日々のことを徒然に

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横山の白蛇

2013年01月04日 | 昔のお話し


 映像でヘビの紹介が多く見られるのは巳年ならではのこと。これを好む人はそんなに多くないように思うのだが、金運の使いといわれる。「抜け殻を財布に入れておきなさい」はそのいわれの証かも知れない。岩国市には天然記念物の「白蛇」が生息、地元では大事に保護され、白蛇神社が初詣でにぎわっている。その白蛇の話が「岩国の昔話と歌謡」(昭和48年発行)の中に「横山の白蛇」としてに載っている。(以下全文)

 元文三年、この年は藩主吉川経永の治世。二月末に吉川経永は用事で萩に下り三月中旬には岩国にお帰りになられました。この春ごろから疱瘡が流行し始め六月一日には錦川の出水がはげしく、錦見土手が切れるという大惨事がありました。

 六月三日に、横山の千石原御門のそばで白蛇が一ぴき姿をあらわしました。「あッここに白蛇がいる。めずらしいことだ。」というので、早速連絡をとり、御蔵元よりこれを捕らえさせ、御勝手にさし出し、医師方に見てもらうことにいたしました。

 その自蛇は長さが五尺、大きさ胴中四寸廻りもある大きい蛇だったことが記されております。同書によりますと、およそ自蛇には銀蛇・金蛇というのがいるらしく、これらは効用のないものだということでして、中でも日計という自蛇は毒蛇の一種で、この蛇に咬まれますと、一日の中に死んでしまうため「日計」と名づけたのだともいわれております。

 ところで、このたびの自蛇の形は、鱗(黄自三角形である)がとう組のように見受けられ、日の廻りが紅く、頭は平たく口は広く、歯の上の方には、ぐの目に二た通りあり、下の歯は一並にはえておりました。尾は打ち切られたようではみの尾に似ていると記されております。

 しかしこの自蛇は、まことにおとなしくて、沢山の人びとが見物しましたのに、少しも騒ぐ様子がなかったとかいうことでありました。かくしてこの自蛇は御馬屋で、医師方が見合い、竪割にしたとあります。

 恐らくこの自蛇をはじめて見た武士たちはきつとびつくりしたことであろうと察せられます。これは余談のことですが、その六月十八日には、吉川外記をはじめ職中の諸役人の不正があらわれ、八月十八日には罪状が明らかとなり、その日に処刑されたことが記録に出ております。
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