”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

「母校への朦朧回想」

2022年01月28日 | 「美ら島沖縄大使」便り
            
      (平成13年、那覇高創立記念日で講演)
 かつて、沖縄県内随一を誇った母校・那覇高が今や県内ランキング?10位以下になったと慨嘆Blogをアップしたところ、多くの先輩、後輩から様々批判コメントを頂きました。
 母校変異一つのの背景には首里→那覇→新都心と沖縄県内経済のダイナミックな変動、発展があるのではないかと!
 とはいえ、戦後一貫不変のランキングを維持する埼玉県の浦和高・浦和一女や鹿児島県のラーサール、鶴丸の背景には経済発展だけではなく、県内の教育行政視点があるのでは?
 また、母校慨嘆だけでなく卒業生として母校への貢献を!との鋭意な指摘を受け、言い訳ではありませんがいくつかの関りを回想しました。
 忘れられないのは平成14年、那覇高創立記念日に招かれ、 “IT社長への道”と題し全校生を前に体育館で講演したことです。その時頂いた聴講生からの感想文がいまだに手元に残っています。その後10年以上に亘り関東城岳(那覇高)同窓会の副会長として事務局を子会社のメディアワン21で引き受けさせて頂きました。それ以外些少ながら何度か同窓会には寄付をさせて頂きました。”何回?金額は?”との問いに答えるには些少で(´;ω;`)
 傘寿高齢同窓生のボケ朦朧回想申し訳ない( ´艸`)
      
     (凡そ500人が集まった校内体育館)
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「琉大退学、上京受験失敗!」

2022年01月26日 | 「私の履歴書」

          

                  (私が入学した首里城跡の琉大と放生池)

 私は那覇高校を創業し琉球大学(法政科)を受験します。当時農学部長を務めていた泉裕巳さんから「辰弥君、法政科現役で一番合格ですよ」と聞いて帰宅した父の顔が忘れられません。この泉裕巳さんは当時琉球政府の副主席を務めていた泉有平さんの子息で、私達と同じ奄美の須子茂出身でした。このお二人は共に九州大農学部卒でした。
 今思うと、あろうことか、琉大新入生の私は地元紙に当時グランド施設用地として学内で揉めていた「放生池埋め立て問題」で大学を難詰する投書をしました。当時、安里学長を補佐しこの問題解決に奔走しつつ、英語授業を担任しておられた翁長先生から“あれは君か?”と問われました。またこの件について泉先生が父に“辰弥君のあの投書はちょっと!”と注意があったようです。この投書問題が原因ではありませんが、私は結局琉大を一年で辞めることになります。その一因は沖縄在住奄美本籍者は琉大卒業しても公務員や教員等の公職就職はもとより、当時多くの琉大生が目指したアメリカ留学資格もなく、前途への閉塞感があったからです。同時に、先の国費・自費制度によって、九大、阪大、徳島大、信州医大、新潟大医学、東京医科歯科大等に進学した那覇高3年4組のクラスメイトを見て、琉大の自分がなんだか落ちこぼれのような気になり、授業には出ず翌年の早大受験を目指し、学内の志喜屋図書館で受験勉強ばかりしていたら、大学から除籍退学通知が来ました。
 

コメント (3)
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「母校・那覇高の没落」??(´;ω;`)

2022年01月16日 | 「美ら島沖縄大使」便り
                       
 先月10日「成人の日」にBS・TBS番組で午後10時から30分「沖縄県名門高校」のタイトルで我が母校・那覇高校紹介の番組放映がありました。高校同期、同窓生何人かに事前連絡し観ました。創設時の校舎、懐かしの校庭、城岳同窓会館や稲嶺、仲井真・翁長等々那覇高出身の歴代県知事の名前も出ましたが、内容は生徒会長を含む現在校生の活動紹介が主でした。
 私達の那覇高12期卒には大学教授、医師、弁護士、上級国家公務員と数10人を超すキャリアがおり、かって首里高校と並ぶ県内随一の名門校??でしたが、今や沖縄県内では昭和薬科、開邦、尚学、球陽等々の高校が偏差値上昇で我が母校は見る影もない(´;ω;`)何故こうなったか??
 私の住む埼玉では浦和高、浦和一女、故郷・鹿児島ではラ・サール、鶴丸高校と戦後一貫して揺るぎない高偏差値を維持、誇っています。ところが、歴代県知事を生み、かつて沖縄県内TOPを競った那覇、首里高校の現在の没落は何が原因だろうか?現在の母校を決して侮蔑する訳ではないが、埼玉県や鹿児島県と比較して伝統校?維持育成のない県教育視点に残念(´;ω;`)。それとも過去に捕らわれないダイナミック革新ビジョンの結果か。

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「国境は誰のためにある?」~中山大将著(清水書院)

2022年01月09日 | 「Weekly 読書感想」
                                      
 昨年11月、Zoom(オンライン)で「戦争社会学研究会」の土井智義琉大研究員と中山大将釧路公立大教授による「沖縄-奄美の境界変動と人の沖縄-奄美の境界変動と人の移動: 重田辰弥の生活史 」(野入直美著 )の書評会が開催されました。私も参加し、感想を述べましたが本書はその時の中山さんからお送り頂いた研究書でした。
 本書は日本、ロシア、ソビエテ間で数回に及ぶ境界変動したサハリン・樺太とその地に居住し先住民、アイヌ、ロシア、中国、日本人達の移動翻弄の調査記述書。この中山さんの“境界地域”研究については『沖縄―奄美の境界変動と人の移動」書中(251P)でも野入さんが触れています。
 中山さんは”サハリン残留日本人”については「樺太住民の境界地域史」(国際書院)にも書かれています。この本も寄贈頂きましたが400ページ近い膨大詳細な調査研究書は読むのも大変でした。とは言え、読むうちに満州、奄美、沖縄、東京と移動、それれぞれの地域でロシア、中国、奄美、沖縄、本土の人達と接触交流した我と我が生涯を顧み”国境無けれど故郷あり”の言葉を思いました。
国境とは何か?これはナショナリズムの生む境界意識か?この土地境界意識は農耕が生んだのか?狩猟民族のアイヌや南米、オーストラリアアボリジニ等々の原住民には国境意識はあるのだろうか?  
                          

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 「皆様、明けましておめでとうございます。」

2022年01月07日 | 「美ら島沖縄大使」便り
                             
 今年はコロナ、オミクロン蔓延で自宅に籠り勝ちの日々ですが、私はボケ防止を兼ねて毎日神田事務所に通っています。とは言え、自宅を出るのは9時前、帰宅は5時前とラッシュを避け感染防止の毎日です。ステージ4、重度の大腸癌が見つかり手術を受けた時は5年後の東京オリンピックまで・生存率は16%と言われましたが、お陰で今年で9年目ですが、完治とは言えず、3か月一度の定期検診継続です。
私は今年で82歳を迎え、日本男性平均生存率を超えそうですが、いつ再発するかわかりません。
   昨年は野入直美琉大準教授による『沖縄―奄美の境界変動と人の移動』~重田辰弥生活史の刊行を頂き、多くの方から感想を寄せられ、我が生涯の回顧レビューという貴重な機会を得て感謝に堪えません。有難う御座いました。いつまで続くかわかりませんが残る生涯、お世話になった故郷と後輩の皆様に何がしお役に立てばと神田事務所に通う積りです。どうぞ今年もよろしくお願い申し上げます。
遅ればせながら新年のご挨拶と皆様の益々のご健勝をお祈り申し上げます!


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朝吼夕嘆

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