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”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

「朋友,沖縄コザ市で集う!」

2011年06月29日 | 「美ら島沖縄大使」便り

          

当社・沖縄事業所主要顧客である㈱大同火災海上主催の「感謝の夕べ」出席のため、久々に沖縄出張、事業所メンバーとのミーティング後、沖縄市プラザハウス内「月苑飯店」で旧友と懇親集い。

 

元沖縄保護観察所長、大学講師、フリーアナウンサー、WEBshop社長等多士済々の集いにやおら、プラザハウスの平良由乃社長、妙齢のフランス留学帰りの女性社長室長を伴い登場、場は一気に華やぐ!

年齢、業種、性差を越えた沖縄でのこうした旧友、朋友との交流、集いは日頃の憂さを晴らし、特に女性から元気を貰います。

 

この後、二次会?平良社長に地元では良く知られた高級クラブに案内される。このお店、GI跋扈する基地の町コザにしては意外とも言える和服装うホステス、クラブ、まるで銀座の迷い込んだとも思うカルチャーショック。沖縄の持つ多様性をここでも再認識でした。

 

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澤 章著「軍艦防波堤へ」;栄光出版社

2011年06月27日 | 「Weekly 読書感想」
軍艦防波堤へ―駆逐艦凉月と僕の昭和二〇年四月
クリエーター情報なし
栄光出版社

 サブタイトルに~駆逐艦涼月と僕の昭和20年4月~とあるように本書は昭和20年4月、沖縄に向った戦艦「大和」の護衛・駆逐艦「涼月」艦長・平山敏夫の従軍、奮戦ドキュメンタリー。

 あたかも平山艦長自らの筆致になっていますが、実は本書は平山艦長の孫・澤章氏の著述。しかし、本書の筆致は「大和」の護衛艦として10隻の艦隊の一隻として徳山港を出港、奄美大島・加計呂麻島沖を南下したところで、待ち受けたアメリカ連合艦隊から発せられる魚雷を避け必死に命令を受け操舵する模様、空母から飛び立ち来襲して来る戦闘機への反撃、応酬命令、受爆艦内の阿鼻叫喚とまるで実況のようなリアルな記述。

「涼月」は魚雷、空爆被弾しつつ、奮闘しつつ奇跡的に佐世保港に生還している。

艦長である祖父の戦闘活動状況を生き残った人々から取材、復元した著者の描写力には感嘆です。これは単なる筆力だけでなく、亡き祖父が乗り写ったような傾倒や敬慕、追悼の念が成さしめた技ではないか。

 

 それにしても、すでに航空戦幕開けの昭和20年初めに、巨艦「大和」を建造、周到な戦略無く空母、航空隊待ち受ける南西沖に出撃させた当時の日本軍首脳の果敢、無謀さはなんと表現したらいいか。

 

 この故・平山敏夫「涼月」艦長は奄美加計呂麻・鎮西村諸鈍出身、海軍兵学校入學、駆逐艦長という帝国軍人としての赫々たる経歴は、恐らく諸鈍だけでなく当時の奄美では知る人ぞ知る令名だったことでしょう。

 私の故郷、加計呂麻・須子茂にも金鵄勲章受功の旧軍人小父さんが一人居り、周りを睥睨、村民からは畏敬されていましたが、いつも孤独で寂しそうな姿が印象に残っています。

 

 本書の末尾には「本書を平山の曾孫にあたる平成生まれの二人の子供達に捧げる」と書かれていますが、我が「奄美IT懇話会」メンバーの吉田典子さんが曾孫ならぬお孫さん。吉田さん!良い本との巡り合い、有り難う御座いました。

 

 

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「関東沖縄経営者総会へのご協力有り難う御座いました」

2011年06月26日 | 「美ら島沖縄大使」便り

                       

                         (講演する仲村元・日産ディーゼル工業㈱社長)

 

