(平成13年、那覇高創立記念日で講演)
かつて、沖縄県内随一を誇った母校・那覇高が今や県内ランキング?10位以下になったと慨嘆Blogをアップしたところ、多くの先輩、後輩から様々批判コメントを頂きました。
母校変異一つのの背景には首里→那覇→新都心と沖縄県内経済のダイナミックな変動、発展があるのではないかと!
とはいえ、戦後一貫不変のランキングを維持する埼玉県の浦和高・浦和一女や鹿児島県のラーサール、鶴丸の背景には経済発展だけではなく、県内の教育行政視点があるのでは?
また、母校慨嘆だけでなく卒業生として母校への貢献を!との鋭意な指摘を受け、言い訳ではありませんがいくつかの関りを回想しました。
忘れられないのは平成14年、那覇高創立記念日に招かれ、 “IT社長への道”と題し全校生を前に体育館で講演したことです。その時頂いた聴講生からの感想文がいまだに手元に残っています。その後10年以上に亘り関東城岳(那覇高)同窓会の副会長として事務局を子会社のメディアワン21で引き受けさせて頂きました。それ以外些少ながら何度か同窓会には寄付をさせて頂きました。”何回?金額は?”との問いに答えるには些少で(´;ω;`)
傘寿高齢同窓生のボケ朦朧回想申し訳ない( ´艸`)
(凡そ500人が集まった校内体育館)