”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

「沖縄女性のパワー」

2004年02月28日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 県トップの沖縄電力広報室長の大田さん。WUB東京会長として寄付をお願いに上がった際の悠揚迫らぬ沈着な応対にはタジタジとした。愛娘の華子さんは東京女子大で数学専攻。、県内志向の強い県出身者としては珍しく強力な親御さんのコネを振り切って都内有力都銀のSEとして就職。親元に置きたいという強い思いを抑え、県外でのキャリア形成に敢えて背中を押したお母さん。この母ありこの娘あり。

 長嶺祐子さんは早稲田仏文から米留を経た通訳としてのキャリアを敢えて捨てた。人の言葉を伝える仕事に当事者としての実感が掴めずもどかしかったという。上京しIT企業の営業職へ転じて今輝いている。
 そして川平さん。県内有力紙の役員秘書ながら琉球舞踊ではグランプリンを受賞した名手。高校時代は長刀の選手。この春から東京に居を移し日本舞踊に挑む。

 沖縄女性の輝きとパワーに圧倒さた厳寒麻布の一夜でした。
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「沖縄女性のパワー」

2004年02月28日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 県トップの沖縄電力広報室長の大田さん。WUB東京会長として寄付をお願いに上がった際の悠揚迫らぬ沈着な応対にはタジタジとした。愛娘は東京女子大で数学専攻。、県内志向の強い県出身者としては珍しく強力な親御さんのコネを振り切って都内有力都銀のSEとして就職。親元に置きたいという強い思いを抑え、県外でのキャリア形成に敢えて背中を押したお母さん。この母ありこの娘あり。

 方や早稲田仏文から米留を経た通訳としてのキャリアを敢えて捨てた。人の言葉を伝える仕事に当事者としての実感が掴めずもどかしかったという。上京しIT企業の営業職へ転じて今輝いている。
 そしてこちら。県内有力紙の役員秘書ながら琉球舞踊ではグランプリンを受賞した名手。高校時代は長刀の選手。この春から東京に居を移し日本舞踊に挑む。

 沖縄女性の輝きとパワーに圧倒さた厳寒麻布の一夜でした。
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新井白石「折りたく柴の記」(岩波文庫) その2

2004年02月23日 | 「Weekly 読書感想」
 白石は儒学の師である木下順庵の推挙で甲府藩主綱豊に侍講するが、綱豊が6代将軍家宣に就任するに伴い、幕府に登用されたのが実に53歳。

 犬公方・綱吉死去に伴い「生類哀みの令」廃止を進言したのは大きな功績だが、その罪害に関する感想は遠慮勝ち。朝鮮特使との式典を巡る「有職故実」論争や貨幣改鋳で有名な勘定奉行荻原重秀を弾劾する部分は印象に残る。後世、荻原は汚職に塗れた悪奉行のように書かれているが、今で言えば時の首脳に重用された竹中金融庁長官のような、一種のテクノクラートで彼だけ悪く言われるのは気の毒だ。

 元禄15年、46歳の時に赤穂浪士討入があるが特段の記述がないのはどうしてか。

 享保の改革を断行する豪腕の8代吉宗の就任に伴い「小賢しい!」とばかりに罷免され、同じ木下門下の僚友・室鳩巣が登用され、60歳から死去するまでの69歳の晩年は不遇だったが恨み辛みは記していない。私蔵本とはいえ外部に漏れて子孫へ累が及ぶのを慮り抑制したのかもしれない。しかし没後279年目、私のような読者もいる。おこがましい限りだが「嘆くな白石!」と云いたい。
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山路安静「投稿文集」私家本

2004年02月16日 | 「Weekly 読書感想」
 敬愛する我那覇高校の関東城丘同窓会会長である先輩著者が地元紙「琉球新報」の文化欄「落ち穂」に連載したコラム文集。私も時折コラムを読み、「カタミアチネー」(担ぎ荷行商)や「カミアチネー」(頭上載行商)等今や死語となった懐かしい沖縄の言葉が沢山出てくる。

 この文集のユニークさは、氏の文章に感激した郷土在住の同期が刊行し、有志に無償配布したことだ。同期の方々が前書を送呈するなど先輩の人望と同期の厚い友情の羨ましい合作。お送り頂きありがとうございました。

