”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

「4年振りの同期会、今月3度目の沖縄」

2012年10月28日 | 「美ら島沖縄大使」便り

       

 40日間の骨折自宅治療明け、先々週の琉大「県外就活フォーラム」講演、先週の「沖縄ソフトセンター10周年パーティ」に続く、首里都ホテルでの「那覇高校同期会」参加と今月は3週連続の沖縄出張。

 4年ぶりのトシビー(72歳)の同窓会、参加者は私ども東京からの11名にハワイから2人と同期卒業生3分の1に近い150名。

 僭越ながら、開会の乾杯音頭役を拝命、挨拶させて頂きました。

 数十年ぶりに言葉を交わしつつ、往時を思い出し、胸中“ああ彼か!”と思い出す級友も少なからず。

 この日の圧巻は朗々長々ながら明快なご挨拶頂いた写真中央に座される同級と風貌変わらぬ88歳の国語担任の仲本恩師。在任中、研修教師として当時全国一の名声を誇った日比谷高校に赴任され、ランドセルを背負い満員電車で通学する東京の小学生の姿を語られた東京報告を鮮やかに覚えています。

 女性中心の有志数人とカラオケ2次3次会(´Δ`;)ホテル投宿は午前2時!同期女性のパワーにはここでも圧倒されました。開催幹事の皆さん、ご苦労様。大変お世話になりました。

 昨日土曜、羽田から飯田橋本社に直行、部長研修慰労懇親会に合流参加しました。

      

      

            (写真は伊佐さん撮影)

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「県外就職フォーラムで沖縄女性パワーを再確認!」

2012年10月14日 | 「美ら島沖縄大使」便り

    

 骨折治療、ほぼ半年振り、久々の沖縄出張でした。 

 沖縄県は出生、人口増加率と共に若年層の失業率も全国一高く、さらに大卒就職者の3年内離職率40%強と全国の30%に比べ高い。その背景には県内若者の高い県内志向があり、県はこうした状況を改善すべく企業誘致と共に多角的な県外就活施策を実施しています。

 そうした施策の一環として10月13日、琉球大学で開催された「県外就活フォーラム」で基調講演を依頼され、訪沖しました。

 フォーラムは地元女性タレントの特別講演、本土企業採用担当者、大学就職センター教授、本土通信社から内定を確保した現役学生や本土広告会社に勤務する先輩女性の迫力あるパネルデスカッション等延べ5時間以上の多彩な企画内容。しかし“笛吹けど踊らず”とまでは言わずもながら、肝心の対象学生の出席は100名弱と今一。

とはいえ、フォーラム後の有志懇親会では出席学生数人から活発な質疑コメントを頂き、翌日帰宅後開いたパソコンにも数人からメール挨拶が届いておりビックリ。それもすべて女子学生!ここでも男子を凌ぐ沖縄女性パワーに触れました。  

                

               (フォーラム後の懇親会)

 

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琉大・「放生池」埋立問題

2012年10月09日 | 「美ら島沖縄大使」便り

 私が入学した昭和34年頃、琉大総合グランド建設に絡む史跡「放生池」の埋立問題が琉大開校に奔走した翁長先生(斉藤陽子さん・ご尊父)はじめ当局を悩ましますが、今思うとあろう事か、新入生の私が地元紙大学を難詰する以下のような投稿・暴挙します。 

               以下その詳細。

 「埋立問題に対する琉大の態度」(1959,8,3「琉球新報」(声)投稿記事

 「琉大の総合グランド建設に絡む史跡「放生池」の埋め立て問題は先に文保委会で埋め立てることがすでに決まり、琉大側も当然賛同するものと思っていた。

問題の発端から琉大は始終埋立を主張し、安里学長も琉大側の意見として埋立賛成を新聞に度々表明していた。

 しかるに今頃になって文理学部の教授陣が埋め立て反対の意見書を出したと言う。世人は驚いた。従来まで琉大側の意見は統一したものとばかり思っていたらそうではなかったのである。それとも教授陣は琉大側ではないというのだろうか?例えそうでなくとも「初めから埋め立てに反対」(琉球新報23日夕刊掲載某教授談)であったのを何故いままで黙っていたのだろう。過ちて即ち改めるに憚らない、というならともかく「当然文保委法によって保護されるものと楽観していた」(同)という態度は責められるべきであろう。反対を表明するならもっとするべき良い時期があったと思う。

