昨年9月帝国ホテルで創設41周年パーティを開催した那覇高校同期の流山中央病院の国吉理事長を千葉県・初石に訪ねました。この日ご一緒したのは大川(株)ヴィレラソン社長。大川さんは関東沖縄経営者協会の会員で看護師や介護士を紹介する会社ですが、たまたま私が紹介した流山病院に数人の看護・介護士を紹介すること出来、その御礼を兼ねての訪問でした。80歳を間近にしながら毎日の如く診療多忙な中、国吉理事長から初石駅最寄りお店で食事歓待を受け、恐縮しました。
昨年9月帝国ホテルで創設41周年パーティを開催した那覇高校同期の流山中央病院の国吉理事長を千葉県・初石に訪ねました。この日ご一緒したのは大川(株)ヴィレラソン社長。大川さんは関東沖縄経営者協会の会員で看護師や介護士を紹介する会社ですが、たまたま私が紹介した流山病院に数人の看護・介護士を紹介すること出来、その御礼を兼ねての訪問でした。80歳を間近にしながら毎日の如く診療多忙な中、国吉理事長から初石駅最寄りお店で食事歓待を受け、恐縮しました。
後楽園「東京ドーム」で開催された“世界らん展”-花と緑の祭典―、たまたま沖縄コンベンションビューロからの招待券を頂き行って来ました。今回で第30回の開催のですが数年前に一度来たような記憶があります。今回は北海道から沖縄と全国からの200近い展示・デスプレーの豪華さに圧倒されました。沖縄からは「美ら海水族館」が出展していました。
(クイーズタワーからの横浜湾夜景眺望)
2月20日、沖縄タイムス社東京支社の新年会がコロナウィルス感染の為、開催中止になりましたが、たまたま同じ時刻、横浜みなとみらいで開催された「奄美IT懇話会」に参加しました。この会は11年前の平成21年、私と現会長の原君、故・内倉典子さんで立上げ、初代会長を務め、爾来故郷の奄美大島の名瀬、古仁屋、徳島等を研修ツアーしましたが今回は47回の例会でした。この日の参加者は12名ながら、内二人は奄美出張からの出席でした。今回の開催場所は副会長を務める横浜・みなとみらいの中山フィチヤー・ネットワーク(株)社長の本社でした。高層クイーンズタワー ビルから横浜湾の夜景を眺めつつの交流、懇親の満喫でした。みなとみらいから埼玉・与野の自宅までは高崎線・京浜東北線乗り継ぎで1時間半、久々の零時前の帰宅でした。次回4月は久々奄美での開催が協議されましたが、 私はスケジュール錯綜 で参加可能か悩ましく(´;ω;`)
高齢と共にインターネットの時代、年々年賀状交換は減っていますが、令和2年、私は300通近い賀状を発送しましたが、返信は200余り。その内訳分類したところ、大学同期13通、高校同期23通、中学同期2通、高校先輩・後輩同窓25通、元社員OB32通、県人・経営協等メンバー32通、親戚12通、沖縄関係者22通、奄美大島関係者12通、IT等・取引会社関係10通近くでしたが.住所不定返信が20通弱でした。地域別に分別すると都内から120、沖縄43、埼玉県内15、千葉・群馬・静岡10通、奄美大島5通、関西8通でした。抽選当選の受領葉書は9通。
こうした分類作業から年と共に変わる我と我が身の人脈変動を感じます。知人の高齢に伴い当然のことでしょうが年毎に「今年をもって賀状送付は中止させた頂きます」のメッセージを頂きます。私は印刷葉書に肉筆コメントを1句、半行追筆に努めますが、長い肉筆メッセージの賀状には感激し、何度も読み返します。頂いた賀状で最も感想深く、読み返すのは正直、やはり同期、旧友からの賀状ですね(^○^)。
2カ月前の懇親レポートで恐縮ですが、3カ月に一度開催の「余人会」、1月は本郷三丁目の老舗・手打蕎麦屋の「田奈部」で集いました。「余人会」とはそれぞれ、記者、教授、社長と閲歴、引退の70余才・“余り人”(´Δ`;)の交流会ですが、何故か一人だけ現役社長がいます(^○^)。
(2017年の沖縄ツアー)
2月18日、総武線・大久保の「関東ITS健保組合」会館で開催された第49回「関東沖縄IT協議会」の定例会に参加しました。この会は今年設立18年を迎え、現在の今井会長で4代目ですが、2005年の設立の時に私は初代会長を拝命しました。この日の参加者は20名前後でしたが、半数近い参加者がヤマトンチュ(^○^)。入会者も年々本土出身者が増えているようで、それだけ“リゾテック沖縄”の存在価値が高まっている証か!
