ボン・ウィーン大学日本研究所長として高名なDrクライナー。恐れ多い事ながら浅からぬ縁。氏が未だ30台の若き学位論文として著した「南西諸島の神観念」のフィールド調査した奄美・加計呂麻島の須子茂は私のルーツ。しかも氏が調査研究のためおよそ4ヶ月近く滞在寄寓した泉島子叔母さん宅は私の従姉妹叔母宅。昔、島子叔母さんからその研究振りを聞いて驚いたものだ。
上記著書には母の妹である道枝叔母はじめ私の親戚名が盛んに出て来る。20年前に本書を手にした時の驚きと興奮を忘れることは出来ない。何時か著者に!との積年の念願が先週、沖縄協会の定例発表会で叶えられた。言うまでもなく清成法政大学元学長の協会理事長就任に伴う法政大学日本学術研究員としての講師招聘。しかも同じ40年生。
初めての出会いにも関らず、私が持参した35年前の博士が撮影した須子茂の写真と92年“ひるぎ社”から博士が著した「ドイツ人のみた明治の奄美」に触れると相好を崩し喜ばれ、旧懐談に弾んだ。
博士のお陰で我が生地の加計呂麻島・須子茂は民俗学上不朽のになったことを感謝したい。
上記著書には母の妹である道枝叔母はじめ私の親戚名が盛んに出て来る。20年前に本書を手にした時の驚きと興奮を忘れることは出来ない。何時か著者に!との積年の念願が先週、沖縄協会の定例発表会で叶えられた。言うまでもなく清成法政大学元学長の協会理事長就任に伴う法政大学日本学術研究員としての講師招聘。しかも同じ40年生。
初めての出会いにも関らず、私が持参した35年前の博士が撮影した須子茂の写真と92年“ひるぎ社”から博士が著した「ドイツ人のみた明治の奄美」に触れると相好を崩し喜ばれ、旧懐談に弾んだ。
博士のお陰で我が生地の加計呂麻島・須子茂は民俗学上不朽のになったことを感謝したい。