”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

「沖縄転勤はないですか」

2007年02月25日 | 著書:「おきなわ就活塾」(新宿書房)
 創業以来これまで県内外の新聞や機関紙、雑誌等から要請されるままにコラムやエッセイを書いて来ました。20年以前の若気や衒気紛々、今にそぐわない文章もありますが、支障ない限り暫くご紹介させて頂きます。以下
                    
 昨年社内結婚した沖縄出身のLさんと大阪出身のM君夫妻が「社長、実はー」と「おめでた」の挨拶に来た。Lさんが入社した四年前のことを思い出した。
 沖縄の親御さん一般の例にもれずLさんの御両親も一人娘の県外就職を望まなかったが本人の強い意向に押し切られ「いずれ沖縄に帰る。結婚は沖縄の人とする」という条件つきで同意した。
 これはLさんにかぎらず娘を本土就職に送り出す沖縄のほとんどの親の気持ちだ。入社の時、県公務員のLさんのお母さんもわざわざ我社の東京本社を訪れこのことを述べられ「社長さんもどうぞよろしく」と言われた。私は「いいですよ、でもこれはご本人第一ですから」と笑って答えたものだ。
 Lさんは学生時代、テレビに出演するなど深く澄んだ明眸と闊達な性格なため社内では人気が高かった。このLさんが入社三年目に大阪育ちの母子家庭で長男のM君のひたむきさと情熱にほだされ、連れ立って婚約の報告に来たときにはこういういきさすがあったので心中困惑した。こんな私の様子を見てM君はLさんに「社長は僕等の結婚を必ずしも喜んでいないようだ。妬いているんじゃないか」と言ったとか言わなかったとか。
 県出身のお嬢さんを採用するにはこんな悩ましさもあるのだ。東京で行われた結婚式の当日、嬉しさ半分悲しさ半分で「社長さん、娘夫婦の沖縄転勤はないでしょうか」と挨拶にきた新婦のお父さんももうすぐ初孫を迎える。 
             91年9月 琉球新報「仕事の余白」コラムから。  
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「テレビ・インタビュー」

2007年02月24日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 先日、沖縄県産業振興公社運営の「ベンチャースタジオ」スッタフが来社取材インタビュー受けたことお伝えしましたが、琉球朝日放送(QAB)と沖縄ケーブルテレビ(OCN )で放映されました。

 その内容が㈱「EmEO沖縄」のHP(http://emeo.co.jp)の「What's New」からダウンロードで御覧になれます。
通常15分程の番組のようですが、今回は拡大版ということで30分ほどかかります。
 また、来週からは(OVS)のホームページhttp://ovs.jp/で動画配信されますのでご覧になれるようです。
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「創業29年、悲喜交々」

2007年02月24日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 去った20日、信濃町の「若夏荘」で関東沖縄IT協議会・第15回定例会での標題のタイトルでユンタク(講演)。講演というには口はばったいが、要は私の苦労、失敗談。当初出席20名足らずということで、慌てて知友に声を掛けたら50名余参集、幹事から不手際を指摘され反省。当日欠席の方からは是非別の機会にと!お世辞のエールも頂いた。


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“越境する琉球女性”の現代版

2007年02月24日 | 「美ら島沖縄大使」便り
「千客万来」
 我が母校那覇高から明大へ、卒業と同時に今騎虎の勢のエン・ジャパン社営業ウーマンとして就職。入社4年目の昨年、同社の北京進出にいち早く手を挙げ、先発3人の一人として勇躍赴任!
 進出1年弱、会社の方針転換に退社、中国語マスターと人脈形成を目指し、北京残留を決意。なんと給与保障なし、出来高払いの北京アパート斡旋新興企業に挑戦、転職。中国語マスターと大陸人脈形成の暁には帰沖創業を目指す。
 この娘、ご母堂が重田姓のため“重田会長の義娘です”とあちこちに吹聴!
北京渡航前は戸田10キロ、ナハマラソン共に競走、いずれも当方惨敗の元気娘。離日渡航1年前の”おぼこ娘”の凛然レディ変身登場に驚く。ここに今“越境する琉球女性”の現代版。今週退社手続に帰日、来週は北京へUターンの多忙を縫って来訪! 元気を貰い、エールを贈る!!!
 