この日のソフトバンク(株)ビジネスパートナー営業本部の鍵山部長の“スマート福利厚生サービス”~人材確保と従業員の定着を実現するソリューションパッケジ~には“こんなビジネスモデルがあるのか!流石ソフトバンク”と驚き、感嘆でした。
2月13日、百瀬恵夫明治大学名誉教授を講師にお招きして、神田の「エッサムホール」で第12回の関東沖縄経営者協会に経営セミナーを開催しました。タイトルは「経営者は何のために頑張るか」~挑戦と創造~。この日の出席者は50余人。正直、当初は大学教授によるアカデミックな講演が中小現役のベンチャー経営の会員にどれだけ受けるか気掛かりでしたが、数多くの経営創業、倒産等の事例紹介を例の如く“バカ!阿保!”と辛口・ユウモアー溢れる講演内容に、現役の出席経営メンバー数々のヒントと示唆を頂き会場、湧きました。84歳のご高齢ものともせず、1時間以上立ちっぱなしの講演、矍鑠振りに改めて感嘆、尊崇でした。講演後は有志数人で近くの居酒屋で、先生を囲み、御礼、御慰労を込めて懇親会をしました。百瀬先生、有難うございました。
2月8日、茶の水の「TKPカンファレンスホール」で開催された(公益財団)「沖縄協会」主催の講演セミナーに参加しました。講師は下地芳郎「沖縄観光コンベンションビューロー」会長による「沖縄観光の現状と将来展望」。この日は、沖縄観光の現状、課題に止まらず、首里城火災と再建について多く語られました。下地さんは那覇高校の後輩ですが、県の観光振興課長時代に何度か県庁でお会いしました。県政策調整監歴任の後、琉大観光学科教授に就任した異色の県庁キャリア。年1000万を超す来客の沖縄観光とはいえ、様々な課題と対処方についてのこの日の講演には大変示唆を受けました。
(板橋区長に車椅子寄付送呈の板橋沖縄県人会長と顧問)
毎年の事ですが、今年も2月9日、池袋東武東上線大山駅最寄り「板橋文化会館」で開催された第42回の「板橋区沖縄県人総会」の案内を受け、出席しました。都内には練馬、江東区等の県人会がありますが、この板橋が最も歴史も古く、会員も多いのでは?活動も琉舞、民謡、料理活動の一方、区民祭りへの参加等地元との交流も盛んなようです。特に注目すべきは毎年の様に地元に障害者用の車椅子寄付の奉仕活動です。その為か毎年総会には区長が出席され、祝辞をされます。
73回に亘る会報誌「ゆんたく」発行の継続活動にはホトホト喝采です!
「ニライ会」2月例会に参加しました。この会は沖縄出身だけでなく沖縄に誼を持つ人々の懇親会。発足は池袋「みやらび」の由来で、新年会や忘年会はしばしば池袋で行われます。この日の会場は銀座の「竹富島」。このお店は都内で5店舗を展開する(株)リトル沖縄オバーシーズの経営店舗の一つ。この日の参加者は30余人。気が付けば私の周りは同年79才のオジー5人で(^-^*)いつもながらの和気藹々の交流でした。
先週、新垣経営協会長と池袋の(株)オーム電機の新里会長を年始ご挨拶訪問しました。(株)オーム電機は従業員600人強、売上200億を超す、在京沖縄出身のNO1創業社長さん。90歳ながら毎日、吉川の工場に出勤、6階の社長室にエレベターを使わず徒歩で昇って行く驚異の人!この日も池袋東口のステーキハウスに案内で歓待され、恐縮しあました。会社からお店までスタスタと歩幅広く歩かれ、10歳若い私はヒ-ヒーフィーフィー追従するのが大変でした。お会いする度に、叱咤激励を頂く、得難い郷里の大先輩です。本当に本当に有難うございました。
月刊「オキナワグラフ」を出版する沖縄の新星出版(株)社長の久保田さんと石田奈月次長が来京され、仲松県人会長、新垣経営協会長、近藤琉球新報支社長、仲村県人会紙「おきなわの声」編集長等々と神田に集い祝いました。気が付けば琉球新報編集OB3人!新報閲歴、思い出談議に湧きました。
先週、数年ぶりに初台の新国立劇場で上演されたプッチーニのオペラ「ラ・ボエーム」を観劇しました。これは新国立劇場オペラ研修所で演出主任講師を務める粟国淳さんご夫妻による招待。招待席は19360円のS席!ホトホト恐縮、感謝。オペラ音楽に疎い私がこうした高席招待を受けたのは、この日の「ラ・ボエーム」演出担当の粟国淳さんの配慮。それというのも淳君の亡き尊父の粟国安彦・元藤原歌劇団演出家が私の幼馴染で、淳君の誕生に立ち会った等々の縁です。この日のメイン歌手の半分はイタリア出身で歌詞はすべてイタリア語で舞台スクリーン横に翻訳表示され、それを見つつの観劇に、在りし日の粟国安彦君を回顧しました。
東西奔走でオペラ活動最盛期49歳で早逝した安彦君とは私が大学進学のため沖縄から上京した3年間、笹塚の4畳半下宿で同居思い出があります。その亡父の夢と志を見事に継承したの淳君の活動には感嘆です。
(新国立劇場ロビーに聳える!)
昨年暮れに大学同窓の「偲ぶ会」をしましたが、昨日、那覇高校同期6人が新橋に集い先月脳梗塞で逝去した那覇高校同期の嘉手納靖君の「偲ぶ会」をしました。嘉手納君は高校3年の時には生徒会長に立候補しましたが志ならず、上京後は囲碁に浸り、6段位を取得し、上野の囲碁クラブで賭碁をし、結構稼ぐな等、個性的な存在が忘れられません。嘉手納君!安らかに!
2月1日、さいたま市与野駅西口の奄美・沖縄居酒屋「黒龍」で市開催された「埼玉奄美役員の新年会」に参加しました。この日は例年に無い30人近い参加者で賑わいました。埼玉と言っても参加者は富士見、所沢、上尾と東武、西部、高崎線とそれぞれ遠隔からの参加。出身地は徳之島、沖永良部、喜界、笠利、名瀬、加計呂麻と故郷から遠い埼玉であればこその出会いに盛り上がりました。