「おめでとうございます」という孫からの電話で始まった年明けは平穏のうちに三が日が終わる。弟妹も親元になると自分の親元は後回しになる。それでいい、と思っている。年々増える喪中につき欠礼の便りと合わせ賀状を整理する。今年は高齢や病によることから「今回で賀状を終わります」という文面がいつになく多かった。長年のご交誼に深謝しながら多くのことを思い出す。
そんな賀状からほっとさせるのは若い世代からのもの。それは大方が子どもの成長をはがき一杯に表現してある。スポーツの全国大会出場した時の成績とその写真からは、もしや郷土から東京五輪選手かも、年少を含む4人の子の母親からは「1年生になります」と喜びの文面、写真は無いが「わが家の居心地がいいのか一人も嫁に行きません」という娘への愚痴、「今年、息子は就活です」と成長を喜びながら心配な親心など楽しく目を通す。みんな頑張っているんだとエールを送る。
年明けは駅伝のTV観戦。満足そうな顔でタスキを渡す、突然起きた体調不良を乗り越えての完走、4秒遅れの一斉スタート、選手紹介では、くじけかけた時に掛けられたひと言、走破の裏にはいろんなドラマが折り込まれている。そんな熱い戦いを見ながら汗や涙、悔しさもあることを知る。「ゴールの時に笑うためには 練習の時に泣いておくことだ」、こんな諺を思い出しながらTV観戦する。
青山学院の原監督は「昨年11月の全日本大学駅伝で2位、あの時の負けた悔しさがチームの成長につながった」と話している。なにか諺に通じるものがある。先日、ある方のブログに「自ら体験したことから気付いたことを通して、社会に通じる意味合いを持たせた話が書ければ、面識のない人が読んでも読んだ甲斐がある」と載っていた。声援を受けるランナーにはなれないが、稚拙なブログでもいつか読んでもらえる、その努力はしてみよう。