”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

会社合併のお知らせ

2011年03月31日 | 「美ら島沖縄大使」便り

 私が会長を務める㈱CIJネクストは来る71日をもって㈱金沢ソフトウェアと合併することになりました。

石川県に本社を置く㈱金沢ソフトウェアは資本金6千万、今年で創業29年目を迎えるCIJグループの一社です。存続会社は㈱CIJネクストとなります。

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「ヤッター!e-Tax !」

2011年03月28日 | 「美ら島沖縄大使」便り

                          

 今年も苦心惨憺!東北大地震余波に翻弄、計画停電に脅えつつ、締め切りギリギリまでパソコンに向かい苦闘。15日締め切り午前中に作成完了、電子申告書を国税庁に送信すべく、識別番号、パスワード入力を何度か試みている内に

“所定の入力回数を越えましたので、本パスワードは無効となりました”のメッセージ呆然!

 慌てて自転車に乗り、最寄の市役所に飛び込み「健康保険証」を提示しつつパスワードの再発行申請したところ、パスポートか免許所等本人写真表示の身分証明書がないと、申請受理出来ないとの係員応答。15日締め切り当日、時間無いのでと、粘り強く食い下がりましたが、窓口担当者、丁寧慇懃ながら、頑としてこちらの哀願を受け付けない。

 泣く泣く自転車に飛ぶ乗り、自宅に引き返し運転免許書を持ち帰り、再申請、ようやく新パスワード取得。

 そのまま浦和税務署へ駆けつけ、持参のパソコン提示しつつ、入力送信したところ“15日当日は申請書受付多忙で、内容相談は受け付けられない」とのこと。止む無く、署内のデスク拝借、持参のMopera端末パソコンで、送信奮闘,1時間の末、やっと“送信受理しました”のスクリーン表示メッセージに、昨年に続き“ヤッフォー!”

 投資効率、手間隙よりもこの達成瞬間の充実感は何にも替え難い。後は昨年に続き、税務署からの召喚有りや無しや!

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「時代は貴方達のもの!」

2011年03月25日 | 「美ら島沖縄大使」便り

         

 この日呼ばれたのは“若者会”。メンバーは建築、工事、飲食業を既に起業している30代、40代前半の頼もしい異業種交流の県出身若者達。時流をバックに関東沖縄IT協議会に見られるように県出身の首都圏IT企業経営者が顕著ですが、最近は関東、沖縄と本支店を展開、中にはすでに4店舗の沖縄飲食店を展開している20代の企業家もいます。

沖縄は“エイサー、サンシン、ゴルフ”と”癒しの島、歌と踊り、ゴルフの島“のイメージが強いですが、最近はこうしたエンタープライズ、即ちアントレプレナー、頼もしい創業、起業を目指す若者が出て来ました。

再三の懇請で参加した私に出来ることは、事業継続、継承経験の裏に累々と横たわる挫折、失敗、悔恨談、“失敗は不得意部門より、得てして得意分野で起こる”等々のメッセージ。とにもかくにも後の世代から声を掛けて貰うのは、光栄の至り。“老兵は去り行くもの!先達から学びつつも、乗り越えて行って欲しい!時代は貴方達のもの!チバレー!

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「旧知朋友、鼎談放歌、英気蓄積」

2011年03月22日 | 「美ら島沖縄大使」便り

         

 翌日の「三陸沖国内最大の津波」来襲など露とも予想しなかった沖縄出張到着日、たまたまホテル内の新聞で近藤琉球新報社役員室長就任を知り、お祝い、激励の電話をしたところ、3月は人事異動の季節、壮行会の最中でした。

恐縮なことに上間前東京支社長とお二人で来訪、落ち合い、久し振りの放歌、懇親となりました。近藤さんとは東京支社報道部長就任中、しばしばカラオケバーに行った仲。久々のハイトーン近藤奇妙節を堪能しました。

「体言止め、余韻伝達の独特文調、よくまあ継続していますね」と“重田BLOG”へのコメント。流石に論説部長歴任の上間さんならでは、私自身も気付か無い論評指摘。

 霞ヶ関キャリア官僚等錚々たるメンバーと顔合わす翌日の財団法人「沖縄協会」の理事・評議員定例会への英気を養いました。ご多忙なお二人、寸暇を惜しんでのお付合い、有り難う御座いました!

