(安里三叉路過ぎた地点~宮城光枝さん撮影) (中間・平和記念堂直前の16キロ・東風平交差点で
~高宮城邦子さん撮影)
昨年暮れの癌手術直前にもナハマラソンにエントリーしており、医師に「12月第1日曜のマラソンが終わっってからの入院手術は可能ですか」と打診し、“手遅れになる恐れありますよ!”と同伴の女房に呆れられた思い出?があります。
3カ月の入院手術、一年近い抗癌化学治療の最中、怖々ジョギング練習を続けた報告をしましたが、第30回記念の今年のナハマラソン、出場常連の中野㈱CIJネクスト会長の応援を兼ねて、私もエントリーしました。応募者多く競争の多いこのレース、第1回の抽選には漏れたものの、2回目の補欠選で運良く当選。
お世話になった沖縄タイムス社員や県庁職員等県内知人に大会前夜の決起?会食の声を掛けたところ“え!重田さん、本当に走るの!”とこれまた呆れられました。本音のところ10キロが目標でしたが、本番レースでは制限時間ギリギリながら中間21キロまで殆ど歩かずに走り?切ることが出来ました。
中間以降も走る余力を感じ、10回目のナハマラソン完走メダルが過りましたが、ストマー(人工肛門袋)を抱えての40キロ走、無理しないように医師からも言われていたので中間の「平和祈念堂」で断念、序に先月お訪ねした祈念堂事務所に挨拶の顔を出し“え!マラソンですか!と“職員に言われました。
ビックリしたのは中間直前の東風平路上で“重田さんー!”と呼ばれ、顔を上げるとなんと前夜の激励会食参加の県庁の高宮城邦子さんが職場の上司と応援されている。上記の写真はこの時、撮影されたもの。これ以外にも安里三叉路を過ぎた所で“シゲタさん!シゲタさん!と呼ばれこれ又見ると「こぺんぎん」食堂経営の宮城光枝さん!期せずして、多くの知人が声を掛けてくれるレース、ナハマラソンならではの魅力を改めて感じました。
(中野会長と大会前夜の激励会開催に感謝!)