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「第21回紺碧会」

2007年02月20日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 15日、御馴染みの霞ヶ関・東海クラブで開催された百瀬明大名誉教授が音頭を取る沖縄酒造組合主催の恒例のパーティ。昨年欠席した所為か、主催者から出席勧誘の電話を貰い出席。
 県主催の無料招待“観光感謝の夕べ"等を除けば有料在京沖縄関係イベントでは最大規模の動員力を誇る。この日も島袋県酒造協同組合会長、佐久本副会長はじめ400名余。国会議員や内閣府等政府関係者と出席者は多彩だが県出身者は半分以下。経営協会長として壇上に呼び出された。
 参加者が200名に満たない以前は出席者に泡盛のお土産が行渡ったが、この日は抽選!ホクホク顔の当選知人を横目に抽選外れ手ぶらの帰還と相成った。
その憂さ晴らしででもないが出席知人と最寄の赤坂「南」で焼け酒あらぬカラオケ放歌!お陰でこの宵、散在4万余となった!
 
 実は沖縄酒造組合連合会主催する「泡盛同好会」というのが別にあり、県外者から同じ泡盛にも関らず、どうも分りにくい。そういえば最近統合組織立上が議論されているとは言え、沖縄県内の空手団体も乱立分散している。琉舞組織もそうだ。何でもかんでも中央統一すればいいと言うことではないが、協議機関ぐらいあってもいいのでは。
 

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「聶小華㈱PIC社長来社」

2007年02月18日 | 「美ら島沖縄大使」便り
(千客万来)
 中国北京出身。日本留学の後、SEとしてNRI(野村総研)で多くのシステム開発経験。その後、ご両親を含めご家族全てバンクーバーに渡り、IT企業㈱PICを設立、日本からソフトのオフショア受託開発を行っている。社員はカナダ在住で日本語に通暁した中国人と日本人。
 すべからず、自分がTOPに立たなければ気が済まない中国人気質の中で、この人の賢いところは日本法人社長には日本人・岡本社長を立てている点。過年、沖縄に御案内した時“ここは日本ではない”との感想。多くの中国、韓国人が沖縄の人情、風土に対し共通に共に抱くデジャブ(既視感)。
 とはいえ、この人も多くの来日キャリア中国女性同様に果敢な起業マインドと超プレジェンテーション・パワーの持ち主。その評価にはこちらの力も試される。

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「北米養秀十五周年記念誌」:北米養秀同窓会

2007年02月18日 | 「Weekly 読書感想」
 12年前の1995年に編纂された北米養秀(沖縄県立一中・首里高校)同窓会記念誌。半年前にロス在住の知人・斉藤陽子(15期)さんから頂いた。全てを読んだ訳でないが思い出し先日拾い読み了。
 一読、世代、地域を越えた養秀会の歴史と存在の重みを感じ、我が城岳同窓にこれに匹敵するものがあるだろうか。
 往年の“文学少女”斉藤陽子さんの亡父・翁長俊郎氏は旧名護英語学校校長を勤められた後、志喜屋元初代学長の下、事務局長として琉球大学創設に尽力した功労人。実は私は1年在学した琉大でこの翁長先生から典型フレーズを繰り返しテープレコーダーでhearingする“ミシガン式”英語を教わった。終戦直後の首里と尊父・翁長先生が創設に貢献した首里城跡の旧琉大が移転の為に壊されていく風景描写は読んで切なさを伴う。

 在琉米軍民政官補佐として歴代高等弁務官と琉球政府の仲介・調整を果たした元北米会長の故サンキ(山城)浄次氏の足跡や顧問の岩田(宮平)ベティーさん等会員の太平洋を跨いだ活躍は養秀同窓会先輩連の大きな存在を感じさせられた。
 晩年MIT日本事務所長を歴任したサンキ氏なら他の誰にも書けない貴重な戦後アメリカ沖縄統治録が残せたろうにと惜しむ。本書は同窓会誌を越えた貴重な歴史的資料とも言える。
 
