安里小、安謝中、那覇高、琉大まで同じ唯一の同級生がジャズ・ピアニストの屋良文雄。しかも、大学は揃って1年で中退。もっとも彼は音楽専攻で私は法科。
沖縄出張三度に一度、彼そっくりの二人の息子さんと奥さんで仕切るジャズハウス「寓話」に顔を出す。全国的に屋良フアンがおり、いつも観光客がいる。ここで本土ではまず会えない加藤登紀子や永禄輔さん等に会ったこともある。
屋良は今でこそ県ジャズ協会長を務めるミュージシャンだが、中学時代はリレーやバレーボールの選手だった。毎年一緒にナハマラソンに出るが大体彼が先行する。
先日、提携先サイオン社の宮城さん送別の2次会に同僚の安里さんと。お二人ともお子さん抱えながら、琉大から沖縄富士通に。当社東京本社にも出張厭わないバリバリのSE。
この夜、閉店近い更夜にもかかわらず、屋良は我々のために珍しくショパンを2曲弾いてくれた。昭和30年当初、まだ茅葺の残る安謝小音楽室で放課後よく一人オルガンを弾いていた屋良を思い出した
沖縄出張三度に一度、彼そっくりの二人の息子さんと奥さんで仕切るジャズハウス「寓話」に顔を出す。全国的に屋良フアンがおり、いつも観光客がいる。ここで本土ではまず会えない加藤登紀子や永禄輔さん等に会ったこともある。
屋良は今でこそ県ジャズ協会長を務めるミュージシャンだが、中学時代はリレーやバレーボールの選手だった。毎年一緒にナハマラソンに出るが大体彼が先行する。
先日、提携先サイオン社の宮城さん送別の2次会に同僚の安里さんと。お二人ともお子さん抱えながら、琉大から沖縄富士通に。当社東京本社にも出張厭わないバリバリのSE。
この夜、閉店近い更夜にもかかわらず、屋良は我々のために珍しくショパンを2曲弾いてくれた。昭和30年当初、まだ茅葺の残る安謝小音楽室で放課後よく一人オルガンを弾いていた屋良を思い出した