”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

「反復帰と反国家」(その1);社会評論社

2009年01月30日 | 「Weekly 読書感想」
反復帰と反国家―「お国は?」 (沖縄・問いを立てる)

社会評論社

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 前利潔(沖永良部職員)、藤澤健一(福岡県立大)、納富香織(沖国大)、我部聖(沖大)、徳田匡等若手沖縄研究者による全6巻シリーズの第5回本。執筆世代と言い、テーマと言い先の「早大琉球・沖縄研紀要2号」と好一対。
 執筆5人による全200Pの3分の1近くを占める前利の論考は私にとって繰り返し読んでも尽きぬ興趣を沸かす内容。「奄美は薩摩を父に、琉球を母に」というフレーズを聞いたことがあるが、前利は明治以前の“琉球と薩摩”、戦後の“沖縄と本土”の狭間で翻弄された奄美を“無国籍地帯”として論考している。
 戦後一足先に復帰した在沖奄美人の象徴として紹介されている元琉球政府副主席ポジションを追放された泉有平氏は加計呂麻・須子茂の私と同郷で遠縁、父は沖縄でこの人所有の鉄工所経営を委託された間柄。
 読む人によっては“又かよ、重田!うんざり”と言われるかも知れないが、日本復帰後の在沖奄美人として納税義務を負いながら参政権、就職、進学権を制約差別された私自身の境遇・経験を制度的に考究している部分はさながら自分史を読む如く、息弾まず無くしてはページを捲れなかった。
 

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「“創業ハッピーリタイヤ”絵空ストリー鼎談!」

2009年01月27日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 先週、公開IT創業オーナー社長を含む3人で、神楽坂の老舗・割烹店で会食、歓談。お互い独立前の40年前からの知己とは言え3人で会うのはかれこれ数十年振り。
 方や前期東大紛争の旗振りに慶応経済卒のエリート、話題は勢いお互いの学園紛争から独立以前の共通の友人、知人の思い出とその後の消息交換談に花が咲き、勢い、創業以来のこの不況・逆風、これをどう乗り切るかの方向に!
 借入金個人補償、自宅を抵当に入れ、討ち取られるリスクを背負いつつ、共に創業30年以上、90年代当初の”バブル崩壊期”の危機を潜って来た同士とは言え、この不況を世の有識者?や経営評論家の言う如く“企業の社会的責任、社員の雇用維持”等の綺麗事だけでは乗り切れない等々。
 "往時茫々春の世の夢の如し””兵共が夢の跡”等とは粋がりませんが、神は“創業ハッピーリタイヤメント”等の絵空ストリーなどそうそう摂理はしてくれないことを改めて噛締めた鼎談に時を忘れた一夕でした。
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「ITA新年総会へ出席しました」

2009年01月25日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 先週1月20日ITA(Information Technology Alliance)の新年総会に出席しました。
ITAとはこれまでも度々紹介しましたが、JISA(日本情報サービス産業協会)所属の独立系ソフトハウス16社からなる交流・勉強会。
 16社中5社が東証、ジャスダック等の上場公開会社で、グループ合計従業員8千人強。売上は1100億を超えます。200名、18億の当社は会員内シェヤー、わずかに2%ですが、実は16社中の中位です。とは言うものの発足15年目を迎え、会員メンバーの出入りもあり、発足以来のメンバーは当社を含め4社です。この4社創業30年を超え、私を含め創業者は揃って会長に退いています。
 社長・会長からなる代表者会議以外に月一度の割合で営業、管理、技術、SE、人材、ETロボコン等担当者以外に関西、中部部会活動を実施しています。この日は池田アイネット社長による第4代会長就任と部会、事務局担当の交代。
 来賓として近藤経済産業省商務情報振興局長をお迎えし、不況生き残りに向け情報交換をしました。
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早大沖縄学:クラーク教授「琉球語の魅力」聴講しました。

