創業以来これまで県内外の新聞や機関紙、雑誌等から要請されるままにコラムやエッセイを書いて来ました。20年以前の若気や衒気紛々、今にそぐわない文章もありますが、支障ない限り暫くご紹介させて頂きます。以下
昨年社内結婚した沖縄出身のLさんと大阪出身のM君夫妻が「社長、実はー」と「おめでた」の挨拶に来た。Lさんが入社した四年前のことを思い出した。
沖縄の親御さん一般の例にもれずLさんの御両親も一人娘の県外就職を望まなかったが本人の強い意向に押し切られ「いずれ沖縄に帰る。結婚は沖縄の人とする」という条件つきで同意した。
これはLさんにかぎらず娘を本土就職に送り出す沖縄のほとんどの親の気持ちだ。入社の時、県公務員のLさんのお母さんもわざわざ我社の東京本社を訪れこのことを述べられ「社長さんもどうぞよろしく」と言われた。私は「いいですよ、でもこれはご本人第一ですから」と笑って答えたものだ。
Lさんは学生時代、テレビに出演するなど深く澄んだ明眸と闊達な性格なため社内では人気が高かった。このLさんが入社三年目に大阪育ちの母子家庭で長男のM君のひたむきさと情熱にほだされ、連れ立って婚約の報告に来たときにはこういういきさすがあったので心中困惑した。こんな私の様子を見てM君はLさんに「社長は僕等の結婚を必ずしも喜んでいないようだ。妬いているんじゃないか」と言ったとか言わなかったとか。
県出身のお嬢さんを採用するにはこんな悩ましさもあるのだ。東京で行われた結婚式の当日、嬉しさ半分悲しさ半分で「社長さん、娘夫婦の沖縄転勤はないでしょうか」と挨拶にきた新婦のお父さんももうすぐ初孫を迎える。
91年9月 琉球新報「仕事の余白」コラムから。
昨年社内結婚した沖縄出身のLさんと大阪出身のM君夫妻が「社長、実はー」と「おめでた」の挨拶に来た。Lさんが入社した四年前のことを思い出した。
沖縄の親御さん一般の例にもれずLさんの御両親も一人娘の県外就職を望まなかったが本人の強い意向に押し切られ「いずれ沖縄に帰る。結婚は沖縄の人とする」という条件つきで同意した。
これはLさんにかぎらず娘を本土就職に送り出す沖縄のほとんどの親の気持ちだ。入社の時、県公務員のLさんのお母さんもわざわざ我社の東京本社を訪れこのことを述べられ「社長さんもどうぞよろしく」と言われた。私は「いいですよ、でもこれはご本人第一ですから」と笑って答えたものだ。
Lさんは学生時代、テレビに出演するなど深く澄んだ明眸と闊達な性格なため社内では人気が高かった。このLさんが入社三年目に大阪育ちの母子家庭で長男のM君のひたむきさと情熱にほだされ、連れ立って婚約の報告に来たときにはこういういきさすがあったので心中困惑した。こんな私の様子を見てM君はLさんに「社長は僕等の結婚を必ずしも喜んでいないようだ。妬いているんじゃないか」と言ったとか言わなかったとか。
県出身のお嬢さんを採用するにはこんな悩ましさもあるのだ。東京で行われた結婚式の当日、嬉しさ半分悲しさ半分で「社長さん、娘夫婦の沖縄転勤はないでしょうか」と挨拶にきた新婦のお父さんももうすぐ初孫を迎える。
91年9月 琉球新報「仕事の余白」コラムから。