 最後にミシガンから“夢の足音”という詩を寄稿している14期(我那覇高12期同年)の安(湊川)幸子さんとは当時才媛の名を全島に響かしたあの湊川さんか?!48年前、急行「霧島」で東京向け鹿児島駅頭を立つ彼女を車窓越しに“湊川さ~ん!”と見送ったシーンを昨日のように思い出した。



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「テレビ出演」

2007年02月16日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 沖縄県産業振興公社の運営する「ベンチャースタジオ」スッタフが来社。
テレビ収録取材を受けました。㈱「EMEO沖縄」立上げを伝えた新聞報道やBlogを見て“沖縄の若者へのメッセージを“という趣旨。収録30分。

 放送は琉球朝日放送・QAB(4ch) 2月17日(土)AM 7:00~7:30
    沖縄ケーブルテレビ(OCN )2月17日(土)PM13:00~13:30
                 2月18日(日)16:00~16:30、22:00~22:30
                 2月20日(火)20:30~21:00
の計5回放送されるとのことです。
テレビは沖縄県内だけでしか視聴出来ませんが、放映2週間後に(OVS)のホームページhttp://ovs.jp/で動画配信されますので、ご覧になれるようです。
  
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「ソフト人脈」掲載・年頭所感

2007年02月15日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 IT業界紙「ソフト人脈」2月5日号”業界団体07年展望”欄に関東沖縄IT協議会会長として所感が掲載されました。以下

 私共在京県出身IT企業者の交流会組織「関東沖縄IT協議会」は昨年暮、有志で㈱「EmEO沖縄」を設立、今年はその本格的立上げと発展を目指します。
 現在日本のIT産業は開発要員需要増大の一方、プロフェッショナルなIT人材の絶対的不足が叫ばれています。私共㈱「EmEO沖縄」はこの需要と供給のミスマッチの解消に“Employment、Education、Offshore”の三つのキーワードでアプローチします。
 郷土沖縄県では第一次マルチメディア・アイランド構想の下、コールセンター、データセンターなどの誘致と雇用に成功しましたが、これはローテク、低賃金による誘致インセンティブの側面があります。反面、沖縄県における若年者の失業率は全国一高く、いわゆるフリーターやニートの増大が論議されています。
仲井真沖縄県新知事も第二次構想としてコンテンツ、システム開発、システム運用等のハイテク分野の構築・誘致に力を入れ、沖縄をアジアへのIT情報発信地域として活性化を目指し、合わせて県内失業率の低下を公約に掲げています。
 首都圏で日夜IT経営を展開している私共㈱「EmEO沖縄」はこうした官の政策と呼応し、首都圏を中心とするIT関連業務の受注と県内での遠隔開発、いわゆるNear Off Shoreの実現、そのための県内若年者の育成、同時に経験豊かな団塊の世代等の沖縄へのIターンを並行推進し、県内人材の底上げを目指します。了
                   「関東沖縄IT協議会」会長・重田辰弥

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「管理者の究極目的」

2007年02月12日 | 著書:「おきなわ就活塾」(新宿書房)
“警察官の究極の目的は警察官の要らない社会の実現”というのを聞いたことがある。現実にはそんか事が実現する筈がないが、その役割を存在論的に表現した至言。
 この言で行くと“管理者の究極の目的は自分が居なくても困らない組織の実現”ということになる。ところが現実には“俺を通せ”とひたすら自分に権限を集中、“自分が居なければ困る組織作り”を目指す管理者が少なくない。パワフルで有能(?)な管理者ほどその傾向があるから始末が悪い。
自己の究極的役割目的が自己の存在否定実現になるのだから悩ましいが、実際には“適切な権限委譲、後継育成”の勧めということだろう。

 創業経営トップには“出処進退を潔く“の心構えということになろうか。
“そうした高貴な動機で貴方はこの度、会長に退いたのですか”と言われそうですが、実は心身ともに能力の限界、“もう、楽をしたい”というEscape Mindが大きな引金でした。どうでもいいでしょうが、ハイ!

