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お母さんはどこに

2016年01月16日 | 生活・ニュース

 年末のお寺参りは報恩講、これは祖師の忌日に報恩のために行う法会。浄土真宗では、開祖親鸞聖人のご命日は今日、新暦1月16日を縁とした報謝の集いとして行われる。ほかに春季と秋季彼岸会、聖人降誕会、永代経法要、盂蘭盆会などがある。門徒として出来るだけお参り出来るように努めている。

 こうした恒例法要では、仏法に関する話として法話がある。純粋な仏教論であったり、身近に起きる出来事、それは些細なことでもそれが仏の教えにかなう事例を分かりやすく紹介される。講師は各地で法話され名の知れた高僧から30代の地元住職まで幅広い。それだけに捉え方に経験の差を感じる。どちらが良いか否かはない、門徒と接する中で得られた貴重な話として聞く。

 若い講師の法話から。ある年忌法要が終わり集われているご親族と会話しているとき、4、5歳くらいの男の子が私の膝に座って話し始めた。男の子のおばあさんがその子の名前を呼んで「お母さんはどこに行ったの」と聞く。男の子は仏壇を指さした。それはお浄土を指す。続けて「お母さんは何になった」と聞くと今度は「阿弥陀如来様を指した」。祖母の目には涙が光った、という。

 こちらは別席での話し。やはり4、5歳くらいの男の子、火葬前の棺に眠る祖母に手を合わせ見送る。炉から引き出された台をみて「おばあちゃんがいない」と叫んだ。どちらも幼くして避けられない人間の終末を感じ取った。二人の子どもは、母とそして祖母から全く知らなかった世界を教えてもらったこの尊い経験をどう育むだろう。
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