”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

第82回奄美大島・東京瀬戸内会総会

2006年07月17日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 両親は奄美・瀬戸内町の加計呂麻島・須子茂出身だが、私は小学1年~6年一学期までの奄美居住。終戦直後のこととて写真は高価・贅沢で、小学時の写真一枚もなく、同期の大半を思い出せない。失われた6年だ。やはり中・高時代を過ごした沖縄が青春の地だ。とは言え奄美は間違うことない故郷。
7月16日(日)大井町の「きゅりあん」で開催された第82回総会に出席した。

 両方に出席している私は当然のことながら双方を比較する。まず、出席人数が500名強と沖縄県会の倍以上。沖縄120万と奄美7万という両故郷の母集団からして出席比率に大差がある。開始時間に半分しか参集していないのは双方似ている。
 大きな違いは開会冒頭に全員で故郷遥拝をすること。そう言えば奄美の同期会ではしばしば逝去者への黙祷を捧げる。

 この日、私の故郷・須子茂出身者は三人だったが、同じ加計呂麻から同じ時期に渡沖した那覇高校の同期・平君に会い、お互いホットし、二人だけで盛り上がった。


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中 勘助「銀の匙」:岩波文庫

2006年07月15日 | 「Weekly 読書感想」
 名作の評価高い本書、高校か大学の受験書でその断片を読んだ記憶があるが
去った連休に再度手にした。読了、改めて“こんな美しい日本語があるか”と思った。例えば

“その日美しく芽ぐんで今にも葉を刺すまでになりながら花もつけずに根を耐えかかった友情の若草がふたたび春の光にあって甘やかに蘇るであろうことを願って”(109p)とか“いま咲くばかりの薫りを含んでふくらんでる牡丹の蕾がこそぐるほどに蝶の羽風にさえほころびるように、二人の友情はやがてうちとけてむつびあうようになった”(111P)等々の文章が随所に出て来る。

 私が生まれる5年前の昭和10年、27歳の著者が書いた本書はいわば大人の書いた童話とも言うべきもので、修身の時間を嫌悪する著者の心情、当時勃興しつつあった日本ナショナリズムの中でよくも育まれたものだと思う。
 書中、頻繁に出てくる細々とした子供玩具や用具に過ぎ去った江戸の文化と情緒に懐かしさを思う。発表当時、漱石が絶賛したというが、恐れ多い事ながら末尾の和辻哲郎の解説文は硬質で本書の本質を伝えていないように感じた。


コメント (2)
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「ナツコの会」

2006年07月02日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 

講談社ノンフィクション、大宅壮一ノンフィクション賞と数々の受賞作品「ナツコ」、人口膾炙するに伴い、沖縄糸満や本部地域等で「ナツコを語る会」設立の動きが盛んだ。
 ここ東京でも先週土曜銀座の一角で遠路ロスから来京の斉藤陽子さんら有志が語り合い、長元沖縄タイムス支社長のご紹介で著者・奥野修司氏をお招き「ナツコの会」が産声を上げた。
 出席の女性は会社経営、飲食店オーナー、デザイナー、新聞記者、通訳と多士済々、皆さん元気印の県出身女性。自己紹介とそれぞれ「ナツコ」との出会いと感想を述べ合い、奥野氏との交歓を楽しんだ。
 奥野さんの本書に書けなかったエピソードが興味深かったが、一番びっくりしたのはナツコとあの照屋敏子さん・料亭「松の下」の上原栄子さん3人が同じ生年だったと言うこと。沖縄3女傑と言ってもいいが、英雄とはやはり時代の産物かと改めて思った。
 何で私が!まあ、受賞前の「ナツコ」読後感想を昨年秋に早くもアップしたことと当夜出席の女性の皆さんと知己だったことでしょうか。
(写真中央が著者奥野さんと有志代表斉藤陽子さん)


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朝吼夕嘆

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