 コラムは平成15年1月から6月までの14篇。中には県人会や同窓会等在京関連のコラムもあるが、基地やリゾートなど一切触れず、すでに私達の世代からは忘れられつつある戦前沖縄の風物や行事の記事が強く印象に残る。掲載コラムだけに止まらず、懐かしい写真や手紙、関連資料等が盛り込まれ、戦禍のない沖縄の良き時代を立体的に伝えて、編集作業に携わる同期の方々の楽しさが伝わってくる。貴重な文化史と資料にもなっている。

 こうした過ぎ去った時代を活写する文章は県内当地に住んでいる人にはなかなか書けず、「故郷は遠くにありて思う」という言葉のとおり、若くして県外に出て、今後とも帰郷在住する可能性のない文才の胸中に、鮮やかに懐古と共に惜しむように凝固するのだろう。

 末尾に著者は「文才のない私」と書いていますが、何の先輩のお兄さんは県内で高名な作家、あの兄ありてこの弟ではないですか。山路先輩失礼しました。
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新井白石「折りたく柴の記」(岩波文庫) その1

2004年02月09日 | 「Weekly 読書感想」
 以前から興味を持っていたが昨年のクリスマスに読み始め先週漸く読了。全編候古文で難儀したがそこは日本語、読み進むうちに英語より慣れる。とはいえ、煩わしい寺社仏閣の訴訟論争や全頁にある脚註はどんどん飛ばし読み。

 二宮尊徳ばりの少年時代の刻苦精励振りを記した「上」部は余りに有名。「中・下」部は徳川6代将軍家宣、7代家継に仕えた白石が子孫のために残した自伝記。今風に言えば首相秘書官か内閣参事官の回想録のようなものか。元禄の関東大地震や宝永の富士山噴火等が昨日のように記されている。火事や親族の死亡が頻繁に記されており、当時の江戸社会のはかなさが分かる。

 書中、「琉球は日本語を使う唯一の外国」とか美里、豊見城王子等慶賀に江戸登りする琉球貢使のことが何箇所か記されている。思わず琉歌「上り口説(クドチ)」の歌詞を思い出した。
 白石の「南島誌」には「君知るや名酒あわもり」で有名な醗酵学の坂口博士を遡ること250年前、泡盛賛歌の記述がある。いつか読んでみたいと思う一冊。
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真喜志康忠 「沖縄芝居と共に」(新報出版)

2004年02月02日 | 「Weekly 読書感想」
 先頃、両陛下を招いた沖縄国立劇場の?落で組踊「執心入鐘」等が演じられた。一度組踊を見る機会があったが、どう見ても面白いとは思わなかった。冊封使達も式典プログラムの一つとして我慢して見たのではないか。演劇評論家の三隅氏が「接遇のための創作で観衆不在」というのを読んでなるほどと思った。潮騒を聞きつつ、モー遊びや生活の喜哀として発生した多くの琉球舞踊とは違うということか。能も面白いとは言えないが、武士の嗜みとして愛好されている面もある。

 著者は戦後沖縄芝居の全盛時代を代表する役者。幕引から拍子木頭、座長と文字通り身を持って沖縄芝居を担って来た生き字引的存在。豊富な写真や年表もある250頁近い上製本。書中、著者の側で緊張する「ちゅらさん」のおばぁ役で今ときめく若き平良とみさんの20年前の写真も見える。
 もともと沖縄芝居は、「口立て」を旨とするため脚本やト書き、著作は少ないことから本書は貴重だ。一貫して流れる論調は学者や批評家達、知識人への不信感と苛立ち。組踊りの課題についても「ラーサン(相応しい)配役」「輪番を避ける」「見巧者による評価」等いくつかの提言がある。それにしても組踊保持者で沖縄芝居見巧者のアンマー達の圧倒的支持がある著者が、今回の歴史的柿落に登場しないのはなぜか。その背景には以前からシバイシー(役者)に対する県内学者や当局の偏見が囁やかれている。不幸な話だ。

 中学時代「安謝劇場」で著者率いる「ときわ座」の「武士松茂良」や「多幸山」公演を見た記憶がある。沖縄の団十郎とも言われた立役だけに艶福家の評判も高かったが、過年愛娘・きさ子さんと3人で食事をした時の印象は静かな学者然とした姿だった。琉球大学の講師を務めておられる。
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朝吼夕嘆

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