
18年前の午前5時46分に発生した阪神淡路大震災、遠く離れた我が家でも揺れを感じ、TVのスイッチを入れた。時間の経過とともに甚大な被害の様子が伝わる。社員とその家族の被害はないか、情報収集したことを思い出す。家族を亡くしたひと、安否の確認に長時間を要したなど、幾人かの情報に接し厳しい現実を認識した。震災後すぐに、工場からライフラインの一つ都市ガスの復旧へ多くの社員がボランティアとして出むいた。
6千余名の犠牲者の中に、神戸で事業を起こしていた同期が含まれた。仲間でどうするか相談したが、現地へいける者はいなかった。弔意を表すため代表が神戸に出向いた。応対した息子さんがしっかりしており安堵した、という報告を受けホットしたことを思い出す。
あの日から18年、震災の事は知らぬままに誕生した子供は18歳、高校卒業を迎える。それぞれがそれぞれの思いを持っているだろう。震災の記憶は全くない、小さいときはその当時の話を聞かされても理解できなかった。やがて追悼の催しなどへ参加するうち、亡くなった人の分も生きる、その責任の重さを感じる。男子生徒の感想に「志を生かして」と応援する。
震災の記憶が薄れつつある、という報道がある。その一つに、震災経験のない人が人口の4割にならんとすることと、いう。そんななかで、震災時に1歳と少しだったという男の子は、将来消防士となり、人命救助に活躍し、あわせて震災の状況を長く伝える働きもしたい、そのために今は専門学校で学んでいるという。その目に強い意志を感じ、減災への活躍を願った。