”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

「奄美ICT視察ツアー・加計呂麻へ!」

2010年12月02日 | 「奄美災害体験報告」

    (チャター船で古仁屋港を後に加計呂麻へ)

     

「奄美ICTツアー」の二日目、先般豪雨災害で断念した故郷・加計呂麻への渡航実現。奄美市手配のバスにて名瀬から古仁屋へ1時間余で到着。

祝日休日にも拘らず、瀬戸内役場には企画課長とWEB担当者お二人の出迎えを受け、直ちに港へ直行、町が仕立てた船で対岸の加計呂麻島・生間(イケンマ)港に向かい、そこから役所保有の車2台で俵(ヒョウ)武名(タケナ)薩川(サツカワ)と懐かしい村々の山間、沿岸を縦断、途中「呑之浦湾」の「死の棘」でも有名な島尾敏男記念碑と特攻艇「震洋」豪に立ち寄る幸運に廻り合いました。

この日、たまたま公用車で私を案内してくれた瀬戸内役場のWEB担当の若手職員と語り合っている内に、何と彼のご母堂が重田姓で同郷の遠縁幼友と分かり、ことの序に須子茂まで案内して貰い、本家筋の従兄宅を訪ね祖先位牌お参りが出来ました。改めて島の人の繋がりの濃密さを思い知りました。

今回の加計呂麻廻りで最もショックだったのは表、薩川、木慈、須子茂等の小学校が全て2~3年内に廃校見込みで、島では伊子茂小学校1校だけになるという。

実は、休日にも拘らず二人の職員がわざわざ出勤、私達をエスコートしてくれたのは、この廃校舎の活用提案が一つの大きな目的でした。緑に覆われ山と海に囲まれた校舎を見ていると常設開発センターというより一時滞在の研修センターに向いているように感じました。

至る所”松食い虫”に食い荒らされ赤茶けているとは言え、この緑豊かな森林は島一番の資産、一時訪問者の目を楽しませるだけでなく常時島に住む人達への有効活用もぜひ検討されたらと思いました。

       

          (廃校される俵中学正門前で)

      

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「奄美ICT視察ツアー再行」

2010年12月01日 | 「奄美災害体験報告」

           

 “いい夫婦”の11月22日、先の豪雨で注視した㈱メッツ研企画の国交省委託の2泊3日の「奄美ICT視察旅行」の再開。同行は在京IT関係従事者10名。

1時半奄美空港着、先の災害復旧著しいとは言え、影響未だ至る所に残っていました。

 空港からIT企業誘致インキュベーター候補の笠利の「紬の館」直行後、地元進出のIT企業3社を訪問。市役所では参加者と地元企業、市担当者とマッチングセッション。私は沖縄へのNear shore進出経験から彼我の比較、検討から率直な感想を述べました。

 沖縄は若年者人口増と高い失業率からくる安価・大量の労働力供給、国による手厚い補助支援。その背景には高い在日基地負担があります。沖縄の持つこの要素メリットとは逆の基地招聘拒否に人口減を背負う奄美は何をアッピールするべきか。

 島嶼アイランドのもつ海と山の自然環境を全面に出し、量や規模を追うのではなくSO(スモールオフィス)やHO(ホームオフィス)等によるコンテンツ・ニッチビジネスか。いわば"IT一村"や"IT寅さん"モデルの創出追及。

 それは勢い株主利益と収益追求ひたすらな大企業対象ではなく、創造、生甲斐、自己実現追及価値観のベンチャーオーナー企業家の感性や島出身の故郷回帰、愛郷マインドに訴えた方がいいのでは。振り返り、私が20年以上前に公的補助金受領一切無く、自力で沖縄事業所設立に動いたのは中学、高校を過ごした沖縄への回帰心が大きく作用したのではと今にして気付きます。

