日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

吉香公園 俯瞰3

2012年08月21日 | しっちょる岩国
           

 錦帯橋の屏風のような城山の麓に吉香公園が広がる。そこは四季それぞれの風景や草木に季節の花、催しで賑わっている。公園といっても吉川家の居館跡、そして岩国高校や裁判所、梅林などのあった地域が整備され今の姿になった。

 この公園を一望するのは城山ロープウエーからがお勧めだ。上るにつれてズームアップされる眼下の姿は「藩主でもあじわえなかった」見事な景色、足下の公園が我が家の庭のようにも思えひと時の優越感を覚え、俯瞰の面白さを味わう。

 猛暑の今夏、公園中央の大噴水の下では子どもらの歓声を何度も聴いた。風に流されるしぶきは日陰で子どもを見守る母親らへ降りかかる。ちょっと童心に戻っていたかもしれない。

 大噴水から国重要文化財の目加田家の白壁沿いかその目加田家屋敷を見学しながら通り抜けると、ロープウエー山麓駅に出る。目加田家はその由緒も価値あるが、二平葺(にひらぶき)といういう岩国独自の手法で入母屋造りの屋根が作られており、当時の藩の高い技術が偲ばれる。

 これに隣接して天然記念物の白蛇観覧所がある。名前のとおり蛇の肌は白く目は血管を流れる血液が透けて赤く見え、神秘な姿をしている。白い肌になぜなったか。民話では白蛇が初めて発見されたのは米蔵の奥だった。そこで「米を食べ過ぎたから白くなった」という。科学の介入しないお話には夢が含まれていいものだ。

 公園は桜の名所ともしても知られ、その季節、城山から眺めは絶景。その桜の中に日本で二番目に古いソメイヨシノの木が見つかり、名所の味わいをます。春が楽しみだ。
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臥龍橋 俯瞰2

2012年08月20日 | しっちょる岩国
           

 錦帯橋からおよそ400メートル下流、錦川が直角にぶっつかり流れを変える場所がある。そこは深い淵になっており、いろいろ面白いエピソードのあるところで龍江 (りゅうこう) と呼ぶ。そこから300メートルほど下流に臥龍橋がある。その橋は川西町と岩国町を結ぶ市民生活に欠かせない重要な橋。ルース台風で流失した歴史がある。

 臥龍橋、といっても錦帯橋の下流に架かるというだけの無名の橋。しかし、宇野千代の「おはん」で「臥龍橋はあれは去年の夏、・・・、白い浴衣きた女がすうっと私のすぐ傍をすりよって通るのでござります。この広い橋の上をあなに近うに人の傍を通らいでもと、そう思うて顔見ますと、別れた女房のおはんでござります」と描かれた橋です。

 この橋の岩国側には知る人も少なくなったが岩国警察署があった。その洋風建築の本署は石段を上ったところに押し開くドアがあった。小学校へ登校中のある朝、臥龍橋から死体の流れるのを発見し、急いで橋を渡り警察へ駆け込んだことがある。社会科の見学で訪問したこともあった。

 警察署の向かいに義済堂があった。通学や通勤で眺めていたそこの2本の煙突、そこから緩やかに上っていた煙、それが消えたとき、気持の何かが欠けた気がした。今は広い分譲住宅地に変わり古い面影は微塵ほども残っていない。

 子どものころの夏休み、臥龍橋の下の両岸は水泳場だった。名前を書いたかまぼこ板を脱いだ衣服の上に置いてから川に入る。プールという言葉も知らないころなので、そこは格好の遊び場になっていた。そんなところでも絆や思いやりを学んでいたのではと思う。その水泳場もお盆までの賑わいだった。

 臥龍橋から400メートル下流にJR岩徳線の鉄橋が見える。蒸気機関車がそこを渡るのを遊びながら間近で見ていた。おもえば畏敬の対象だったかも知れない。今は色鮮やかなジーゼル車が走る。時代は移っている。
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名勝 錦帯橋 俯瞰1

2012年08月19日 | しっちょる岩国
            

 錦帯橋は日本三名橋の筆頭、三奇橋のひとつとされ、1922(大正11)年に国の名勝に指定されている。橋は1673(延宝元)年、今からおよそ340年前、洪水にも耐える恒久的な橋の建設を目指し、第3代岩国藩主・吉川広嘉の命によって架けられた。橋の長さは橋面に沿って210m、直線で193.3m、幅5m。木造アーチ構造は世界的にも例がない(いわくに通になろう参照)。
 
