたらお手上げになる。この項はいつも妻頼りとしている。

 外出のときに花や草木だけでなく「雲の形も楽しんで」というTVの気象予報士がいる。季節感ある雲の形やその発生する気象状況や雲の特徴を紹介し、その命名の由来なども教える。なるほど、と思いながら見ているが、いつの間にか、何とかに念仏の状態になる。見たときに出来るだけ写真には残すが、それからの工夫に欠けている。

 よく晴れた日、信号のない四つ角を渡る。左右を確認した時に右側にちょっといい形の雲、それは傘を開いたマツタケのようであり、UFOが飛ぶ姿にも見える。風か気流の悪戯が作り出した自然の芸術作品だ。しばらく見ている。上昇気流に誘われたのか昇につれ形は崩れ薄くなり、そして消えた。

 自然の造形は同じ姿を二度と作り出せない果かないもの、それだけに目にしたときはしっかり残しておこう、ちょっと楽しませてくれた真っ白な茸雲だった。
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点火の喜び

2013年01月14日 | 地域
           

 どんど焼の会場へついたのは点火20分くらい前だった。その時、男性の付き添いの人に手を引かれた年を召された女性がそばに立たれた。点火用の松明が配られはじめたとき、世話役の消防団員がその女性の手をとって会場の中へ導いて、松明を一緒に持った。

 「点火」の合図に合わせ、その女性は消防団員の支えをえて、積み上げられた縁起物へ松明をあてる。瞬間、勢いよく炎が立ち上る。消防団員は抱えるようにして素早く女性を炎から遠ざけた。消防団員の立ち振る舞いのに好感を感じたのは私だけではなかろう。

 女性は、付き添い人の手を握り勢いを増す炎を笑顔でじっと見つめられたいる。その笑顔には満足感が伺える。年女として点火できた喜びや、消防団員への感謝の思いが含まれている、そんなように見えた。これまでのどんど焼の中で一番勢いのある炎だと感じた。

 寒い時期ではあるが毎年、近くの高齢者施設からも参加されている。子どものころに眺められた原風景の一つを思い出されているのかも知れない。華やかさや豪華さの演出はないが、静かに町内の平安を願う行事をいつまでも伝え残してもらいたい。
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神妙なダルマ

2013年01月13日 | 地域
           

 今日は町内のどんど焼き。高く積み上げられた正月の縁起物、そんな中に、両目の開いているダルマが1個積まれている。どんな祈願を叶えたのだろう。そのダルマ、満願の笑みかと思いたいが、これから起こることを見通しているのか少し神妙に見える。

 ダルマは禅宗開祖の達磨和尚の座禅姿を模した置物といわれる。今では願い事を叶えてくれる縁起物として、宗派、老若男女に関係なく広く親しまれている。張子は赤色、これは火や血の色である赤は古来から魔除けの効果があるという信じんからという。

 ダルマといえばこんな遊びのあったことを思い出す。二人が顔を見合わせ、笑いを我慢する。この時「だるまさんだるまさん、にらめっこしましょ、笑うと負けよ、あっぷっぷ」、そんな時代もあった。今はスマホとにらめっこをする世に変わった。

 会場では恒例の汁粉が振る舞われる。かってはお神酒も振る舞われていたが何年も前から消えた。年が明けて初めて顔を合わす人らの年賀の挨拶がそこここで聞こえる。町内のコミュニティーの大切な会場となっていることを肌で感じる。足を運んでこそ出合える世情で、スマホの世界では味わえない。 

 点火は会場を訪れた中の年男と年女が勤めるのが恒例、名士によらないところが町内催しのよさ、10数人が火の点いた松明をかざして「点火」の合図をまつ。ダルマの緊張がます。
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キクイタダキを撮る

2013年01月12日 | 自然 季節
           
           
 20年近く続く同期の飲み会は年2回。その中の一人は素人の自分からするとその写真の腕はセミプロ級と思っている。毎年「鳥」をテーマにした作品発表を仲間と「三人展」として開いている。鳥の生態にも詳しく、展示作品の鳥についても説明を聞いている。身近にこんなに多種類の鳥が住む自然があることを喜ぶ。

 散歩の途中、いつものように長いレンズをつけたカメラを構えているところを通りかかった。今日は「キクイタダキとカワセミ」を狙っているという。声を掛けたときは「キクイタダキ」を狙っていた。もう、千枚くらい撮っているが「気に入ったのが1枚もない」という。それはキクイタダキの性質だという。

 体長は10センチほどで鳥の中ではいちばん小さいだろう。全体はうすい緑色をしているのでメジロとよく間違えられる。頭のてっぺんが鮮かな黄色で、菊の花びらを戴いているようなのでこの名が付いたという。その群れは立ち話をしている堀の周囲を周回している。話しているすぐそばにも寄ってくる。警戒している様子はない。

 気づいたことがある。枝にとまっても少しもじっとすることがない。たえず「せかせか」と飛び回っていて目が離せない。超望遠レンズで超小型の3秒もじっとしていない「せかせか」する小鳥はなかなか撮れない、その訳が分かる。それでも王冠を冠ったような姿を撮りたいと根比べをしているとか。

 面白い話をしてくれた。若い人に何を撮っているかと聞かれ説明した。彼はスマホで撮っているように思った。しばらくして「これですか」と見せてくれたのが「キクイタダキ」の素晴らしい写真。驚いてよく撮れたと、聞くと「ネットで検索しました」と明るく笑ったという。

 冬鳥なのでこの時期しかチャンスはない。次回の発表会で見られるだろうか。彼の腕に期待し楽しみに待とう。(写真はネットより借用)
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