 夕方、古仁屋育ちの私にとっては伝説の名瀬市の飲食街「屋仁川(ヤンゴウ)」で行われた交流・懇親会には市長以下担当の職員方も見え、盛り上がり、島振興に掛ける関係者の意欲を感じました。

           

                  (未だ残る豪雨災害跡)

 

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 「奄美で出会ったキュバー女性」

2010年11月21日 | 「奄美災害体験報告」

    

 先般の奄美豪雨災害に付随して思わぬ奇遇と前回、奄美郷土料理店「あきつ」を紹介しましたが、このお店を後に奄美空港へ向う途中、フライト時間待ちを利用して立ち寄った「田中一村博物館」等も所在する空港最寄の「奄美パーク」内。食堂でいそいそと働く外国女性が目に付きました。

観光、一時滞在かと声を掛けると何と奄美居住の中南米・キュバー出身女性。たまたまキュバーを訪れた奄美出身のご主人と出会い来島7年になるとのこと。キュバーと奄美、それぞれ島嶼出身、意外な出会いがあるものと感慨一入でした。

弁護士・カストロにドクター・ゲバラと博覧強記、ご自分も弁護士を目指したが上手く行かなかったと流暢な日本語、遠く故郷を懐かしむ風情微塵も無く、豪雨災害何処吹く風と尽きることのないその語りとパワーに辟易ではなく、圧倒されました。

 

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「感激の奄美料理店“あきつ”」

2010年11月16日 | 「奄美災害体験報告」

    

 先に、奄美豪雨の災害に会った際、稀有な体験をしたと書きましたが、奄美滞在の最終23日の土曜、メッツ研究の佐藤、森田両所研究員と共に得難い経験をしました。その内の一つ!

 名瀬のホテルを10時にチェックアウト、一路奄美空港に向かいましたが、途中名瀬市郊外の和光トンネルを抜けた新興住宅地域とも言える「中勝」の奄美地場料理店「あきつ」を思い出し、同行のお二人に紹介方々寄って見ることにしました。

 しかし、このお店は南郷㈱沖縄ソフトセンター社長の奥様が自宅で予約顧客向けの言わば奥様の“趣味のお店”。このことを思い出し、慌てて沖縄常駐の南郷社長に電話で打診しお邪魔しました。

 事前予約原則のお店、我々3人だけの突然の訪問にも拘らず奥様は快く対応、歓迎頂きました。

当初“お茶だけなら”と言われ、私達3人もその覚悟でしたが、奥様はやがてお手伝いの人をお呼びになり、地元の源材料を調理、ほぼフルコースとも言えるメニューの歓待に感激しつつ満喫しました。その上「今回は急な手料理ですから!」となかなか御代を受け取ろうとなさらずこれまた恐縮しました。

私は以前にもお邪魔したことがありますが、この日初めての同行お二人は地場素材のメニューだけでなく、次々繰る出される器や宮大工様式の部屋デザインや各地から取り寄せた素材、装飾絵画に、豪雨災害を忘れるひと時でした。

        

       (同行・佐藤さん撮影の”あきつ”メニュー”)

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「帰路・奄美空港へ」~奄美豪雨災害レポート⑦

2010年11月07日 | 「奄美災害体験報告」

 23日土曜10時チェックアウト、同行待機の㈱メッツ研究の佐藤、森田両所研究員とタクシーを呼び、19時発の羽田直行便搭乗を目指し一路奄美空港に向う。名瀬市内から空港までのメインロード国道58号線は未だ復旧せず、選んだ隘路の路傍所々にも車両が埋まる等被害の大きさを見ました。

60歳を越すベテランのこのタクシー運転手は島内事情に詳しく、空港までの1時間強、その語りは左右沿路に建ち並ぶ看板会社の業務内容に留まらずその沿革、経営者像にまで及ぶ。そう言えば、奄美の沿道で目立つ広壮な屋敷はその殆どが土木建設業の成功?者。問わず語らずタクシーに揺られつつ、その話に離島振興、特別会計から土木建設に依存する奄美の経済構造、果ては奄美の“トク、ヤス政争”まで連想が及ぶ。

