日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

オスプレイも並ぶ

2012年08月11日 | 生活・ニュース
           

 かわせみの巣穴を発見。そこは蛇も近寄れないマサ土の急な斜面。巣には4羽の雛がいる。雄親は餌を運ぶ。雛が巣穴から出た。待っていた一瞬、シャッターを押す。毎日、巣穴へ通い、ようやく撮れたかわせみの雛、親鳥に負けない写真愛好家の気持ちが重ねて写しだされている。

 写真が趣味という「3人展」は4回目で主題は「鳥」。その被写体は錦川流域からその河口という。被写体は同じでも狙いをどう変えるか苦労するけど、そこが面白いところと3人の話は一致していた。鳥は三脚や超長いレンズを使っては撮りにくい、そんな話も聞いた。

 写っている鳥の習性を聞きながら見ると、写真の面白さが少しは分かる。最近、公園の鳩が減少したのはタカやトンビなど猛禽類の影響もあるという1枚は、自然の摂理ではあるが、たてられた爪の下でもがく鳩の声が聞こえる。蟹の爪を切り落として食する、そんな鳥の習性を1枚の写真から学んだ。

 ミサゴが大きなチヌを電柱の頂上で食している。ミサゴは英語名で「オスプレイ」と呼ぶ。新たに配属される米海兵隊の新型輸送機はオスプレイ、展示会場からそう遠くない基地駐機場で試験飛行の準備がされている。オスプレイは来るな、その声は広まっているが、チヌを食するその面構えは確かに戦地向き、静かな街には似合わないと思わせる。

 対象はなんであれ、鑑賞や観賞をするときその対象への知識の有無、特に芸術作品を深く味わい、その深さを知るには欠かせないことだ、改めてそれを教えられた3人展だった。
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日本で二番目

2012年08月10日 | この木
           

 今年の桜が終わったあと吉香公園の古い桜の木の周囲にロープが張られた。その説明版のささやかなことに少し驚いたが、内容は染井吉野3千本の錦帯橋と吉香公園の新しい観光資源になれるのだろうか。吉香神社周辺に3本、市の文化財である厩門の庭に1本、合計4本に老桜を示すロープで囲われていた。

 小さな説明版にはこう書いてある。
「記録によると、明治19年1月21日吉香公園へソメイヨシノが植えられたことが分かります。
(当時ソメイヨシノは、吉野桜とかいわれていましたが、明治34年植物学者 松村任三がソメイヨシノと命名しました。)
また、明治時代の写真を比較すると現在と同じ位置に植えられていることから、この桜が当時植えられた桜の1本と考えられます。
そうであれば、全国で二番目に古いソメイヨシノということになります。 岩国市」 (原文のまま)

 明治19年は1886年で126年前にのことになる。説明版には吉川家 元執事長 藤田葆氏の日記より抜粋として「弐一日東京ヨリ吉香神社、竪皮吉野櫻二百本御買下シ相成り植方アリ内五十本ハ川西水西書院、植方ナリ長一間又四尺位」と付記がある。日記の深い意味は理解できないが、先の説明書きがこの日記によるのだろう。

  それでは日本で一番古いソメイヨシノはどこに。ネットでみるとそれは明治15年に青森県は弘前城に植えられ現に花を咲かせているという。咲かせるという言うことではこちらも同じ、わずか4年の違い。何れも大きな支柱で支えられている。今後の手入れしだいでは日本一になれるかも知れない。静かに見守っていこう。
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長崎の日

2012年08月09日 | 生活・ニュース
            
          
 67年前の今日、長崎に原子爆弾が投下されたことを知ったのはいつだったか記憶にない。そのとき広島に投下された新型爆弾の悲惨さはまだ伝わってなかった、と聞いたことをかすかに記憶している。
(写真は1958年4月 修学旅行で撮影)

 原爆投下が題材になり国民の愛唱歌として親しまれた「長崎の鐘」は1949(昭和24)年に発表されたという。作詞:サトウ・ハチロー、 作曲:古関裕而、 歌:藤山一郎という懐かしい皆さんが創られた。49年といえば小学校2年生のころ。ラジオでの聞き覚えだろうがこの歌は歌えた。いつか忘却する。記憶に残す一つとしてここに写しておく。

