”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

小森陽一・井上ひさし 座談会「昭和文学史」第一巻(集英社)

2004年06月28日 | 「Weekly 読書感想」
 大正から昭和へかけて白樺派、プロレタリア文学、新感覚の作家・作品に通暁する専門家が様々な角度から座談する。作家と作品からの昭和史で読んで興味尽きなかっ た。文字通り堪能した。550ページを越す大著だが、全ページに参考注釈と写真があるビジュアライクな書で、実際の文字量は半分ぐらい。雑誌「すばる」97年~8 年の連載で6巻まで続く。第五巻の「沖縄文学」が楽しみ。  

 尾篭な話で恐縮だが本書は全て自宅トイレ内で読んだ。時折「いつ本読むの?」と 聞かれる。常時3~4冊併読している。大まかにホームや満員電車、信号待ち等で立っている時は文庫本。座れた時はハードカバー。出張で集中出来る時はまた別の本。それにベッドとトイレにはまた別の書を置いてある。これらの本をめったに移動させることは無い。これらの合間にまた英語本を取り出し2~3年かけて読む場合がある。

 シドニー・シェルダンやダニエル・スティールなら未だしも他は私の英語力では難儀 しています。
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ヒルティー「幸福論」(3巻):白水社

2004年06月20日 | 「Weekly 読書感想」
 前にも書いたが学生時代、モンテニュー「随想録」やパスカル「パンセ」、題名に惚れて著者の「眠られぬ夜のために」とかを書架に並べ、「我思う故に我在り」等と悦に入っていた。
最近、頻り思い出すのが、ヒルティー「幸福論」の中で唯一覚えている 「最もエネルギーに満つる午前中には一仕事終わったように気が削がれるから朝は新聞を読まない」という記述。

 最近では誰でもそうだろうが、朝出勤するとまずメールチェック。月曜日などはスパムやウイルスを含め50通以上あり、それを削除、返信後、やおら目にする業界紙等はすでに走読み。それだけで午前中は潰れる。始末の悪いことにメールは喫緊の課題よりつい気楽な個人発信に目が行く。

 新聞もメールも所詮は受動の後追い作業で、企画や指示等の能動作業への緊張と英気が削がれているのではないかと思う。 会社によってはWEBやメール閲覧を抑制しているところや知人でITリテラシー に通暁しながら、あえてメールアドレスを公開していない人がいる。一つの見識だと思う。

 メール時代の今、ヒルティーが生きていたら何と言うだろう。
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「部落解放・526号」 03・12月(解放出版社)

2004年06月15日 | 「Weekly 読書感想」
 正確には知人Uさんから送られた掲載寄稿文「日本人から無国籍人へ」。沖永良部町職員の前利潔氏が復帰50周年目にあたり、奄美のアイデンティティを論じたものだが、私がショックを受けた箇所は奄美大島と神戸の「酒鬼薔薇」児童殺傷事件の関連。マスコミが犯罪とのつながりを求め、犯人Aの両親の出身島に殺到したという。

 さらに、高山なるライターが月刊誌「新潮45」で「島と海流で繋 がった東南アジア民族の中に通過儀式として少年の首切があった」と事件と関連付けるルポに対し、前利氏はその根拠と立証を迫り、返す筆で首切は切腹介添やの三島自決のように日本本土にこそ見られる儀式ではないかと激しく抗議している。

 「差別とはこうして作られるのか」と奄美出身の私は強い衝撃を受けた。 著者は赤坂憲雄の「マスコミは結果から遡って、彼が犯罪へと宿命付けられた異人の物語という読者の欲望を跡付ける」という論を紹介している。

 すでに長崎小6女児事件もマスコミによって出生等に遡る様々な物語が作られつつある。
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「ハインリッヒの法則」と「三太郎の日記」

2004年06月07日 | 「Weekly 読書感想」
 ご存知の1件の重大災害の裏に29件の軽災害、その裏に300件のひやっとした体験。私は勝手にメルマガにこれを適応している。つまり、1件の反応メールの裏には「賛成!反対!違うぞ!書こうか」など一瞬思う人が30件に存在し、さらに読むだけの人が300人いる。

 現によく「書いたけど送らなかった」「書こうかと思ったがやめた」という声を聞く。その点で行くと先週の中島敦「山月記・李陵」。地味だし、読んでいる人はそう多くは無いだろうと思ったら、暗に相違して意外な反応。通常1、2通だが今回はその倍以上。新聞論説委員、研究所副主幹、大学院生、主婦、同級生と多彩。そのお一人があの「三太郎の日記」に触れていた。「おう!」と思った。

 これは天野貞祐「学生に与うる書」や河合栄次郎「学生に与う」等と前後、傍線引きつつ、書込みしながら精読した。
 本箱の置くから黄色く変色したペーパーバックを懐かしく探し出したら、奥書に「1957年4月9日。崎間書店にて求む。この書を購入した際、隣のフィリピン人の奥さんが書店の前を通ったので不足の金銭を那覇のど真中で拝借、帰宅して母から返済すべく金を貰うのに苦労して叱られたいわく付の本である」と書いてある。そんなこともあったか。
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朝吼夕嘆

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