この後、飛行機に搭乗、21時羽田着。午後11時に過ぎに4日振りに帰宅でした。
振返り48時間に自動車、飛行機、船と近代輸送手段を体験、無事生還、帰宅出来たのも丸24時間運転同行してくれた原君の冷静、沈着な対応と島の一部との官民一体の救済活動のお陰。改めて感謝申し上げます。
 実はこれ以外に奄美ホテルチェクアウトから19時搭乗までに㈱メッツの同行2人と共に得難い出会と経験をしましたが、追ってご報告します。

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「フェリー船で名瀬へUターン」~奄美豪雨災害レポート⑥

2010年11月05日 | 「奄美災害体験報告」

 22日朝、久方振りに古仁屋の従妹宅・床上で朝を迎える。天候はまだ完全に回復せず、23日土曜便での帰京のためには初期目的の加計呂麻・須子茂訪問は難しく、本家従兄にその旨、電話で釈明。名瀬へ道路は開通せず、この夕刻、徳之島から古仁屋を経由、名瀬へ向う定期フェリー2500トンの「喜界丸」寄港ニュースを得て、k古仁屋の「海の駅」港へ向い午後6時発チケット購入。この間、同期の従兄弟の案内で古仁屋小同期3人を訪問。二人は“ああ、タツヤか”と思い出してくれたが、私が記憶している他の一人は最後まで思い出さなかったらしい。また、拙書「おきなわ就活塾」(新宿書房)を陳列販売している重野書店を訪問“売れていますよ”という店主のお世辞を頂く。

 6時、およそ10年振りの船旅乗船。驚いたことに友人・内倉さんの高齢の御母堂が雨の中、船が離港するまで手を振って見送り受けました。名瀬から古仁屋までの運賃2000円、雑魚寝の船室。生涯2度目の古仁屋から名瀬までの船旅、ウトウト2時間余、9時過ぎに名瀬港に到着。 港には今回の「ICTツアー」企画の担当㈱メッツ研究所の佐藤さんと森田さんの出迎えを受け、タクシーでホテルへ向いチックイン。3人で最寄の居酒屋で、遅い食事をする。久々のホテルベット宿泊、爆睡!

 

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「奄美車中二日夜、再び古仁屋へ」~奄美豪雨災害レポート⑤

2010年11月03日 | 「奄美災害体験報告」

           
 奄美入りの二日目の21日、住用体育館前・車中でもう一泊かと半分覚悟の午後9時過ぎ、ウトウトしていた私の元に、車外で情報収集していた原君が“会長、古仁屋へ向いましょう!”と戻って来ました。

仕事柄、島内道路にも精通し、顔見知りも多い原君、この日も体育館避難者から情報を収集、名瀬行きは無理だが古仁屋には薩川経由のバイパス路が開通したとの情報を得たようです。

携帯等の不通の中、現地のFM放送は24時間、不眠不休で災害状況を流し続け、この時の唯一の情報ルートとして機能、被災者は大いに助けられ、ローカル報道機関の有難さと貴重性を改めて認識させられました。
 9時過ぎ、以前雨降る中、古仁屋に向かいましたが、原君は決壊道路の脇道を巧みな運転捌きで進む途中、土塊に埋もれた車を何台か見ました。この道々、ドコモ携帯が繋がり、関係方面へ状況を報告しました。

この道中“不幸中の幸い”というか稀有な出会い、経験をしました。まず原君の“会長!”と指さす方向見ると、道路の真ん中に髑髏を巻くハブの姿、さらに“アレアレ!”いう声に道路脇を走る鼠にしては大きく白っぽい何と天然記念動物の“奄美の黒ウサギ”の姿。聞けば、雨上がりの夜の道路には良く出没するという。もとより写真撮影の間など無いラッキー?な一瞬の出会いでした。