            

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 「余震と停電続く!」

2011年03月21日 | 「美ら島沖縄大使」便り

     

 東北・関東地震から10日経過。被災地元の手助け、非力で何も出来ませんが、些少ながら東北に住む知人や同期義捐を回りに呼び掛け、実施しています。自宅近い埼玉アリーナーにも多くの東北被災の人々が避難して来ています。

さいたま市自宅はほぼ毎日、大小の余震が続いています。水屋、箪笥等のドアを紐等でロック、屋内本棚上の置物は降ろしていますので、落下物等の被害はありませんが、収納品混乱、築30年の木造家屋の自宅、どこかひび割れ等の影響が出ているのではと懸念しています。

 一昨日の3時間越える“計画停電”。電車は運行しているものの自宅最寄の与野駅に降りた時点、市街は真っ暗。それでも通い慣れた通勤路、手探り・足探りつつの家路。時折通過する自動車のヘッドライトに照らされつつ、信号の消えた交差点、横断歩道を用心深く渡る。交差点要所にパトーkカーが駐車警戒。

 その時、背後から明々と光が注ぎました。振り返ると何と月光!故郷・奄美須子茂浜や沖縄・安謝の15夜で見た月明かりを10数年振りに味わい、暫し恍惚!

 自宅に着き、蝋燭と懐中電灯の中で3時間余、テレビ、新聞も見ず停電を予測し予め家人が沸かし、魔法瓶に詰めたお湯で珈琲を飲み、ラジオ聞きつつ久々に二人きりで談話。

 今回の“計画停電は”不自由と共に“月光と連れ合いとのピュア団欒”という有難い体験を頂きましたが、首都圏の子供達にも“人工文明”の自由と不自由を認識させる貴重な体験だったのでは!

     

    (自宅から避難さいたま新都心高層ビルを望む)

 

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「お疲れ様!照喜名さん!」

2011年03月18日 | 「美ら島沖縄大使」便り

        

 人事異動内示で慌しい3月の某夜。国際会議誘致担当の照喜名沖縄県東京事務所担当官の送別慰労会。

 呼び掛けは今井恒子関東沖縄IT協議会副会長。照喜名さんには数年前の世界ウチナワンチュ大会やWUB沖縄大会等で県庁担当官として公的に大変お世話になりましたが、それとは別に深い因縁(^_^)

 それと言うもの東京在住の義妹さんとは氏と知り合う10年以上前からの仲間の上、同じ県庁職員の奥様とは照喜名担当官と会う数年前に東京で会食した知り合い。その上、氏の東京事務所配下で勤務する上原さんのお母さんが私の高校同期という二重三重偶然の縁。

 今年10月、五年に一度沖縄で開催される世界ウチナワンチュ大会やWUB大会でもお世話になりそう!2年とは言え、東京勤務の照喜名さん、お疲れ様!

 この日の新富町の会場「仲宮里」は知る人ぞ知る沖縄居酒屋、経営ご夫妻の人柄、料理、頃合の値段もあり、いつも満席。横綱白鳳はじめ著名人フアンも多い。また、OBであるオーナー主人の縁もあり、首都圏で活躍目覚しい沖縄商業高校同窓生の集う隠れ居酒屋!