 6月23日、前々日の関東沖縄IT協議会に続き、神保町・日本教育会館内の「喜山倶楽部」で関東沖縄経営者協会11年度総会開催しました。

 今回は副会長はじめ事務局スッタフの活躍で、準会員、賛助会員を含め、会員は対前期5割強増え、この日は沖縄県東京事務所次長、「琉球新報社」「沖縄タイムス」両支社長等来賓、ゲストを含め90余人と昨年を大幅に越す御出席頂き、有り難う御座いました。

 今年度はHP発信、充実による一層の会員増強と財務基盤強化、次世代若手人材の育成支援、沖縄関係他団体との交流・促進等5項目の重点推移事項を決議しました。

 

 この日の目玉は関東沖縄経営者協会理事・仲村巌・前日産ディーゼル工業㈱社長の講演。私財拠出による毎年1回、これはスポーツ、芸能に続く、教育、学問、経済、実業、創業分野で“外界志向、志、チャレンジ精神」発揮、功績のある県出身者への応援、賞賛が狙い。その名も「ロッキーチャレンジ賞」。これはご推察の通り、”巌=ロッキー“からの由来、命名。沖縄出身者としては唯一と言ってもいい、日比谷高、東大卒、インターナショナル・東証一部企業TOP閲歴ならではの迫力ある内容でした。

 

 先に、関東沖縄IT協議会長辞任をお伝えしましたが、経営協、両組織の会長兼任は正直、相当の負担のみならず、お迎えする県関係ゲストから、折々“業種は違うとは言え、首都圏で活躍する同じ県出身経営者同士、総会、講演会等一緒にしたら”という声を頂いていました。私のリーダーシップ不足でなかなか実現しませんでしたが、今後とも機会ある毎に、連携を呼び掛け、実現して行きたいと思います。皆様のご理解、ご協力共々今後ともよろしく支援のほどお願い致します。 

     

       

   

        

 

 

 

 

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「関東沖縄IT協議会長退任のご挨拶」

2011年06月22日 | 「美ら島沖縄大使」便り

       

          (新会長の平良社長と)

  昨日、東海クラブで新垣沖縄県東京事務所次長、田口沖縄タイムス、糸数琉球新報両東京支社長他の来賓をお招き、開催された第6回「関東沖縄IT協議会」総会で、私は6年3期務めさせて頂きました会長職を辞任、平良クリエイト工房社長に継承頂きました。

思い起こせば7年前五反田の旧㈱日本アドバンストシステム裏の沖縄居酒屋での懇親会。“飲み会だけでなく、お互いの成長・発展のために”と有志の呼び掛けが切掛けでした。

以来、発足時の10数社から今日、50を優に超える法人会員を抱え、沖縄県内同業者との連携まで発展し、発足時の懇親・共同体的色彩からビジネス、沖縄県内部会の誕生と商流交換・機能体的色彩も強くなって来ました。

 

これまでの成長、発展はIT普及という時代背景もありますが、スポーツ、芸能に留まらない沖縄アントレナーシップ新世代の勃興があると思います。

とは言え、クラウド、オフショアの進展と私達がこれまで成長してきたIT市場も競争激化と厳しさを増して来ています。

今後、こうした課題を乗り切り、参加各社がより一層発展、成長、引いては郷土沖縄の振興並びに雇用促進に貢献することを祈念しています。

これまでのご協力に御礼すると共に今後の更なるご支援を御願いし、退任の挨拶に代えさせていただきます。

                  

    

 

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ご冥福!山元先生!

2011年06月20日 | 「美ら島沖縄大使」便り

              

      (一昨年、美良樹吟呼さんと御見舞いした92歳の山本先生)

 

 28年、奄美大島から沖縄へ移住、転校した安里(後の安謝)小学6年の担任としてお世話になった恩師・山元芙美子先生が6月17日、94歳で逝去されたことを地元紙の報道で知りました。

 

 折々、何度かご挨拶お見舞しましたが、去った6月9日の沖縄出張時、事業所メンバーに会うため58号線を車で移動中、先生が入院なさっている牧港中央病院を左に見つつ“お見舞いを”と一瞬思いつつ果たせず、通過したのが悔やまれます。

 昨年、93歳の先生をお見舞いしたら “あら!重田君、元気!”と声を掛けられた元気な先生のお顔を思い浮かべます。

 