   1 こよなく晴れた青空を     2 召されて妻は天国へ 
     悲しと思うせつなさよ       別れて一人旅立ちぬ    
     うねりの波の人の世に       かたみに残るロザリオの
     はかなく生きる野の花よ      鎖に白き我が涙
     なぐさめ はげまし 長崎の    なぐさめ はげまし 長崎の
     ああ 長崎の鐘が鳴る       ああ 長崎の鐘が鳴る

   3 つぶやく雨のミサの音     4 こころの罪をうちあけて
     たたえる風の神の歌        更け行く夜の月すみぬ
     耀く胸の十字架に         貧しき家の柱にも
     ほゝえむ海の雲の色        気高く白きマリア様
     なぐさめ はげまし 長崎の    なぐさめ はげまし 長崎の
     ああ 長崎の鐘が鳴る       ああ 長崎の鐘が鳴る

 これまで被爆した事実やそれによる苦しみなどを口外されなかった方が、当時の悲惨さと平和への願いを伝えるため、語り部となられる人が増えたという。目に見えない核の怖さ、それは知るのは被爆された方の話が一番だと思う。特に将来を担う子らにはしっかりとそのことを知って欲しい。

 今月は戦争にまつわる黙祷があと2回ある。終戦前日14日の岩国駅周辺の空爆犠牲者の慰霊、翌15日の全国戦没者追悼式。
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汗に染みる意味

2012年08月08日 | 生活・ニュース
           

 汗、この時期は少し動いただけで拭わない訳にはいかない。その覚悟で仕事着にでも着替えてするなら、水分補給たまにはスポーツドリンクと休憩は欠かせない。今年は熱中症での救急搬送が例年になく多いという。齢を考えそれなりの気持ちの準備をして始めている。

 汗、汗臭いと嫌われる。確かにいい臭いではなかろが「汗」にまつわる慣用語には人の姿をうかがう、いい内容の言葉が多くある。汗になる:たくさん汗をかき衣服が濡れる。汗の結晶:苦労して得た成果。オリンピックの活躍を見ているとその戦績をなし得たのは努力があったから、そう感じている。それは見るときは手に汗を握る。

 汗を流す:一生懸命働く。血と汗:苦労し努力すること。額に汗する:一生懸命に働くことで、そこにはいろいろな責任感が浮かんで見える。汗のこうした言い伝には真摯に働く、まじめに労働する、そこから得られる姿が浮かび出る。

 散歩で汗をかく。木陰や風通りのいい道では汗が引く。アスファルトの道では照り返しで汗が吹き出る。こんな道でも腰を降ろしたくなる仕掛けに出会う。大きな桜の根に腰掛がある。そこには長く汗をかき役目を終えた木の葉が休んでいる。木の葉の安息の場のように見える。そっとしておこう。

 人、汗をかくばかりではいけない。涼しいところでひと休みして汗をおさめることを汗を入れるという。入浴して汗を洗い流すことを汗を流すという。その後の冷たい喉越しは汗が引っ込むとう。いい汗にはいいことが連なっている、そう思いながら、真っ青な空に夕立を願う。
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そっと

2012年08月07日 | 生活・ニュース
           

「オリンピック日本選手の活躍に眠れぬ夜を過ごし、少々疲れ気味。お盆に帰省する孫のために大掃除は無理でも中掃除くらいはしなければ。お墓の掃除も庭の草引きもしなければ」と忙しさを話し合っているお母さん方。場所はスーパーの通路。ほどよい冷気が話を弾ませている。

 暑くても食べることは欠かせない。そうでないと暑さに参る。食品売り場には色合い、盛り付け、見た目、それに追い討ちをかける口調の良いコピーなど食欲が誘っている。そんな中で目にした山と積まれていたのはバナナ。語呂あわせで今日はバナナの日という。

 高価で大きな患いのときに食べれる、それが子どものころのバナナのイメージ。今はバーゲンになる日もあるから世は変わった。そうかといって、何本も食べれる物ではない。そのバナナの体力維持と回復には素晴らしい力があるという。かって、オリンピックにバナナを大量持参し、その食品効果でメダルを多く獲得した国があるとか、にわかに信じがたいが、バナナ業界の人には嬉しい話だろう。