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「山田ちづ子さん企画の市民講座に感謝!」

2011年03月17日 | 「美ら島沖縄大使」便り

             (音頭取る山田ちづ子さん)  

      

 先月27日、私の住んでいる与野本町コミュニケーションセンターで開催された「さいたま市民のための健康講座」に出席しました。200人を超す高齢者の参加は予想外、ビックリ!改めて高齢日本を実感すると共に前期高齢?の自分自身を自覚しました。

講師は石橋伊奈病院整形外科部長。石橋医師は東大医学院生、ワシントン大学ドクターコース留学後、東大病院、三井記念病院、都老人医療センター、東芝中央病院、東京都健康長寿医療センター整形外科医長等錚々の歴任後、どういう経緯か、さいたま県伊奈病院に着任。
180センチ優に超す偉丈夫、好男子!ご自身もスポーツ選手歴もあり、ドクターに有り勝ちな偉振り、いささかも感じさせない気さくな人柄。実は先般、山田ちづ子さんの激励懇親会で隣り合わせまさかこんな錚々たるキャリアとは露知らず歓談の栄に浴しました。

最近は“ロコモティブシンドローム”(運動器症候群)普及活動。この日も高利化日本社会の先行きに対処、処方の豊富な統計、図表資料入りの詳細なパワーポイント資料配布の上に、自らリズム歌いつつの運動パフォーマンス。講演後の20通近い質問にもいちいち丁寧に答える律儀さ!

実はこの日の企画主催は今度さいたま市議に出る山田さんながら、選挙の話は一切しない文字通りの市民活動!同時のマラソン後遺症の膝痛に悩む私のとっても緊急、取って置き、恰好のテーマーでした。

石橋先生、 感謝!こんな企画・活動の山田さんを皆で応援しましょう!

        

     (石橋先生の音頭に体操する高齢出席の皆さんの元気さ!)

 

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「(財)沖縄協会理事・評議員会に出席しました。

2011年03月16日 | 「美ら島沖縄大使」便り

          

 東北・関東大地震前日の10日、那覇市ロアージール・ホテルで開催された㈶沖縄協会の定例理事・評議員会招聘を受け、出席しました。以前にも書きましたが当協会は沖縄・日本復帰前の南方同胞援護会(南援)を源流に持つ財団法人で初代会長は故茅東大総長に2代目は大浜早大総長、現会長は清成前法大総長。

 因みに復帰前、那覇市上ノ山にあったこの「南援事務所」は私達在琉奄美人にとって、言わば”奄美大使館”のようなもので、奄美復帰時にはここに出頭、在琉パスポートや本土渡航許可申請に通ったものです。その後継組織である「協会」の評議員拝命にはある種の感慨があります。

 

 最近、この「協会」を官僚・天下り“仕分け対象”法人ではと見る向きもありますが、その運営資金は国からの公的補助金を一切受けず、20億を越える固有資産に祈念堂運営収入と多くの寄付金等で支えられており、“仕分け対象外”という。とは言え、昨今の厳しい金融景気の影響を受け、資産運用益が厳しさを増し、オフイス縮小移転、スッタフ給与削減策等民間企業に劣らぬコスト抑制を実施しつつ、その活動継続に奮闘しています。今年度からは公益財団への法人格変更も承認されました。

その主たる事業は沖縄関係の①研究支援、②団体助成、③平和祈念活動。近年は摩文仁・平和祈念堂を中心とする各種の平和活動が著名で、世界に発信する平和祈念の中核・メッカの様相を呈しつつあります。

この日、清成会長以下、中央官庁OB、元琉大副学長、福祉法人等高齢、錚々たるメンバー20名からなる理事、評議員間で協会の存在、活動、存続意義について例に無い活発なデスカッション。印象に残ったのはその存在意義を広くアッピールするために“沖縄平和祈念協会”と称号改変したらどうかという提案発言でした。畏れ多くも前回に引続き今回も評議員会議事録代表署名役を拝命しました。

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「地震影響、さいたま自宅は無事です」

2011年03月14日 | 「美ら島沖縄大使」便り

 今回の東日本大地震に影響についてのお問い合わせやお見舞い有り難う御座います。

さいたま市の我が自宅、花瓶や置物の滑落等がありましたが、家屋ひび割れや家人の怪我等は無く無事でした。だた、その後今も続いている余震や停電の影響を心配しています。

 実は地震発生した先週11日、私は㈶沖縄協会の評議員会で沖縄滞在中でした。

地震発生の報を聞き、予定していた沖縄事業所社員との懇談会を急遽中止、携帯で10数回に亘り埼玉の自宅と連絡を試みたのですが不通。夕刻ホテルに戻り部屋の固定電話でやっと連絡取れた結果、冒頭の内容が確認出来ホッとしました。