 錦帯橋は橋の下から眺めると木組みの素晴らしさ美しさそして匠さが観賞できる。橋の上流からも下流からも横位置で弧の美しさの全貌を知ることができる。水面に写す逆さ円弧がより橋の美を引き立てている。

 橋を渡ると見た目よりもその勾配と川面からの高さを感じ、そこからの眺めは四季を通してしばし足を止めさす。欄干越しに見下ろすと絶えることのない清流の音が聞こえる。

 「錦帯橋はいいなあ」と思うもうひとつは俯瞰。城山の登山口から登り始めると樹木の途切れたあいまから折々に見え隠れする姿は額縁の中の1枚のようだ。さらに登る。ロープウエイ山頂駅横の広場から眺める錦帯橋は格別。それは重なる弧の連なりに曳かれる。錦帯橋デザインの切手では俯瞰した構図がいい。この日も外国観光客の目をひきつけ、ワンダフルの声とシャッター音が重なっていた。

 山頂から見ると錦帯橋下を源にしたかのように蛇行する錦川、それに沿って市街地が広がる。そこへ目を転ずるとあのころこのころをいろいろ思い出す。折々に書き出してみる。
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児童らの安全のため

2012年08月18日 | 地域
           

 夏休みに入って近くの小学校で校舎の周りに足場組みが始まった。最近、夏休みにかけて耐震化工事が行われていたので、その継続かなと見ていた。

 そのうち校舎の外壁に赤や青色などの線や四角形が描かれ始めた。通りがかるたびにその数は増え、足場の組まれた外壁全体に広がり、線は長短、四角形は大小が思いのままに描かれたようで見た目は大掛かりな校舎アートに変わった。

 工事に関係する人が見えたのでブロック塀こしに訊いてみた。線が引かれた個所はひび割れ、四角形は打診で確認が出来たはく離が心配される個所、と教えられた。続けて校舎が古くなっているから、と付け加えがあった。ひび割れや亀裂、はく離などは大きな被害の引き金になりかねない。児童らの安全は勿論、指定避難所にもなっている校舎、1日も早い工事完了を願いたい。

 ここは60年ほど前に卒業した小学校。そのころの校舎は木造で、現在の運動場の位置に建っていた。現在の校舎は木造校舎時代の運動場へ1973(昭和48)年ころに完成したと記憶している。ただ教育史料館は記憶の位置から変わっていない。

 木造校舎時代のもので一つ残っているのは百葉箱。薄覚えではあるが位置は変わっていないように思う。もう一つ変わっていないのは講堂の外壁に取り付けられている校章。横長の菱形に刻まれた角々とした「岩」の字、シンプルだが藩校からの歴史を引き継ぐ伝統を感じる。

 夏休み、暑い日ざしを受けた運動場は白く輝いている。しかし、今日は子どもらの姿はそこにない。補修工事のかん高い音が運動場を通り抜けていた。
 

 
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書く姿勢

2012年08月17日 | エッセイサロン
           

 市内の最高気温は34.9度。明け方の湿度は90%を越え、昼間も70%と立秋が過ぎたとは名ばかり、暑い暑いが挨拶だった。それでもエッセイサロンの例会は開かれる。始まれば外の暑さより例会のほうが熱くなる。

 まず、前月度の「はがき随筆入選作10編の勉強会」。まず1位から順に作品を読む。選者の講評を読む。次いで会員の感想などを述べる。選者と違う感想もしばしば。たまには、この作品よりこちらのほうが優れているなどの判定返しも出る。選者の「意見が割れた、票が分散した」などの難しい月もあるが、このコーナーは楽しみながら学習になる。

 次は「会員創作エッセイ合評会」。ここでは会員が創作した作品を本人が読む。初めのころはこの読むことに勇気がいった。その後で作品対する感想が出される。これは緊張する。勉強不足や思慮のたらなさ、語句の解釈の違いやその使い方に独自性がないなど、よりいい作品つくりへのアドバイスが次々と貰える。誤字の指摘は一からのやり直せ、そんな感じになる。

