”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

「頑張る同期!」

2006年07月30日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 10名以上もいた同期の琉球大教授連が今年になって続々とリタイヤ。かと思いきや新しいスタートを切ったメンバーもいる。
 かたや、照屋輝一琉大TLO社長。産学共同を掲げ各地で立ち上げた大半のTLOが赤字、その存在意義が問われつつある最中、照屋TLOは初年度から黒字計上。補佐に恵まれた幸運も力量の証左。
こなた、機械エネルギー科を退いた屋良秀夫教授、今春労厚省管轄の沖縄職業訓練開発大学校長に就任。毎年当社も同校から新卒採用しているが全国最低就職率の沖縄で毎年ほぼ100%近い就職率を誇る同校の実務教育とそのカリキューラムの厳しさはつとに有名。

 こちら、そろそろ店仕舞かと思っていた矢先の両博士俊才の再スタート、さらには医師職を投げ打って知事選に打って出ようかという同期もいる。ともあれ我等が敢闘キックオフに乾杯!
 
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呉 善花「スカートの風」;角川文庫

2006年07月29日 | 「Weekly 読書感想」
 いうまでも無く著者のデビュー作。平成9年の初版から16年までに9版を重ねる程の評判を呼んだ。ヨンさんブーム到来以前の著作。
「スカートの風」とはチマパラ、彼の国の“飛んでいる女性”をネガティブに指すらしい。あれ程反日感の強い韓国の女性が何故これほどまでに来日するのか、著者自身が自己分析するかのようにその背景・理由を説いて行く。一つには韓国社会の被い難い男尊女卑があるようだ。とくに彼の国で離婚した女性の行き方は在日差別と比較しても過酷らしい。
 書中、韓国出身ホステスのひたむきさを描いているが、かって私が2度程連れて行かれたキーセンバーの女性の印象は“ひたむき”と言うより手強く愛嬌一辺もなく、こちらをジロジロ値踏みする如く、あまりいい印象は残っていない。もっとも“ケチ重田”の別名がある如く、私の顔に“そんなにお金払えないよ”と書いてあったのを読み取られたのかもしれない。

 韓国にはない「なになにさせて頂きます」という日本語表現から両国の価値観と文化理解にアプローチする視点は新鮮で“外国人によって書かれた日本語文芸の貴重な財産“という作家・関川夏央の巻末解説には賛同する。何で2冊も3冊もこの著者本をと言われそうですが、何を隠そう連合いの払下げでした。
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「時流表裏」

2006年07月29日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 これは目を離せない沖縄タイムス社の評判コラム。ともすれば沖縄礼賛風潮に乗ってブームや流行に乗る現象・商品の危うさ・隘路、浮薄の裏を常に精緻な筆致で抉剔する。時にシニカルながら傾聴すべき忠言や警告も発する。
綿密な調査と考察を窺わせる文面を見ると筆者はさぞかし冷厳繊細・細面、人を射る様な眼光鋭い眼差しを想像させる。
 もし、読者がそう想われるなら執筆者には会わない方がいい。常時ニコニコ、目尻下がれど愛娘に目が無く、初期メタボリック症候ふっくら。どこからあんな犀利な文章が生まれるとかと思う。真に“文は人ならず”。そう、写真左の御仁。何です?お前はどうかって!ここでは自分のことは棚に上げてです。

 真中は新任RBC報道部長。米国留学経験から英語も堪能。かって正月知事との特別座談番組等何度かお世話になり、ハワイ取材でもご一緒した。屋良文雄ジャズライブハウス「寓話」での一夜。

 私の中学・高校後輩・遠縁にも当たる与那覇前部長は大阪支社長へ転任。任地での痛飲を待望しています。
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「真夏の悪夢」

2006年07月28日 | 「頚腕症候治療レポート」
発病入院数日前の先々、箱根合宿から一人途中下山。そのまま週末4日間休んだ。間歇的に襲ってくる全身咳に体は辛かったが、連合いもパート、4日連続の一人の生活は久しく無かっただけに心理的には言い知れぬ開放感。終日PCに向かい、疲れたらそのまま仰向けにひっくり返り仮眠。電話も来客もなし“社長!ちょっといいですか”の邪魔も入らず、天国だ。

