”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

「GEMと日本の大卒女性の就労状況」:(社)大学婦人協会(04年10月)

2005年06月27日 | 「Weekly 読書感想」
 GEM(ジェンダー・エンパワーメント)とは女性の国会議員、管理職、専門職、所得の指数。国連調査によると日本はシンガーポール、フィリッピン、メキシコ等より低く、先進国最下位だという。
 たまたま協会メンバーに大学の同期が所属していた縁で5大・女子大と共に対象16企業の一つとしてアンケート調査に協力した。

 これによると相対に外資やホテル、IT業界への進出が高いこと、研究職中心に、出産・育児が女性の進出・昇進に大きな障害になっていることを報告しているが、何と言っても調査母集団の少なさが報告結果に迫力を欠く。

 社会や企業の「ポジティブ・アクションの推進」にも触れているが、市場競争裡の個別企業にその負担を求められるのは辛い。それにしても早大同期より那覇高同期の女性就業率が相対に高いのは、沖縄における世代間同居による育児支援のオバー、オジーの存在が大きいのか。

 わずか16ページの小冊子だが、全頁細かい数字の羅列で読むのに難儀した。もう少しグラフやチャート多用する等ビジュアル化の工夫が欲しかった。
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中村喬次「南島遡行」:海風社(1983年)

2005年06月21日 | 「Weekly 読書感想」
 10年以上前に読んだが、購入・読了月日、いずれの記入も無い。
先日の休日改めてぱらぱらページを捲っていると書中至る箇所に傍線を引いてある。「ああ書かれてある」と私があちこちで書き散らした沖縄の中の奄美についてのより突っ込んだ記述がある。

  著者は奄美の新聞社から琉球新報社に転じ、宮古、八重山に勤務、出版局長を歴任していいる。面識はあるがゆっくり話したことはない。一期先輩ながら私と同じ奄美大島の瀬戸内(宇検村)出身だから、私が書こうと思う事がほとんど書かれている。私の知らない郷土の古仁屋やコザ周辺居住の奄美人の記述は貴重だ。

  宮古や八重山の祭事や舞踊を見聞すると故郷の大島で失われたデジャビュ観があるが著者は書名のとおり、南に行くに従って母の胎内に帰るような回帰感を覚えるという。(80、81P。幼少時の満州経験や沖縄渡航年齢の差か、八重山に行った時には私にはその感覚は無かった。詩的資質に富む著者との大き過ぎる感受性の差かもしれない。
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「沖縄県高校生職場実習」

2005年06月20日 | 「美ら島沖縄大使」便り
恒例の沖縄県高校生職場実習を終えた。

県就職率向上への協力事業。3日間、パソコン5台、専任講師に会議室占拠と楽ではない。

 修了発表は全県60余校から選ばれて来ただけに、時折冗談を交える等堂々とし、特に女生徒が優秀。
我々世代の上京当時に見られた気後れ等はいささかも見られない。
 何かを始めようとする彼等の姿に、マンネリ化した自分の姿を省みてある種の感動を覚えます。

 沖縄工業高勤務の新城先生は琉大工学卒後10年近くNECでSEを務めた後に教職に転じた。
年頃の男女高校生を東京へ引率、ホテル合宿は想像以上の重責で積極的引受け手が少ないのは当然か。
偶然琉大の同期が我が社沖縄事業所にいる。

写真:修了発表後・左二人目は引率の新城先生
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西里喜行「沖縄近代史研究」;沖縄時事出版(1881年)

2005年06月11日 | 「Weekly 読書感想」
 西里氏は八重山・竹富島の出身、官費で京大史学科に進んだ苦学徒。実は私の高校の同期。軽佻浮薄な私とは違い妥協を排する孤高の勉強家だった。
 いわゆる沖縄近代史を廻る有名な「旧慣論争」を中心とした歴史論争。著者にに対し東京育ちの沖縄二世、一高から東大社研で独自の研究で名をなし、沖縄に乗り込んで来た13歳年長の安良城氏が研究家としての息の根を止めんばかりの呵責ないの批判に対し、著者が一人懸命に反論した経緯・顛末が著されいる。
 この論争の異様さは、県内の研究史家が遠巻きに誰一人加わらなかったばかりか、もっぱらそれが「沖縄タイムス」紙上で行われたことだ。挙句、西里氏の必死の 要求にも係らずタイムスは後半、その反論掲載を断る。今や私闘の様相を呈して来た論争に公器を自認する新聞社としてこれ以上紙面を提供出来なかったかもし れない。私などはその背景に当時の沖縄大学とタイムス社の人間的紐帯を勘ぐった。ならば「新報」に依頼依頼すればいいのにと思ったが、新報社も西里氏もこ の論争を両紙の論争にしたくなかったのか。

 本書にはその論争の、20年以前の話にも係らず、今読んでも昨日のことのように行間に息使いと臨場感が漂い手放せない。
  他人の喧嘩を息の詰まりそうな関心で読んだのは否定しないが、結果的にアカデミックな歴史学論争を学習した。もちろん西里氏が高校の同期であったことが関心をさらに深めたのは事実だ。
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「稲嶺沖縄県知事と 」