 反対理由に「植民地大学というレッレルを返上するためにグランドの建設を含めた本学の施設配置計画を再検討し大学本来の姿に戻すべきだ」(23日新報夕刊)といっている琉大側としては配置計画がどうしても再検討する余地がないなら、貴重な史跡まで埋め立て従来の計画を推進しようとしているのではないか。又、たとえ施設配置を変更したところで殖民地大学と言うレッテルは返上出来ないと思うが。埋め立て問題はレッテルなどとは無関係だと信ずるがどうだろう。

 教授陣はその意見をはっきり世人も納得するように開陳すべきと思う。なぜなら大学にしろ、史跡にしろ直接間接住民と関係があるからだ。

 今度の文理学部教授陣の反対表明は琉大事務当局には足元から火がついたようにそのあわたかたが想像される放生池問題はまだろっこく我々も嫌気がさしていたが、琉大の教授陣はそれにさらに油を注いだようだ。今後琉大の内輪揉めはどうなるかわからないが、そんなことをしていると植民地大学どうの項の言う前に世論は琉大側から離れていくと言うことを教授陣にしろ事務局にしろどちらも銘記すべきだろう。(重田辰弥=無職)」

 

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「快気祝い、有り難う御座いました!」

2012年10月08日 | 「美ら島沖縄大使」便り

              

              (ご挨拶頂く渡久山会長)

   先週、神田のスナック「クレスト」で関沖経営会の仲松、新垣両副会長を発起人とする有志30余人の皆さんによる私の骨折快気祝・カラオケ大会を開催頂き有り難う御座いました。

 ご多忙な最中、わざわざご出席頂いた渡久山県人会長による乾杯音頭・ご挨拶、改めて御礼申し上げます。

 参加者の方々への御礼名目に、1ヶ月以上の自宅篭り療養とリフォームに伴う出て来た私の在庫“古文書”によるマスターベーションもどき小学校時代の日記、作文等の懐古・回顧、自慢の披瀝スライドショウにお付き合い頂き、本当に恐縮しました。1ヶ月ぶりのカラオケ、ストレス解消の機会頂いた仲松副会長以下有志の皆さんのご厚情に改めて感謝です。改めて“持つべきものは良き友”を痛感、堪能しました。

 プロジェクター、スクリーンの御手配、設置とご協力、サポート頂いた㈱オール・オールビジネスリンクの皆様、改めて有り難う御座いました。  

        

 

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「琉大創設功労の翁長教授との出会い

2012年10月03日 | 「美ら島沖縄大使」便り

               

 昭和34年、琉大に入学した私は”ミシガン方式”英語授業担当の翁長敏郎教授とお会いします。勿論、その時は翁長先生が後の斉藤陽子さんのご尊父と言うことなど知る由もありません。

 外大卒の先生は英語授業担当しつつ、東大の服部四郎言語研に通われ、現在議論されている“琉球方言存続”の意義と重要性に関する奔りとも言える研究成果の「標音評訳琉歌全集」(武蔵野書院、1968 年)著作を後に陽子さんからの寄贈で知り、改めて驚きました。

 もう一つ、忘れられない思い出は当時の琉球大は現在復興される以前の旧首里城跡にあり、大学の拡張と首里城旧跡存続の間で論争がありました。

 私が入学した昭和34年頃の代表的事例が琉大グランド用地としての“放生池”埋め立てに関する推進派の事務当局と反対の文理学部教授連の学内対立問題が連日新聞紙上を賑わしていました。

 止せばいいのに私は「琉球新報」(59,8,3付)に大学批判を投稿、掲載されました。翁長先生は当時安里学長をサポートする枢要な役職にあり、当然の事ながらこの“放生池”問題でも当事者として頭痛の種だったと思います。この問題に関し、まさか脚下新入生の投稿。先生から“あれ書いたのは君か?”と問われましたが、その後先生からこのことに関し咎められた記憶はありません。

 時が経つほどに知らぬとは言え、本件に関し先生の足を引っ張ったのではという淡い後悔に襲われました。

 それからほぼ半世紀後、こうした思い出のある先生の愛娘・陽子さんとの出会、ましてやお孫さんお二人の結婚式に参席することになろうなどとは!人の世の絆を思わざるを得ません。

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朝吼夕嘆

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