 仮眠から覚め、咳き込みつつ、やおら長年覗いた事の無い連合いの書斎を見るとは無しに覗いた。観世流100選、千宗室10巻に岡部伊都子全集、住井すえ、窪田船弥等々が並ぶ。そしてやっぱり小倉隆蔵著はじめ韓国もの10冊も越えるか。下段に行くに従い“うん?”と思った。上野千鶴子?なんで?そして「夫婦別姓研究」タイトル本?もしやと思い“熟年離婚”なるタイトル必死で探したが、その種書籍は見付からない。
 やれやれと思っていたら階下で“ただいまあー”の声。慌てて自室に戻り狸寝入り。真夏の昼間の悪夢でした。
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「那覇高後輩山田さん・さいたま市議へ」

2006年07月28日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 那覇高21期の後輩・山田ちづ子さんが来るさいたま市議選に立候補すべくこの度大宮市で事務所を開きました。山田さんは旧制安室、ご尊父・ご兄弟はいずれも医師として有名。
 出版社勤務のご夫君と結婚以来、大宮に在住、学習塾を経営する一方ギャラリー南風」を経営、紅型、焼物、ガラス工芸品等沖縄文化を発信、沖縄出身の平らゆきさんを招いてオキナワンミュージックのコンサートを開催するかと思うと毎年同好を募って沖縄ツアーを実施する等、埼玉と沖縄を繋ぐ活動を精力的に継続して来た。気さくな人柄もあって、学習塾教え子のご父兄や培った地元沖縄フアンに推されてこの度、革新系無所属から市議に出ることになった。

 この日、大宮氷川神社に近い事務所の壁面には紅型、芭蕉布が飾られ、卓上にはゴーヤー、そうめんチャンプルー、オリオンビール、泡盛と沖縄一色だった。激励に集まったのは9割方女性、唯一の沖縄出身代表として挨拶させられた。
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「プラザハウスとDFS」

2006年07月28日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 かって米軍駐留カルチャーのシンボルとも言えるコザの「プラザハウス」がいま琉球MIX文化の再生・発信に苦闘しているとしたら、ここおもろ町のDFSは地元沖縄には一向だにせず、観光客向けに臆面もなく外国製品を売る。「プラザハウス」から見たら真に悩ましい存在だ。ここには観光集客と地元文化振興で揺れる視点の象徴が見える。

 とは言えここDFSの人事部には滞米4年以上と本土企業経験を併せ持つ沖縄出身女性スッタフ達が謂集する。沖縄ならではの人材だ。
 実はお隣の女性はTOEIC900点以上、かって短期ながら当社の総務秘書仕事をしていました。
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「私のフルマラソン記」

2006年07月27日 | 「マラソン挑戦」
 私は1992年第8回から18回まで連続10回、毎年12月第一日曜に開催される「ナハマラソン」に出場し、内8回は完走メダルを貰った。
 第8回は兼城陸橋32キロ地点の制限時間4時間に5分間に合わず脚切り。昨年の18回は32キロ地点を制限時間内にクリアーしたものの残りの10キロに1時間半かかりゴールの奥武山グランドに到着したのは6時間半かかった。最後の10キロはほとんど歩いたようなものだが制限時間なしのホノルルマラソンなら立派な完走だ。なにしろ途中でへたり込んだり、落伍者用の車に拾われずとにかくゴールまでたどりついたのだから。その詳細は追って「ナハマラソン追悼記」で。

 フルはこのナハ以外に「沖縄マラソン」1回、東京都荒川河川敷で行われる「荒川マラソン」2回と合計これまで21回挑戦している。30キロ、ハーフ、10マイル、10キロは数え切れない。
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勝方恵子「沖縄ナショナリズム」;琉球新報(日曜評論)