 こんな切磋琢磨の向こうに「掲載」がある。今日のポイントレッスンで「書きたいことの発見が大事。文章力とは、日々の観察や思考が統合した営み。ぼんやりと1日、1年、一生を送っていなければ、だれだって文章を書ける」とあった。簡単そうで難しいポイントと思う。

 「自分にしかかけないことを、だれが読んでも分かるように書く」、書きたいことの発見がこれに連なる。きょろきょろするのではなく、独自の視点でそれが発見できるよう、雑学も含め多くのことに興味を持ちテーマを見つけよう。

 例会への初参加から今月で満6年、小学校なら卒業にあたる。来月からは児童でなく自動的にではあるが生徒に格上げされる。一語一語を考えながらも、これまでと同じく「楽しく書く姿勢」は変えないでいく。会員の皆さん宜しくご指導ください。
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籠の外

2012年08月16日 | 生活・ニュース
           

 鳥籠は小鳥を飼うための籠をさすが「鳥かご」のほうが親しみやすい。今は禁止されているが、子どものころに町内の寺の庭で催されていたメジロの鳴き比べを思い出す。何十個と並んだ鳥かごから聞こえるその声は「いい鳴き声」だったように思い出す。

 メジロの入ったかごを何個も天井から吊り下げた下で鳥かごを作る人がおられた。小学校の帰りよく仕事場に入って眺めた。なたや小刀だけで細い丸棒が完成していくのが不思議でならなかった、ことを思い出しながら、孫が連れ帰ったインコの入ったかごを見る。インコよりはるかに高い値段、と嫁が教えてくれた。

 鳥とかご、なんとなく男と女の浮世を歌った「籠の鳥でも知恵ある鳥は・・・」が浮かんでくる。意味も分からずおそらくラジオからの聞き覚えだろうが、最近ではこうした曲を聴くことはなくなった。

 帰省してきたインコ、かごの戸は開きっぱなしで勝手に出入りをしている。手を出すと移って来る。たまには部屋の中を飛ぶ。餌や水は適当に口にしている。鳥は飛んで逃げるもの、そんな知識は打ち破られた。会話にあわせるように鳴きもする。ちょっと飼ってみようかな、短い時間だったがそんな楽しみをくれたインコだった。
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帰省の駅

2012年08月15日 | 地域
           

 山陽新幹線岡山~博多間の開通は息子が小学校入学のひと月ほど前だった。開通にあわせて博多で小さな博覧会が開催された。それに行こうと新岩国駅の駅員に確認したら息子は「無料です。入学されたら子ども料金です」ということで、開通間もない新幹線で安く旅した。往復とも車内はギュウギュウ詰め、その記憶が残っている。

 当時は「ひかり」と「こだま」の2種類。開通当初は「新岩国駅にもひかり」が停車していた。今は「こだま」専用駅で、のぞみは通過する車両をホームから見送るだけになった。東京までが当初に比べ2時間余り短縮され便利、快適になった。そんな新幹線も、完全リタイヤしてからは帰省する息子家族の送迎くらいになった。そのとき駅は賑わっている。

 建設中の新岩国駅は息子を連れて何度も見に行った。進捗にあわせ現れるその大きさに驚いた。さらに、駅は山合の駅で、ホームの端は山に接する、というより、トンネルを出たら駅、駅を出たらトンネル、それは今でも変わらない。新神戸駅、それに似ている。

 乗り換えて2時間余で京都から帰省してくる。広島駅をこだまが発車したころに家を出れば、改札口で迎えられる。便利といえば便利な時代だ。ホームでの送迎は風景は何処も同じだが、駅周辺の交通混雑は年々ひどくなるようだ。これは駅周辺の駐車料は1日350円、送迎だけでこれの利用は避けたい、ということで路上停車になっている。ここで駐車違反切符を切られた知人がいる。せっかくの送迎、気持ちよい駐停車をしたいものです。
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ミーちゃん帰省

2012年08月14日 | 生活・ニュース
           

 盆入りの夕方、孫たちを新幹線駅まで出迎え。迎えの人も多く、一時駐車のスペースがなく駅前を循環する車も多数。盆暮れなどの迎えでこれほどの混雑は初めてだ。大きな荷物を抱えた孫ら3人は元気に車へ乗り込んできた。