2005年06月10日 | 「美ら島沖縄大使」便り

 6月8日、永田町の都道府県会館で総務省・沖縄県主催による恒例の「沖縄県IT産業誘致のセミナー」が開催された。

  喜納・県産業雇用統括監の誘致策説明に続いて、中島洋MM総研所長の 司会による稲嶺知事とすでに進出しているニイウス、トランス・コスモスシーポイント各社長のパネルデスカッション。
 すでに8回目、誘致策や沖縄への礼賛だけでなく、もう少し本音の課題や既存県内IT企業のメリット・デミリットについての会場参加者との質疑応答の時間が欲しい。

 今回、勝目県東京事務所誘致監の案内によって、我々関東沖縄IT協議会(http://www.koi-c.org/index.html)のメンバーも出席、セミナー後の懇親会でのスナップ・ショット。

 我々にとってこの振興策とどう連動し、企業活動に資するかが課題。

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「東西両横綱に挟まれて!」

2005年06月07日 | 「美ら島沖縄大使」便り

 左は獣医から10年に亘る南カリフォルニア大講師、夫君とロスにケミカル会社立上げ、専務を続けつつ時差なんのその、年一、日本縦断の講師行脚。倦むことなく在京ITエンジニアのご子息と全国に散らばるの南カ大留学教え子をリンク、ECサイト《こだわりファーム》(http://www.kodawarifarm.com/)を立上げた。

 右は琉舞「康舞会(http://www.ryuubukinjo.com/profiel.htm)」を立上げ子息を事務局長から後継者へ。大病・中傷・忠言なんのその自らハンドル握り、東阪10に近い道場経営・指導に疾駆。

 御両方いずれも経営・夫君、息子と見事にサポート・育成、大成就。沖縄女性の頼もしさ。東西人生両横綱(もちろん体躯ではありません)に挟まれ、同期の当方、社業いまいち、身は細る。

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「キャリア採用の難しさ」

2005年06月06日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 経験ある中途採用を何時の頃からか「キャリア採用」と呼ぶようになった。

創業5年経った頃「これ以上会社を成長させるためには弱点の管理面を補強する必要がある」と、周囲の反対を押し切って、大企業出身のセカンド・キャリアを迎え入れ、その後の基盤を築いた。成功体験とも言えるこの前例からその後も何人かキャリア招聘を試みたが、どうも上手く行かない。最近も満を持して招いた人材が退社した。

 原因はご本人の適応能力もがあるが、受け入れ現場が必ずしも私と同じ問題意識を持っていないことに一因がある。厚遇に対する嫉心もあろう。その意味では意義・役割を双方に徹底させなかった私の責任もある。

 それにしても「人から助けて貰うこと」「人の援助を引き出すこと」は一つの能力で、「あの人のために一肌脱ごう」と思われるためには一種の“器量”が必要だ。

 戦後霞ヶ関随一の俊敏エリートと言われた後藤田元官房長官が仕えた叩き上げの田中角栄総理を“大器量人”と評したのを思い出す。
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「同期自慢第2弾!」

2005年06月04日 | 「美ら島沖縄大使」便り
いつの世、いつの時、同期自慢はあるもの。これら諸氏、皆同期。
全員、琉球大学教授。農学、機械、エネルギー、化学、国文、史学、家政、経済、医学、他に英語学と全学部網羅合計9名の同期教授連。

 この他に県外国立、私学教授が2人。医者は関東に3人。県内10名弱と同期教授と双璧、競合数。映像諸氏、皆深窓学究。誰ですか!「鬼気迫る!」などと失敬な!

 教授の皆さん、無断肖像権侵犯UP、同期の誼、ご容赦!
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「12期島袋君歓迎!」

2005年06月04日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 我が那覇高12期、国土交通省(旧運輸省)OBの島袋君上京。初夏一宵、不養生喫煙医師二人、経営怠慢零細企業一人、天下り3段目農林キャリア、停年悠々自適2人等々在京同期新橋駅前居酒屋に参集、歓迎の宴。

日韓、日中、小泉外交、沖縄史、居酒屋独立談義、論理耄碌、脈略委細構い無く、血圧、尿酸、コレストロール数値、談林風発、憂さ晴らし!
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フローベル「ボヴァリー夫人」(上下)岩波書店

2005年06月02日 | 「Weekly 読書感想」
 自然主義文学はエミール・ゾラやモーパッサンからと授業で習った記憶があるが、実は彼等に先立ちフローベルこそその祖だという。思うに本書が発刊直後から良俗を害すると起訴されたという今で言う不倫もので、教材に相応しくなかったのではないか。それにしても路傍や草木に亘るデテールな筆致は写実そのものと言える。
 嫁いだ医者との間に娘まで作りながら、主人公エンマは気狂するような平凡さから逃れ、華麗と虚飾の世界に憧れ、色事師ロドルフから青年レオンに溺れ、あげく絶望のあまり毒を仰いで死んでいく。

 今で言えば明治座調のどうというストーリではないが、明治維新から10年前のフランスで描かれた本書が歴史上リアリズム文学の嚆矢とされるのは、それまでの女性がいかに家庭に抑圧されたいたかの証左だろうか。ひょっとして当時の多くの女性の密かな共感を得たのか。

 それにしても超リアリテックなエンマ描写に対し、そんな女房をひたすら愛し続ける夫シャルルの存在感の薄さはどうだろう。

 私が生まれる前年から今日まで岩波書店で70版弱を重ねる名だたる古典に対しこんなコメントをしていいものだろうか。我ながら大丈夫か。
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朝吼夕嘆

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