 旬には旬、我が家に実る完熟したミニトマトは食欲を増進させてくれる。毎日、よく冷やした数個以上を丸ごと口にする。砕けたトマトからジュッと口に広がる酸味と甘みがミックスした果汁は何にも変えがたい食欲増進効果を果たす。自作だからというひいき目だけではない美味さがある。

 もぎ取られる実にはそんなことを誇る様子は少しも感じない。なるのか当然です、大騒ぎしないでそっと生っている姿が私の性に合っている。この夏、トマトは豊作のようだ。今日は立秋、といっても猛暑日、暦では残暑に変わるが、もうしばらくはトマトと仲良くする。
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平和の鳩

2012年08月06日 | 生活・ニュース
            

 今年も午前8時15分、広島平和記念式典の鐘の音にあわせ黙祷した。炎天下で手を合わせ頭を下げる人の姿にただ目線を置くだけの自分のふがいなさに少々いらだちながら平和宣言などを聞いた。

 あの日の朝、爆心から40キロあまりも離れた我が家に届いた稲妻のような真白い光線、何かと慄く。間をおかず聞こえてきたのは「ドドドドー」いう鈍い音。その音にあわせてガラス戸が「ビビィー」という音を発して振るえた。ピカドンと呼ばれたがその通りの恐ろしい新型爆弾投下の瞬間だった。5歳になる少し前だったが、あの光線と振動音は忘れていない。

 原爆投下のため模擬原爆で投下訓練をしていたという報道がある。その総数は分かっているだけで49個で、それによる犠牲者は400人になるという。この歳になっても戦争について知らないことはいろいろある。  

 庭に出ていた私のすぐそばに1羽の鳩が降りてきた。それは「今日は」と挨拶するほどの近くに。何か探すようにあちこちと動き回る。腰を降ろして眺める。数十センチくらいのところをひょこひょこと歩く。警戒している様子はない。足輪は付けていない。急いでカメラを手にした。後ろからついて歩いても、手を差し出しても飛び去る様子はなく、なにか特別な鳩のように感じる。数分間庭を歩き回っていた。自転車の急ブレーキの音と子どもの声に驚いたいて飛び去った。

 どこから来たのか1羽の鳩。8月6日という特別な日に人を恐れることなく庭を歩いてくれた。それは、お盆勤めのお寺さんが帰られた後だった。安穏とした世へのいざないの鳩だと思い込ませた。平和へのいい兆しになって欲しい、飛び去った鳩を見ながらそんなことを思った。   
 

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おべべ

2012年08月05日 | 生活・ニュース
           

 温暖化の進捗か歳のせいなのか、毎年、暑さの度合いが増すように感じる。そのせいか蝉の鳴き声も「あつ~い あつ~い」と聞こえる。そう鳴きながら古い樹皮の下に産卵をしているという。1年近くそこで過ごし、脱皮し7年くらいといわれる地中生活に入る。その月日、再び地上で子孫を残すための準備期間であろうが人目に触れない生活を送る。少々神秘に感じる。

 地上に現れ羽化してからの寿命は1週間くらい、というのは子どものころの記憶がそのまま残っているだけ。何かの根拠あっての言い伝えだろうが、7年に比べあまりにも短い。その羽化した抜け殻を読んだ詩がある。             
 
 母さま、裏の木のかげに、蝉のおべべが ありました。
 蝉も暑くて 脱いだのよ、脱いで、忘れて行ったのよ。
 晩になったらさむかろに、どこへ届けてやりましよか。

 これは童謡詩人 金子みすずの「蝉のおべべ」という作品。みすずの小さな生き物への優しい思いやりが感じられる。「おべべ」は「べべ」を丁寧に表現した言い方で、べべは着物のこと。そういえば「赤いべべ着た可愛い金魚・・・」そんな童謡も思い出す。

 そういえば、夕べの錦帯橋の花火大会。家の前を通って見物に行く人の中にべべ、浴衣を着た人を見かけなかった。あのころの蝉も今の蝉も鳴き声は変わってはいないだろう。変わったのは人の住む世界だろうか。


 

 

 
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手製出版 2

2012年08月04日 | 生活・ニュース
           

 慎重に慎重に、各辺を綺麗に見栄えいいように揃えながら工房「木馬」製作の製本機へ印刷した300頁余を挟み込む。糊付けする面に、ある細工を施す。これは工房「木馬」さんから教わったことで、公開の諾否は確認しなかったので伏せておく。糊は市販されているが、家庭用としては一般的ではない。