 家に入るといつものように3人揃ってまず仏壇へ手をあわせる。一通りの挨拶が終わったところで嫁が大きなおおきな手提げ袋を開きカバーを掛けた四角なものを取り出す。現れたのは鳥籠で我が家に初帰省のインコが1羽いる。飼育を始めたことは聞いていたが姿を見るのは初めて。誕生からもうすぐで半年という若さで名前はミーちゃん。

 孫の手に乗っている。可愛がるその手から肩、さらに頭へと動き回る。車中のストレスを発散しているようでなにかほほえましい。何度目か差し出した私の指に移って来た。初めての指を観察しているのか、しばらくじっとして動かない。やっと横に歩きをはじめた。ほっとし「おかえり」と挨拶。

 孫がまだ園児のころ、夜店で買った金魚を連れて帰省したことがあった。その時も、久しぶりの金魚が童心を覚ましてくれた。マンションでは犬猫の飼育は禁止だが小鳥などの小動物は許可とか。動き回るインコを眺めながら習性を聞く。飼育されるろいう環境の中で失っていない自我のあることにほっとした。

 新しく1羽が加わった家族の帰省で、これまでと少し違ったお盆になる。
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もう一つのメダル

2012年08月13日 | 生活・ニュース
           

 17日間に渡って開催されたロンドンオリンピックが終わった。日本のメダルは金7個、銀14個、銅17個のあわせて38個でオリンピック参加100年間で最多という。メダルに一歩届かない残念な試合も多くあったが、残念ながら勝利できなかった選手も、精一杯競技したことではつらつとしている姿に安堵した。残念はあろうがそれは次のリオ大会目指してまい進して欲しい。

 もう一つ、時差と戦いながら各熱戦を伝えてくれた放送関係者、仕事といえばそれまでだが、あの多くの感動を伝えた皆さんへ「もう一つの金メダル」を贈りたい。

 今回のロンドン大会には「ジャパン・コンソーシアム」という組織が作られ日本向けの放送をした。それに参加した実況アナウンサーはNHKと民放あわせて20人、民放アナの実況がNHKで、その逆もあったことになる。1つのクルーは解説、アナウンサー、ディレクター、通訳、ドライバーの5人という。

 ビッシリ組み込まれた放送予定は日本の勝敗や天候で日程が変わるなど、なれない外国では大変という。1日が終われば翌日の放送資料作成が待っている。観光地など行く余裕は全くないそうだ。中継を見て思うのは、アナウンサーは実によく学習されている。そのことが感動を覚える放送に連なっている、といつも感じる。

 速く高く遠くへ、4年先はどこまで記録が更新されるのだろう。実況アナウンサーの技も同じように高まるだろう。競技も放送も互いに切磋琢磨した4年後を楽しみに待つ。
 
 
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手製出版3 小道具

2012年08月12日 | エッセイサロン
           

 まず、ブログ開設からの1年分を製本した。その出来栄えに「なかなか」と納得しながら後片付けを始めた。すると、こんなに小道具を使っていたのか、と記念撮影をした。思案模索しながらの初めての作業、製本機以外はその時々に必要なものを取り出していた。

 市販の用紙を編集に合ったサイズに裁断することから始まった。裁断機は十数年前に購入した年代物。その刃をネットで検索、存在していることに驚いた。まず500枚を気持ちよく裁断した。表紙にする画用紙、それを切るナイフとそのとき下敷きにする厚紙、糊が2種類に物差し。モンキーは製本機の締め付けに使う。これらを一同にして思い当たるのがオリンピックメダリストの言葉。

 ロンドンオリンピック、その熱戦も終わりに近づいた。後半に入り連日メダル獲得が続く日本、暑いの声は熱い声援に変わっている。そのロンドンでメダリストとなった人の声が嬉しい。そろって「応援、支援をしてくれた人のおかげ」「チーム、家族、いい仲間に恵まれた」などで、自己のこれまでの大変な努力を口にされていない。その裏には「感謝」という心の共通点を感じる。

 メダリストの言葉を例えにして申し訳ないが、「なかなか」と感じる私製本、こんな小道具があったからこそ、そう感じることが出来た、と感謝する。1冊目を手にして、メダル獲得へ関与された人々の喜びを報道で見ながら、そう感じている。 
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