今から35年ほど前IT業界に入って間もないある夜、3人のシステムエンジニアと新宿南口の居酒屋で飲む機会があった。酒がほどよく廻ったところで3人が何か議論し始めた。ところが3人が発する書名も著者もその内容もそれまでに私は聞いた事がなく全くチンプンカンプンでほとんど理解できない。まるで自分が異界に来たような気分だった。じっと議論を聞いている振りをして始終黙っていたが、帰り道呆然としたのを忘れられない。あれは何だったのか。後から思うと彼らが議論していたのはチョムスキの『言語論』だったのではないか。「言語生成論」等は私にとって今でもまるで“知のラビリンス”だ。
因みにその時の3人とは東大数学科卒で当時一流といわれたOSエンジニア、他の一人は東大機械工学のオーバー・ドクターでソフト会社の社長、残りの一人も東大工学卒の原子力エンジニアだった。文学部の私がこの3人と酒席を同じくした行きがかりが思い出せない。
最近そうした“衝撃の経験”が少なくなったのは私が賢くなったのではなく世界が狭くなったのではないかと多少寂しい気もする。
言語学に革命をもたらし、ベトナム、アフガン、イラクと胸のすくような米国批判を展開しているチョムスキを取上げるなら、今もっともカレントな著書「9・11アメリカに報復する資格はない」を取上げるべきかもしれない。
因みにその時の3人とは東大数学科卒で当時一流といわれたOSエンジニア、他の一人は東大機械工学のオーバー・ドクターでソフト会社の社長、残りの一人も東大工学卒の原子力エンジニアだった。文学部の私がこの3人と酒席を同じくした行きがかりが思い出せない。
最近そうした“衝撃の経験”が少なくなったのは私が賢くなったのではなく世界が狭くなったのではないかと多少寂しい気もする。
言語学に革命をもたらし、ベトナム、アフガン、イラクと胸のすくような米国批判を展開しているチョムスキを取上げるなら、今もっともカレントな著書「9・11アメリカに報復する資格はない」を取上げるべきかもしれない。