小学校を過ごした古仁屋を後にいよいよ両親の故郷、島尾敏雄ではないが“島へ”!満州・大連から引揚げ古仁屋へ引っ越す前の数ヵ月過ごし須子茂とは言え、正月、夏休毎に海渡り、山越え訪れた祖父母の住む須子茂村は古仁屋以上の故郷。昭和20年の終戦直後には100所帯もあったこの須子茂島、今は20所帯、しかもその内6所帯は後期高齢の一人暮し。誰が言ったか“悲劇の島”。
古仁屋港から船で15分、対岸の瀬相村へ。昔は徒歩で越えた山道を10数人の乗合バスで反対側の須子茂へ向う!車中乗り合わせた小母さんが運転手と話す“島ことば”音楽のように耳に響き、亡母音調を思い出す。
幾重も連なる山道かと思うと度々広がる海峡眺望、島ならではの山海パノラマ。峠を越え対岸の須子茂離を眺めつつ15分で到着。出迎えの従兄と共に早速、祖父母の眠る島郷土墓地へ参拝。幼時度々訪れた珊瑚礁と貝殻道を踏みつつ伯父宅へ向う緑に囲まれた路地は昔と少しも変わらぬ島風情。
島在住の親戚知友が三々五々集まり、時に涙ぐみつつ故両親の思い出と大連、沖縄を共に過ごした従兄弟の回顧談に耳を傾け、時間を忘れました。
古仁屋港から船で15分、対岸の瀬相村へ。昔は徒歩で越えた山道を10数人の乗合バスで反対側の須子茂へ向う!車中乗り合わせた小母さんが運転手と話す“島ことば”音楽のように耳に響き、亡母音調を思い出す。
幾重も連なる山道かと思うと度々広がる海峡眺望、島ならではの山海パノラマ。峠を越え対岸の須子茂離を眺めつつ15分で到着。出迎えの従兄と共に早速、祖父母の眠る島郷土墓地へ参拝。幼時度々訪れた珊瑚礁と貝殻道を踏みつつ伯父宅へ向う緑に囲まれた路地は昔と少しも変わらぬ島風情。
島在住の親戚知友が三々五々集まり、時に涙ぐみつつ故両親の思い出と大連、沖縄を共に過ごした従兄弟の回顧談に耳を傾け、時間を忘れました。