初詣とおみくじは切り離せない。引いたそれの眺め方は面白い。その様子を撮っている人をみたが、最近の肖像権や個人情報の取り扱いで応募などは難しいだろう、そう思いながらも眺める姿を観察。隠すように覗き込む、参拝の仲間同志で回覧、カメラに納める人、それぞれに面白い。撮る人の気持ちもわかる気がする。
読んだ後、バッグに仕舞う人、境内の木々や設けられたおみくじ置き場へ置く人、こちらもいろいろ、吉凶問わず粗末にするなと聞かされているので私は境内に残す。吉はおごるな、凶は励めと思えば年初めの占いの外れも目くじらを立てることはない。購読紙の運勢、元日は「大空に吸い込まれる。心の中に平安が訪れる」、2日は「身体を集中的に休めることができる。疲労回復」、今日は的中した。
おみくじや占いの話になると「苦しい時の神頼みか」と返される。そんな状態を表す「天祐神助(てんゆうしんじょ)」という熟語がある。神佑天助ともいうが、「天の助けと神のご加護。思いがけない偶然によって助かる」の意味がある。できうる限りの手は打った、後は坐して天祐神助を待つばかり、こんな心境になったことは1度や2度ではない。
志を成功させるためには「運根鈍(うんこんどん)」が必要という。幸運に恵まれる、根気があること、鈍いと思われるくらい粘り強い事の3つを指す。どれも天からは降って来て手に入るものではない。地道に努力しなさい、おみくじのお告げをこう理解する。次の年祝いは傘寿、重い無理はせずに、これまで通りゆっくりでも、きっちりと歩む年にしていこう。