 (写真は沖縄産業公社でのセミナー)
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「ウイリアム斉藤氏と」

2007年02月11日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 この度、共和党次期アメリカ大統領候補として名乗り上げたあの元ニューヨーク市長Giulianiとセキュリティー会社「Giuliani」を設立、日本法人CEOに就任している斉藤・ウイリアム氏と赤坂の琉球料理店「譚亭」で懇親。
 先月、アメリカン・グラブで受けた歓待への御返だったが、主題はセキュリティー事業と並んで同社が実施する健全娯楽としてのCASINOサポート事業の沖縄展開とfeasibility studyに当たっての県内人脈、交流意見交換。

 私は過年ロス在住のウイリアム氏のご両親知友・斉藤御夫妻宅には数日滞在、お世話になった。また、故祖父母は翁長俊郎・君江元琉大教授。ウイリアム君が誕生する数日前に逝去された生前の俊郎教授から琉球大学で私は1年間英会話授業を受けた縁。
 米国生・大学卒後シリコンバレーで Bio Security Venture I/O社を立ち上げ、アジア系として初めて米国アントレプレナー・オブ・ザ・イヤーを受賞した氏、読み書きは日本語より英語が得意。弟君のダニエル君も日本MYSQL社(http://www.mysql.com)を経営する等IT Venter一家。
 この宵、興に乗り若きビル・ゲイツと銀座で豪遊した思い出話に花が咲き、5歳の頃、度々一人でロスから訪ね、殊のほか思い入れがある沖縄、堪能した創作琉球料理の高木凛子オーナーの紹介を所望され、記念ショットとなった。
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現在版ナツコ「群星」高橋オーナーに聞く

2007年02月11日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 先週、高円寺の「群星」オーナーの高橋(上原)淳子さんの奮闘談を聞いた。
中学卒業と同時にグンボー(牛蒡=外腹)16名兄弟・姉妹、口減らしのため上阪、名古屋、浅草、上野と遍歴、その間、“琉球人、朝鮮人お断り”の求人札を潜り、食堂給仕、女中、ホステス、トランク一杯万札抱く親分の贔屓、雇われママ等を歴任、20台後半で遂に高円寺に居酒屋「きよ香」を開店。県出身の学者、文人等を顧客に発展、その後隣接して第2店「抱瓶」を、そして昨年遂に4フロアーからなる土地付堂々、総額1億に迫る自社ビル第三店の「群星館」を建設、開業。将に在京県出身女性中NO1の立志伝。現在版「ナツコ」。否、その実績では優にこれに勝ると思う。

 この夜、結い上げ髪に藍染大島、外連味無いたおやかな語りを一緒に聞いたのは新聞記者、外資系ISO審査機関、服装デザイナー、司法試験に挑む在京・県出身インテリ女性一同、気が付いたら11時過ぎ、息を呑まれつつ店を出たが、我々5人の姿が見えなくなるまで店外で何度も叩頭礼する高橋さんの姿に今日の発展所以を見た思いでした。
 (残念ながら写真には当夜の参加者4人で、当の高橋さん写っていません)

 
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「沖縄県就職指導教官ご来訪」

2007年02月09日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 沖縄県立八重山商工高情報技術科進路指導の伊是名先生と県東京事務所県外求人開拓推進員の田中さんが来社された。
 県では毎年職場実習引率とは別に、高校の就職担当の先生をこうして派遣される。卒業生の定着就業状況と同時に県外の企業現場視察・研修が目的。先生は琉球大情報工学卒で昨年まで四年間浦添工業高に勤務されており、当社勤務の教え子や琉大同窓社員の話題で盛り上がったが、とくに浦添工高一期生複数が20年以上勤続している事実に改めて感慨をもたれた。
 現奉職先の八重山商工高情報技術科は新設で、来年初めて卒業生を出されるとのこと。ぜひ推薦したい県外志望の優秀な女性がいるとのことでした。ご来社有難うございました。
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 「退社」

