日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

臥龍橋 俯瞰2

2012年08月20日 | しっちょる岩国
           

 錦帯橋からおよそ400メートル下流、錦川が直角にぶっつかり流れを変える場所がある。そこは深い淵になっており、いろいろ面白いエピソードのあるところで龍江 (りゅうこう) と呼ぶ。そこから300メートルほど下流に臥龍橋がある。その橋は川西町と岩国町を結ぶ市民生活に欠かせない重要な橋。ルース台風で流失した歴史がある。

 臥龍橋、といっても錦帯橋の下流に架かるというだけの無名の橋。しかし、宇野千代の「おはん」で「臥龍橋はあれは去年の夏、・・・、白い浴衣きた女がすうっと私のすぐ傍をすりよって通るのでござります。この広い橋の上をあなに近うに人の傍を通らいでもと、そう思うて顔見ますと、別れた女房のおはんでござります」と描かれた橋です。

 この橋の岩国側には知る人も少なくなったが岩国警察署があった。その洋風建築の本署は石段を上ったところに押し開くドアがあった。小学校へ登校中のある朝、臥龍橋から死体の流れるのを発見し、急いで橋を渡り警察へ駆け込んだことがある。社会科の見学で訪問したこともあった。

 警察署の向かいに義済堂があった。通学や通勤で眺めていたそこの2本の煙突、そこから緩やかに上っていた煙、それが消えたとき、気持の何かが欠けた気がした。今は広い分譲住宅地に変わり古い面影は微塵ほども残っていない。

 子どものころの夏休み、臥龍橋の下の両岸は水泳場だった。名前を書いたかまぼこ板を脱いだ衣服の上に置いてから川に入る。プールという言葉も知らないころなので、そこは格好の遊び場になっていた。そんなところでも絆や思いやりを学んでいたのではと思う。その水泳場もお盆までの賑わいだった。

 臥龍橋から400メートル下流にJR岩徳線の鉄橋が見える。蒸気機関車がそこを渡るのを遊びながら間近で見ていた。おもえば畏敬の対象だったかも知れない。今は色鮮やかなジーゼル車が走る。時代は移っている。
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