両親は奄美・瀬戸内町の加計呂麻島・須子茂出身だが、私は小学1年~6年一学期までの奄美居住。終戦直後のこととて写真は高価・贅沢で、小学時の写真一枚もなく、同期の大半を思い出せない。失われた6年だ。やはり中・高時代を過ごした沖縄が青春の地だ。とは言え奄美は間違うことない故郷。
7月16日(日)大井町の「きゅりあん」で開催された第82回総会に出席した。
両方に出席している私は当然のことながら双方を比較する。まず、出席人数が500名強と沖縄県会の倍以上。沖縄120万と奄美7万という両故郷の母集団からして出席比率に大差がある。開始時間に半分しか参集していないのは双方似ている。
大きな違いは開会冒頭に全員で故郷遥拝をすること。そう言えば奄美の同期会ではしばしば逝去者への黙祷を捧げる。
この日、私の故郷・須子茂出身者は三人だったが、同じ加計呂麻から同じ時期に渡沖した那覇高校の同期・平君に会い、お互いホットし、二人だけで盛り上がった。
7月16日(日)大井町の「きゅりあん」で開催された第82回総会に出席した。
両方に出席している私は当然のことながら双方を比較する。まず、出席人数が500名強と沖縄県会の倍以上。沖縄120万と奄美7万という両故郷の母集団からして出席比率に大差がある。開始時間に半分しか参集していないのは双方似ている。
大きな違いは開会冒頭に全員で故郷遥拝をすること。そう言えば奄美の同期会ではしばしば逝去者への黙祷を捧げる。
この日、私の故郷・須子茂出身者は三人だったが、同じ加計呂麻から同じ時期に渡沖した那覇高校の同期・平君に会い、お互いホットし、二人だけで盛り上がった。