2007年02月08日 | 著書:「おきなわ就活塾」(新宿書房)
 企業人にとって退社は入社以上に難しい。退社は一方的に社員ばかりが悪いのではなく、当然のことながら辞められた会社や社長にも問題がある。最終責任者としての社長の責任を逃げる訳ではないが「会社とは上司!」と言われる様に当社に限らずの社員が退社する最大の理由は上司。それだけに会社は社員教育、それも管理者教育が重要だ。
 ある時、日本有数の銀行勤務者が「上司や私の転勤があるから我慢出来るんですよ」と笑いながら言うのを聞いたことがある。このように運悪く相性の悪い上司に仕えたとしても、雇用条件の良いブランド企業や超安定の官庁勤務の場合は退社の世間的ダメージが大きく、社員は歯軋りしながらも耐える。そのため、得てして大企業には”いいから私の言うことを聞け!“等のパワハラ上司が少なくない。
 ところが当社のような設立浅いベンチャーの場合はそんな隠忍・残留のインセンティブは働かない。下手すると退社、転職が勲章の場合さえあるから、上司の一言でさっさと辞める。経営者にとって堪ったものではない。技術力の高い社員でも部下の定着しない先輩・上司は長期的に会社に大きな損害を与えることになる。
 社長にとって辞表を提示されるということはいわば社員から“見限られる”ことで、余ほど止むを得ない以外、相当にこたえる。逆に社員にとっては“辞めさせて頂きます”という瞬間は人間として社長と全く対等になる時。
 在社時の情報やノウハウを遺漏、持出は論外としても同業他社への転社告白は社長にとっても辛いものだが、思い切って正直に言った方が良い。去られる社長にとって後々一番嫌な印象が残るのは“帰郷”とか“家族の病気”とか嘘の理由が分かった時。

 これまで県出身者から多くの辞表を受け取ったが、全体に県出身者は良くも悪くも退社下手。照れがあるのか「お世話になりました」という挨拶、別れの儀式が出来ない。あるいは“世話になんかならなかったのに、そんな台詞言えるか”と正直なのかも知れない。会社を離れることは別に人生の別れではない。そんな他人行儀な挨拶、狭い県内、明日また顔合わすかも知れない“なんで、いいさ!”と言わんばかり。現に先日、沖縄の懇親会でバツの悪そうな照れ笑いで“どうも!”と頭を下げる30名越えるOB社員達は多かれ少なかれ現役社員と模合等の付合いがある。
 それはそれとして、辞めた会社の上司や社長に会った時、目線を避け、そそくさと離れるのではなく正面から「その節はお世話になりました」と挨拶出来る様な辞め方をしたい。それが出来ない辞め方はその人の生涯プランにとって貴重な人脈形成が出来ないことで、真にもったいない。

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「SIDNEY SHELDON、ありがとう」

2007年02月05日 | 「Weekly 読書感想」
 シドニー・シェルダンが先月末亡くなったという。89歳の長寿だった。その作品、ほとんど読んだか。何よりその小学生レベルの口語体・平易な英語に助けられた。お陰で英語読解に多少の自信を得て、他の英語原書小説に挑む勇気を与えてくれた。元来映画のシナリオライターだったが50歳から精力的にミステリー冒険エンターテーメントnobelを書き始めたという。その原作は多く映画化された。
 反面、日本語翻訳の彼の小説は電車で週間漫画を読んでいるような羞恥心があり、半冊?しか読んでいない。英語学習という側面があるからこそ読めたといえる。
 一部紀行文を除いてそのほとんどの作品を読んだ司馬遼太郎の逝去時、かってもう著者の新作に会えないと思い、“この世からモツアルト曲が亡くなるような喪失感”と書いたが、作品ジャンルは相当に違うとは言え、同じような感慨に襲われた。それほどに書く作品、書く作品全て面白く、期待外れが無かった。
 
 侵略の贖罪と自虐感に被うわれた私の日本近代史観が「坂の上の雲」を読んで霧のように晴れた。その司馬を“万人が褒めるなら俺がケチ付ける“とばかりに佐竹信が“支配者と勝者サイドばかり書く“という趣旨の批判を読んで長くショックを受けたものだ。
 (改めて、私蔵のSIDNYものを並べ懐かしみ、私なりの哀悼を捧げた)
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朝吼夕嘆

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