2006年07月27日 | 「Weekly 読書感想」
 沖縄出身外の研究者に常に問い掛けられる問い「Why Okinawa?」 
 研究する側とされる側の主客関係は植民地主義の残滓と言う根拠を西欧のオリエント研究スタンスを指摘する。植民地主義にはナショナリズムが対峙・台頭する。研究者としての当事者主義、そして沖縄研究の県外者でも“沖縄を食い荒らす部外者”として被害当事者になり得るというからややこしい。
 研究主体と研究対象の関係理解にエッシャーの騙し絵やベラスケスの「侍女たち」を投げ掛ける視点は当評論の白眉だが、その解釈に“う~ん”と唸ってしまう。
 一口に研究対象とのダイナミズムというがこれは何だろう。多角化の謂か。
 筆者自身の惑いも微かに伝わるが、沖縄研究の新しいスタンスと胎動への朗々たるヘラルド・マニフェストと言っていいだろう。
 到底研究主体にはなり得ないサイドとしては微力ながらも応援とエールを贈りたい。
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「プラザハウスとはちぢ」

2006年07月27日 | 「美ら島沖縄大使」便り
”はちぢ”とは江戸文化の鉄漿同様、近世琉球における既婚婦人の風習。
 以前にも書いたが米留0B会「金門クラブ」メンバーが集う那覇「ハバビュー・クラブ」と軍属買物客が集うコザ「プラザハウス」は日本復帰前沖縄の政治的・文化的エリート・スッポトで典型的植民地租界とも言えるが当時、私達にとって敬遠と羨望の的だった。 時代は変わり、歴史的存在になったその「プラザハウス」の再生と新しいマーケッテングビジョンの担い手は英語を駆使、欧州、アメリカと企画、買付に奔走する・わが奄美の血を引く平良専務。 先日はパーカと手を組み琉球漆工芸MIX製品発表。今回は沖縄文化を凝縮紹介する透明ファイル・シリーズをリリース。就中失われたの鉄漿(おはぐろ)習慣に匹敵する琉球文化・既婚女性の証・手甲はぢち(刺青)には衝撃を受けた。
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「箱根合宿」

2006年07月26日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 3ヵ月後の10月にスタートする当社第28期に向けて経営方針策定の下地作りのため、25,26両日、幹部社員11名と共に箱根の健保施設で合宿しました。主題は来期へ向けての体制再編でしたが、日頃東京本社、大阪、静岡、名古屋と顔を合わすことの少ないメンバー同士の懇親・意思疎通も大きな目的でした。
 参加者全員がKJ法に基づき経営外部環境と社内要素、いわゆるSWOT分析を行い、思いつくKey Wordを記入、これを部屋のガラス窓に貼り付けつつ、討議、分類、意思統一を図って行く手法。ごく日常的に我社で行うやり方です。

 私としては本来週末の休日を利用して、やりたかったのですが、この時節、夏休みとて、週末は2ヶ月先まで家族利用で予約満杯。ウィークデイのこの日もが連れでほぼ満杯でした。


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美崎太洋「遊画遊彩」

2006年07月22日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 銀座月光荘での第12回個展。
ギター弾語り・カラオケ教室経営の太洋さんが油絵に手を染めた当初の同好有志による上野美術館展示会、まるで幼児画とも思えた奔放な筆致。年を追う毎に野獣派とも思わせる大胆なタッチはいよいよ冴え、今回は一段と抽象度も高くなった様。同時に画材テーマーも心持ち海から生花にシフト。
 上野、巣鴨、銀座と12年続いた展示会もあり、あたかも太洋コレクターかの様に当社・太洋作品展示。今年も販売促進担当の内助陽子さんの笑顔が弾けていた。
展示は明日23日(日)まで。会場は銀座国際ホテル裏。間に合わなかった方は琉球料理店・池袋「みやらび」に行けば太洋作品が見えます。
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「沖縄クラブ」H18年総会