21日午後11時、古仁屋に無事着。従妹の上原律ちゃん宅へ寄寓。運転の原君と偶然同期のこの従妹の長男が兵庫で消防団長。消防ネットワークを活用し、私の生存を確かめ各方面へ生存を連絡してくれました。

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「体験交流館」構内・車で一夜~奄美豪雨災害レポート④

2010年11月02日 | 「奄美災害体験報告」

            
 10月21日木曜、原君と私は住用町「体験交流館」構内車中で奄美入り三日目の朝を迎えました。小降りになったかと思うと豪雨がぶり返し、一向に止む気配がなく、これではもう一夜車中かと覚悟していました。

トイレは館内施設を利用できましたが、流石に洗顔はままならず、体育館には市役所、警察、消防、自衛隊等職員が入れ替わり立ち入る一方、老人センター入居の被災者が車椅子とともに搬入され、インスタントラーメンや飲料瓶、毛布等の救援物質が続々届き、飲食面では不自由は感じませんでした。

昼頃、警察隊員が来館、“島外の方、優先ですが氏名と連絡先記入して下さい”と用紙を配られました。私は埼玉の自宅電話NOと氏名を書き、渡しました。

この日午後、携帯も繋がらず私の安否を心配した家内に“重田さんのお宅ですか?こちら奄美警察ですが”という電話が掛かって来て、一瞬ドキッとしましたが、続いての“シゲタタツヤさんは御無事です”の通報にホッとしたとのことでした。家内は会社等関係先に無事を連絡したようです。

これは地元警察が専用衛星電話を使用して、来島者の安否を島外家族に連絡して頂いた我々の予想外の措置で、被災者にとっては大変有難いことでした。

 

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「ライトバン車中避難」~豪雨災害レポート③

2010年11月01日 | 「奄美災害体験報告」

            
 奄美到着の20日、豪雨の中、名瀬市・古仁屋中間・住用村中を二往復、行きも引き返しもならず、運転の原君が“これは無理です。ここで少し様子見ましょう”と往復通過した住用村の「奄美体験交流館」(体育館)構内に駐車しました。時に午後4時頃。結局、翌21日午後9時頃までの30時間、この体育館構内駐車場で待機することになります。

この大島本島中央の住用町は河川湿地地帯で雨量も多く、そのためマングローブ原生林が茂り、個性動物も多く、奄美でも随一の亜熱帯資源の保全地帯として有名です。

この度の災害でNHKはじめ全国のテレビで放映報道され、全国的に知られることになったこの町の体育館、私達が避難駐車した時点では、数台の車でしたが、時が経つほど警察、消防、自衛隊の車で構内駐車場は満杯、やがて館内には300名を越す避難、救済者が続々搬入されました。私達二人は館内には移動せず、6人乗りライトバンの座席を倒し、平面ベッドとし車内で寝起きしました。

幸い、この間の食事は地元ボランティアによるお結び差し入れや館内で販売されたインスタントラーメン、トイレは館内施設利用で不自由はしませんでした。ただ、この時点既に頼りにしていてドコモ携帯電話が“圏外”として不通になっていました。この間、テレビニュースを見た私の奄美行きを知る家族はじめ多くの知人が何度か携帯に電話しても不通を知り、大変御心配をお掛けしました。後で聞いたところでは島内通信施設が被害を受け、普通になっていたとのことでした。    
        