 宿泊のホテルも折から滞沖中の早大野球部メンバーや高校生で満室、那覇空港も羽田の一時閉鎖と便欠航、本土帰り客で混雑でしたが、13日・日曜午前中、3時間以上の空席待ち便で無事帰宅しました。

 帰宅はしたものの、その後も余震に家がぐらぐら揺れ、都心行きの京浜東北線や埼京線も運行中止、欠便、駅込混雑で出勤を中止し、自宅待機の月曜日です。

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「合併新会社初の中堅研修会」に参加。

2011年03月09日 | 「美ら島沖縄大使」便り

      

3社合併直後の昨年暮、新会社幹部の顔合、合同研修を実施しましたが、三ヶ月を経過した先週末一日、中堅幹部58名を集めた初の合同研修会を実施、参加しました。出席者のおよそ半分を占める沖縄、大阪、東海各事業所所属の旧NASメンバーの殆どは神楽坂の新本社ビル訪問は初めての経験。

 社長挨拶の後、情報処理推進機構・SEセンターの松田所長による「ソフトウェア開発の現状」講演に続き、グループに別れセッション、発表。グループ発表後は飯田橋駅前のレストランでの懇親会。今回の研修主要目的はメンバー相互のこうした交流コミュニケーションでした。

 懇親会では〆の挨拶をしましたが、久し振りに出会った旧NASの面々からの合併新会社への率直な不安、不満、印象、感想を聞くべく二次会への強い誘惑にかられましたが、非取締役とはいえ、かりそめにも会長職、こうした主観的動機は得てして、派閥形成の動きと誤解を受けかねません。

 役職ポジション退任、スムースな権限委譲、合併推進とい局面ではこれまで経験することの無かった“自己抑制力”という資質必要を改めて噛締めました。

 

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「不如帰」(岩波文庫);徳冨 蘆花

2011年03月05日 | 「Weekly 読書感想」
不如帰―小説 (岩波文庫 緑 15-1)
徳冨 蘆花
岩波書店

  ビジネス・ハウツー、カレント、故郷回帰読書の合間に自ら叱咤激励、英語学習を兼ねた原書や古典を読む。それも通勤電車で読める文庫本持参!

 明治31年「国民新聞」に連載され、一世を風靡した著名な作品名と著者は昔から知っているものの、正直ストーリ内容には不案内、暮の12月に読了。

 読み始め“これは日本語か”と擬古文に抵抗を覚えたものの、数ページ読むうちに抵抗感は薄れ、むしろその流暢な記述に魅せられました。

内容は読書人には今更書くまでも無いでしょうが、日清戦争の時代背景とは言え、今に通用する角逐ならぬ姑の嫁いびりという普遍のテーマー。肺結核を患った軍将校夫人の主人公・浪子が姑にいびられ、離縁され夫を慕いつつ死去する悲劇物語。

いびられる嫁も堪ったものではないが、ワイフと母親に挟まれる夫の懊悩も並大抵ではない。3者かくも悩みつつ古来、多くの悲劇が茶飯事に起きながら、何故長男夫婦に夫両親が扶養同居の制度は改まらないのか?私の経験から言っても両親は娘夫婦との同居がいい。そのためには長男相続制ではなく、扶養娘に両親の資産相続をさせればいいのに、一向に改まらない背景には男尊女卑価値観があるのか。

この著作が明治以来変わらず、読まれ続けているのは作家の高名と共に長男相続、嫁姑という不朽のテーマーが背景にあるのではと改めて思いました。明治初版以来70版を越える不朽の名著を前に、我ながら何と言う感想か!それにしても「不如帰」をなんでホトトギスと読むのか改めて考えました!

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朝吼夕嘆

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