2006年07月22日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 東京には県人会、経営協会はじめ各郷友会、同窓会はじめ各種の沖縄関係団体がある。その中で「沖縄クラブ」は他に比べ文化的、アカデミック的雰囲気が強いのが特色かと思う。
 私が当会に初めて参加した昭和40年台後半の県人会ゲストには野党国会議員、経営協は保守・与党議員とはっきり政治的色分があった。「沖縄クラブ」はそうした政治色を嫌う在京沖縄出身の文化人が集っていたように感じた。当時は県人会、経営協等にほとんど顔を出さない尚氏も時折出席していた記憶がある。
 そもそも当クラブは(財)[沖縄協会]の主導で設立され、会則には今も事務局は協会内に置かれるよう定められている。初代会長は大浜元早大総長、二代目は茅元東大総長、30年近く続いている川平朝清三代目現会長も昭和女子大監事と学術畑だ。
 当クラブは他に比べ学者・官僚OBや八重山文化研究会員等“功なり名を遂げた”高齢・文化人70名前後のメンバーで構成されている。現・川平会長によってメンバーの若返りがなされたが、それでも私などは若い方。毎回の講演での年配メンバーの長々した質疑応答にはしばしば辟易するが、その内容には啓発されることも多い。10年前には私も会長の要請で「沖縄マルチメディア特区」と題して講演した。この日の総会記念講演は玉城朋彦氏による「琉球自治州について」。
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「那覇商業先生ご来訪」

2006年07月19日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 この季節、毎年沖縄から高校の進路指導の先生が来社される。今週は那覇商業高校から友利・上門両先生が来社された。
これは進路指導の一環として卒業生の追跡・定着指導と就職状況の把握を目的としての恒例。企業現場見聞による先生方の研修目途もあるのでしょう。当社は同校卒業生4名の採用実績があり、その一人は今年の採用です。

 ここ10年、職場実習引率とこうした会社訪問を受けていることもあり、ほとんどの県内高校には弊社を知る先生方が居られるようです。両先生がたまたま琉球大法文科の出身で、今春その後輩が当社に入社していること、当社沖縄事業所社員のご兄弟が同校教諭として勤務している縁などが重なり、盛り上がりました。

 両先生はこの後都内数社、明日には関西の数社訪問予定とのことです。

 
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「定年退職部長を送る」

2006年07月18日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 先週、当社岡田CS(カスタマーサービス)部長が満60歳を迎え、定年退職しました。部長は元日立造船の構造計算SE、関連会社を経て当社にキャリア社員として入社、爾来勤続10年、この間旧CG部門再興や営業担当として大きく貢献して頂きました。
 有志が準備した赤いチャンチャンコ衣装を着た先週の送別慰労会には10名の退社OBが出席、部長の人柄もあるとは言え「NASは不思議な会社ですね」と言われました。沖縄事業所の社員懇親会等にもしばしばOBが顔を見せる。他社とどこが違うかよく分からない。
 照れているのか、ばつが悪いのか、こうしたOB社員で自ら挨拶に来るのは1割ほどで大方私の方から“元気か”と声を掛ける。社長としてそんな教育も出来ていなかったというのは出来過ぎた反省か。

 希望すれば子会社の契約社員としての継続勤務制度もありますが、今回を含めこれまで4人の60歳定年退職者を送り、社長として新人受け入れとはまた違った感慨があります。

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「久し振りの沖縄事業所」

2006年07月17日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 先週、来春採用の最終面接のため久し振りの沖縄出張。50名近い応募者の一次、二次選考の結果12名が社長最終面接。この日、琉大工学・院生を含め6名を内定したが求職環境の良い今年、来週4月の入社まで残るのは何割か、油断出来ない。
 事業所配属の新人歓迎を合わせて、東京、名古屋出張中の二人を除き事業所メンバー20名と懇親会。事業所にはこの他6名の他社パートナーが働いている。
実は二泊の出張後の木曜午後、羽田から本社直行、残務を片付け、翌金曜恒例の同業社長14名の箱根合宿に向う途中の小田原で、親族の訃報が入り自宅に引返し、喪服に着替え大阪に向う。一週間に東京―沖縄―埼玉―小田原―埼玉―大阪―埼玉と往復することになった。通夜・葬儀では久々に在阪の親族と顔を合わした。気忙しい移動の最中、緑豊かな泉北沿線の眺望に心和む。特に目指した斎場地・紀伊半島中の「光明池駅」のパルテノンを偲ばせる整備・発展振りには目を見張った。
(クールビヅ・かりゆし一色の事業所メンバーに囲まれた新人歓迎会)
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朝吼夕嘆

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