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「加計呂麻を目指して」豪雨災害レポート②

2010年10月31日 | 「奄美災害体験報告」

             
 奄美大島北端の空港から本島南端の古仁屋まで順調であれば、奄美を初めて訪れる人々を魅惑する山道と海岸縁とくねくね大小10近いトンネルを潜り2時間ほどかかります。

この中で住用村に架かるおよそ三太郎トンネルが最も長いようです。

名瀬市を通過、新和瀬トンネルを抜け、名瀬と古仁屋の中間点・住用に入る辺りから急速に雨脚が激しくなり、運転の原君と「大丈夫か?行けるか?」などと話しながら、区間一キロ近い最も長い三太郎トンネルを抜けたところで、濁流の前で立ち往生、行く先を塞いでいる三台の車に出会いました。私達もトンネル出口で、およそ20分以上前方の車が動くのを待ちましたが、雨脚は激しくなる一方で前方駐車も一向動く気配がなく、車上から見る川は海の浮遊物を乗せた海流が見る見る逆流、溢水。

やがて、運転の原君が「会長、古仁屋行きは無理みたいです。今日は一旦引き返し名瀬に泊まり、明日向いましょう」と引き返しました。

ところが、テレビでも何度か報じられた住用村の「奄美体験交流館」(体育館)前を通過、名瀬に向う和瀬海岸沿いの道が冠水、通行不能、水が引くのを待ちましたが、折からの満潮で海水は増える一方、ママよと再度古仁屋行きを目指し、三太郎トンネルに引き返しましたが、出口には前回を上回る車が立ち往生していました

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「10月20日、奄美入り」~豪雨災害レポート①

2010年10月31日 | 「奄美災害体験報告」

20日水曜午前8時35分、羽田発、午前11時奄美空港着。
空港には友人の原㈱プリアンブル社長の弟・健二君が自家用ライトバンで古仁屋から出迎えに来てくれていました。雨模様ながらさほどの悪天候は予想されず、当然のことながらこの時点では、二人ともこのライトバンでこの後30時間共に過ごすなどとは予想だにしていません。

那覇空港から市内までは車で15分足らずで行きますが、奄美本島北端の笠利町の奄美空港から奄美中心街の名瀬市までは車で山間を縫い、45分ほど掛かります。名瀬に着いたころは雨脚が強くなりましたが、そのまま本島南端・奄美本島第二の町・古仁屋に向かう国道58号線を下り、フェリーで両親の生まれ故郷である加計呂麻島・須子茂に向う算段でした。

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「奄美訪問に先立つ過密、錯綜9日間」

2010年10月26日 | 「奄美災害体験報告」

 今回の私の奄美大島災害遭遇について、50通以上のお見舞いと問い合わせのメール頂き有難うございました。

この奄美行きに先立つ1週間の間に以下のように高校、大学の級友等多くの人と出会う機会があったのも大きな理由だったと思います。

1020日午前11時奄美大島北端の名瀬空港着から翌日21日の午後11時本島南端の古仁屋に辿り着くまでの都合30時間、車中移動、宿泊、豪雨避難を経験しましたが、その前週は以下のようにスケジュール錯綜でした。9日の間に東京、沖縄、奄美を飛行機、車、船で縦断、2往復、恐らく生涯二度と無い経験をしました。
 以下追ってご報告します。

 
1013日(水)18:00;東京「都市センターホテル」“仲井真知事激励会”出席

 14日(木) 朝一便羽田発沖縄へ、沖縄国際大で講義。友人と会食懇親。
 
15
日(金)県内顧客及びマスコミ各社へ合併新会社発足挨拶訪問。
 16日(土)母校那覇高100周年式典、同期会。最終便帰京。午前0
時帰宅。
 17日(日)母校早稲田大学卒業45周年Homecoming
式典、クラス会出席。
 19日(火)関東沖縄IT協議会総会及び懇親会。午前0
時帰宅。
  20日(水)8時半朝一便羽田発、11時奄美大島名瀬空港着。 (車中30
時間) 
  21日(木)23
時、(奄美本島南端)古仁屋着。
  22日(金)18時 貨客フェリー「きかい丸」で古仁屋港発、21
時、名瀬港着。
 23日(土)19時 最終便で奄美空港発、21時羽田着。23時帰宅。

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朝吼夕嘆

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