日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

飛翔

2012年08月03日 | 生活・ニュース
           

 「オリンピックは参加することに意義がある」ということを教えられ学んだのは幾十年昔だったのだろう。いや、それは間違いだったのか、古いことを思い出してもどうにもならないほどオリンピックは変わった。見た目は変わってきたが、選手はもとよりそれを支えた多くの人の努力、それは昔も今も変わっていないと思う。

 競技だからその戦績は求められる。これまでのところ金メダルが少ない、柔道での獲得数が響いていると報道される。戦い破れて会場を去る選手の姿を見ると気の毒でならない。しかし、ここまで到達したその努力には拍手を送って間違いない。

 競泳選手の活躍、幾つものドラマとメダルと見せてくれた。テニスに卓球、バトミントンとこれまで達し得なかった域へ足を踏み入れた。アーチェリーはメダルを獲った。これについて聞かれたメダリストの山本先生は「マスコミの取材不足」と力つけていたことを証明している。

 体操の演技しながら空を飛び空を回る、その映像を見ていると、まるでCGの世界にしか思えない。大会を重ねるごとに技の研究を進め難度を上げる、超人とはこのことだろう。見上げた樹上で木の葉の舞うのを眺めながらそんなことを思った。

 陸の競技が始まる。陽を浴びながら走り跳び投げる勇姿、それは速く高く遠くへという見る人の願いをかなえてくれるだろう。体調を崩さないよう、時差と連日の猛暑を考えライブは避けている。「努力し、よく戦ったか」がクーベルタン男爵の願いだったという。スポーツだけでなく毎日の生活でも同じ、思い直してみよう。 
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