 故山元先生は私達安里小6年担任を最後に教職現場を離れられ、那覇市の教育委員会に転出されましたが、そのことを祝福しつつも、別れを惜しむ当時の稲嶺校長先生の姿が印象に残っています。

 先生は県更生保護婦人会長から九州連盟会長を歴任され、その活動功績を地元「沖縄タイムス社」から表彰されました。現役活動中、県庁エレベーター内でバッタリお会いしたのも忘れられません。お二人のお嬢様は那覇高校の先輩で共に教職を務められました。

 

 90を越されてもいささかもボケるところ無く、朝夕地元2新聞を読まれる矍鑠な先生のお顔を思い浮かべます。大変失礼ですが”願わくば先生のように”と思う文字通りの大往生!先生のご冥福、心からお祈り申し上げます。

 

 

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「大同火災様より感謝状、有り難う御座いました」

2011年06月12日 | 「美ら島沖縄大使」便り

             

           (照屋社長より感謝状拝受)

当社,沖縄県内主要顧客である大同火災海上保険㈱様から県内有力IT企業パートナーの皆様と共に「システム開発・安定稼動 感謝の会」のご招待を受け、昨年に続き「感謝状」を頂き、有り難う御座いました。

 

当日は対象企業トップだけで無く、現場で同社システムの開発、保守に携わっている出席SEメンバー全員に対し、照屋社長、島田システム部長直々に保険業務に於けるITシステムの意義と日頃の業務推進に対するお礼の言葉を頂きました。

 

顧客トップからのこうした謝辞、メッセージは、パートナー企業経営の私達だけでなく、ともすれば3Kに近い作業イメージのIT開発現場で頑張っているメンバーに対し自分達の仕事の社会的意義や重要性を自覚させ、仕事への誇りを与える又とない貴重な機会を頂きました。

 感謝状授与式典に続く、懇親パーティでは参加パートナー代表としての謝辞挨拶役を仰せつかり、恐縮しました。これもあれもお仕事発注頂いている大同火災様並びに現場で日夜奮闘している社員の精進精励の賜物、改めて感謝です。

      

     (懇親パーティで答辞挨拶)

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「瀬古利彦・マラソン雄と!」

2011年06月03日 | 「美ら島沖縄大使」便り

                       

                           

ロンドン、シカゴ、ボストン、福岡、東京国際等々内外のマラソン優勝10回の戦歴を誇る憧れの同窓・瀬古利彦さんのスピーチを聞き、話をする貴重な機会を得ました。

場所は先週、浦和ワシントンホテルで開催された「浦和稲門会」総会。印象に残ったのは伝説の瀬古選手往年のマラソン師匠・中村清の“天才は有限、努力は無限”“若い時流さない汗は、老いの涙になる”等々の含蓄ある教訓言辞等軽妙洒脱な手馴れたスピーチ振り。

中でも、優勝間違いなしと見なされたモスクワ・オリンピック・マラソン。ソ連のアフガン進攻への抗議・参加ボイコットで金メダルを逃した生涯の悔しさと憤り、未だに癒されていない語り。

 

 早稲田大学の同窓会は海外、職域、専攻卒業年次、サークルと様々ジャンル別に1370団体もあるようですが、359の都道府県支部中、埼玉県は浦和、大宮、上尾等9支部と東京都に次ぐ最多支部数を誇るとのこと。因みに沖縄県は1支部。

 この日の浦和支部参加者67名中唯一の参加女性メンバーの息子さんが、何と沖縄女性と結婚、沖縄在住とのこと。ただ一人の沖縄出身者として私と沖縄話題に盛り上がりました。

 

 前日の早大本部キャンパス・小野講堂での「琉球・沖縄研」イベントに続くこの日の総会、直前まで参加を逡巡していましたが、予て自ら言い聞かし、公言しているスローガン“場所には行け、人には会え”の手前、勇を奮って行って見てやはり良かった。

                   

                    (伝説のマラソン雄:瀬古利彦さんと)

 

 

 

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朝吼夕嘆

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