21年前はまだ現役、あの時間頃は起床する時刻だった。大きな揺れにドキッとした。すぐにTVをつけると大きな地震が発生したらしい、そんな第1報だった。建築中のわが家は揺れに耐えたか心配になる。幾筋もの炎の映像は映るがナレーションと合わない。通信線が途絶えていたことが原因と分かったのは後からのこと。急いで出勤する途中建築現場に立ち寄る、異常ないことを確認し安堵した。それは阪神淡路大震災の日の朝のこと。
今、遠くから伺う限りでは復興したかに思われるが、孤独死を頂点にして隅々まで復旧復興に至っていないと慰霊の日が近づくと報道される。その慰霊の式もかっての半数ほどになったという。原因は被災経験者の減少と高齢化、経費や世代かわりなど沢山あろう。東日本大震災の教訓と合わせ、30年以内といわれる東南海地震への備えをしっかりしてほしい。
自然災害だけでなく、日常生活の安心と安全も大切な行政の施策を期待する。目に見えるインフラや箱物施設の建設ばかりでなく、人の心を癒しうるおす文化面にも大きな力を注いでほしい。インフラ整備や箱物の羅列、助成金という飴玉をもらってくることを政治手腕とする有権者もあるが、それらでは本当の安らぎは得られない。子や孫らが親父や爺ちゃん時代の遺産、そんな仕事を残してほしい。
任期満了にともなう市長選が始まった。横須賀基地からの艦載機移駐で極東最大クラスになろうとする米軍基地を抱える街での市長選。基地にまつわる安心安全は自然災害とは異なる。それだけに解決に困難な問題もあろうが、民意優先の市政を推進して欲しい。まず、子どもと高齢者が安心して暮らせる街になれば人々は安心して定住する。