 糊が乾き硬くなったところで製本機から取り外す。ゆっくりと繰ってみる。ばらばらにならないか、糊付けの個所は離れないか、確認しながら繰る。いい具合に糊付けされている。パラパラと繰ってみる。予想した以上の出来栄えに驚く。何度も何度も繰ってみる。本の形になった。

 これまで印刷や切抜きしたものを十数冊、手製製本している。厚いもので100頁くらいある。各辺を揃えて綴じる。その策がないので千枚通しで穴を開け、針と糸を使ってそこを縫い合わせる。手作りの表紙で飾って完成としていた。が、綴じた部分のみすぼらしさは人前には出せない。

 そんな製本でも読んでみると外見とは別でそれなりの良さを思った。それだけに今回の全6冊の完成が待ち遠しいが、秋の後半までかかる。時間はある、表紙などゆっくりとあつらえてみよう。

 今夜は錦帯橋の花火大会。例年10万余の人が河原を埋める。夜間の外出はさけ有線TVのライブで楽しもう。親戚の子らは我が家へ車を置きはしゃぎながら出かけていった。
 
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飛翔

2012年08月03日 | 生活・ニュース
           

 「オリンピックは参加することに意義がある」ということを教えられ学んだのは幾十年昔だったのだろう。いや、それは間違いだったのか、古いことを思い出してもどうにもならないほどオリンピックは変わった。見た目は変わってきたが、選手はもとよりそれを支えた多くの人の努力、それは昔も今も変わっていないと思う。

 競技だからその戦績は求められる。これまでのところ金メダルが少ない、柔道での獲得数が響いていると報道される。戦い破れて会場を去る選手の姿を見ると気の毒でならない。しかし、ここまで到達したその努力には拍手を送って間違いない。

 競泳選手の活躍、幾つものドラマとメダルと見せてくれた。テニスに卓球、バトミントンとこれまで達し得なかった域へ足を踏み入れた。アーチェリーはメダルを獲った。これについて聞かれたメダリストの山本先生は「マスコミの取材不足」と力つけていたことを証明している。

 体操の演技しながら空を飛び空を回る、その映像を見ていると、まるでCGの世界にしか思えない。大会を重ねるごとに技の研究を進め難度を上げる、超人とはこのことだろう。見上げた樹上で木の葉の舞うのを眺めながらそんなことを思った。

 陸の競技が始まる。陽を浴びながら走り跳び投げる勇姿、それは速く高く遠くへという見る人の願いをかなえてくれるだろう。体調を崩さないよう、時差と連日の猛暑を考えライブは避けている。「努力し、よく戦ったか」がクーベルタン男爵の願いだったという。スポーツだけでなく毎日の生活でも同じ、思い直してみよう。 
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手製出版 1

2012年08月02日 | エッセイサロン
           

 「本を出しませんか」「自分史を作ってみましょう」という内容のCMを目にする。それにはかなりの出費を伴うだろうことは想像がつく。予算内でおこなう自費出版、これは「書物を出版するのに、その費用を出版業者に負わせず、じぶんで負担すること」とある。記念、記録と思えばそれは金銭の多寡には変えられない。それにはそれなりの充実した内容の備わっている前提がいる。

 ブログを開いて5年めに入った頃から「1年分を1冊」にしてみよう、そんなことを思いながら書き続け、それなりに多少の準備もしていた。ところが入院などという外乱により放り出し、治療と体力の快復に力を注ぐことになった。

 そのブログがこの秋で6年目を終える。6年といえば小学校なら卒業。一つの区切りと「1年分を1冊」に再度取り掛かった。ただ、原稿作りと編集は何とかパソコンで出来る。しかし各冊300頁を越える製本は難しいというより出来ない。それを後押ししてもらえたのは、工房「木馬」製作の製本機の強い味方だった。

 その製本機を持ち帰り試作に取り掛かった。試作とはいえ第1冊目の製本に取りかかっている。木製のそれは樹脂などと違って扱いやすくて力強い助っ人、そんな感じを受けながら作業を始めた。そのできばえは次にまわす。仲間内には自費出版を経験した人もあり、自信がついたらそうしてみよう、そんな欲も思いながら出来上がりを想像している。全てが完成するとしたら秋の深まる頃だろうか。
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