自分のカメラを初めて手にしたのは高校卒業し就職した最初の給料の月だった。組合指定店で分割払い、何回のそれだったかは記憶していないが、コニカの一眼レフ、バッシャというシャッターを押したときのあの音は耳の奥に残っている。それまで親戚で借りていたリコーのチィという音との違いに身震いした。勿論、35㍉フィルムの白黒、50数年も昔の話になるが大事に大事に使った。
「私にも写せます」そんな8ミリ時代、表現が悪いと指摘を受けたけれど狙ったものが簡単に移せるバカチョン。白黒からカラー、デジカメへとその進化は日進月歩、いやいや最近は分秒で進歩していて、CMの機能紹介にはついていきづらい。スマホは使っていないが、その愛用者のSNSアップの写真は綺麗に良く撮れていると、ただただ感心して見ている。
アマチュア写真家の仕事場を訪問した。話を終わって室内を眺めると、カメラがずらりと並ぶ。その中に一見してレトロと思えるカメラな何台も並んでいる。手に取るのが怖いような機種、首にさげて使われていた二眼レフ、使ったことのあるジャバラ式などが並ぶ。ゴールドのカメラはロシア製などまだまだある。今式のカメラはレトロの両側に何台も並んでいる。話を聞きながら、再びシャッターを押されることのないレトロなカメラ達は「カメラ冥利にすぎる」と思っているだろう。
出歩くときには必ず持ち歩く手のひらサイズのデジカメは3代目。撮りまくっても小言も言わず記録してくれる。前の2台は不注意もあって液晶に傷が入り買い替えた。機能が高まっており楽しんではいるが使いこなせない。今度は、やがてレトロといわれるまで使いこなしてカメラに感謝されるように努力しよう。