2009年01月25日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 1月23日夜、年度最後の表題「沖縄学講座」出席しました。
早大客員クラーク教授はシドニー大・日本学科研究室出身で、日本語研究に魅せられ、八重山諸島の小浜島に1年近く滞在、琉球方言の実地研究をされたという。勿論日本語は通達。北は津軽から薩摩、北・南奄美、沖縄、宮古、八重山、与那国と日本列島に渡る方言の特徴を母音分析から口蓋音、前鼻音、無声、長母音と具体的事例を挙げつつ解析、説明された。
 言語研究家の中には郷土の語源と古語の類似共通性を列挙し「我が故郷こそその源!」とツール論を主張する向きもあるが、オーストラリア出身のクラーク教授には当然のことながらそうしたイデオロギーテックな所論はない。
 ルーツ論への疑念、無意味は聞きますが、源日本民族や北・南民族説の究明方途としての言語学、考古学、文献学、果ては血液DNA・体型論等それぞれの有効・限界性を知りたいものです。かつて昭和30年、九学会連合の奄美大島実地調査・研究が行われましたが、上記諸学会研究の進展、深化した昨今、その合同交流、研究会は実現しないものか。                 
            
       (今年度最終講座後、勝方所長はじめ研究所員、支援メンバーと慰労会!)
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「沖縄ソフトパワーの威力」

2009年01月25日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 旧正月を二日後に控えた24日、池袋「みやらび」で開催された新春「葉月の会」の招待を受け出席しました。
 これは、川田功子師匠が率いる琉球舞踊・冠船流「功子の会」門下生の新年会を兼ねた激励会。基本はお弟子さん身内同士の初踊り会で、当日の皆さんの踊りも舞台化粧・衣装ではなく普段の着物衣装。出席者はお弟子さん以外に「功子の会」応援者と「みやらび」常連「葉月の会」メンバー。
 私は数年年ぶりの参加となりましたが、当時に比べお弟子さん・踊り子さん達の年齢が高齢化したことと沖縄出身外の本土出身者が大半を占めるようになったこと。これは少子・長寿社会の反映と沖縄文化の浸透度の反映か。琉舞に限らず、サンシン、エイサー等の沖縄芸能文化・ソフトパワーの威力、制圧は目を見張るものがあります。 
             
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「膝関節義肢、注文しました」~第24回那覇マラソン後話

2009年01月24日 | 「マラソン挑戦」
 昨年暮、掛かり付けドクターストップや多くの友人達の中止忠告を振り切って、ナハマラソンに出場、膝に疼痛を覚え17キロでリタイヤしましたが、その夜の慰労会で、高校同期の屋良沖縄職業訓練大学校長に義肢技術士の佐喜真を紹介されました。
 佐喜真さんは2007年には朝日テレビ「ムーブ」とNHK「プロフェッショナル・仕事の流儀」、昨年2月にはTBS「夢の扉」番組で取上げられる一方、文部科学大臣賞や「ものづくり日本大賞」経済産業大臣賞を受賞し、全国的に有名な方です。
 翌日、車を運転する友人と共に午後のフライトを控えお訪ねした宜野湾の「佐喜真義肢」は診療所ならぬまるで町工場。早速、石膏で膝の型を取り、後日これに合わせ装具を作り送付頂く。医療器具ではなく膝の上下をサポートすることによって、膝に負担を掛けずその運動を保証する装置。結果膝廻りの血行を促し、やがて疾患を完治させることもあるとか。
 私の義肢はすでに完成したとの連絡頂きましたが、年末年始休暇で未だ届いていない。医療行為ではありませんが、連携している整形医者を通すと7割が健保から還付されます。因みに私は両脚で14万円。佐喜真さん、技術屋らしい気難しさは微塵もなく「会長、今度ぜひ一杯やりましょう!」と極めて気さく。これを装着、いつか又10キロマラソンが走れるか。
             
            (義肢作成の前作業・佐喜真さんによる石膏による脚型取り)
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「JASPA」賀詞交換会に出席しました。

2009年01月22日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 中島洋理事長のご招待を受け、先週、高輪グランドプリンスで開催されたJASPA(全国ソフトウェア協同組合連合会)「賀詞交換会」に出席しました。沖縄からも旧知の小渡沖縄コンピューター販売㈱、与那覇㈱RCS、幸地㈱国建システム、福元㈱新世紀システムズ各社長も出席されていました。
 JASPAの名前は聞いて知っていましたが、当社が属するJISA(日本情報サービス産業協会)に比べ小規模ソフトハウスの団体だろうと思っていましたが、当日、北は北海道から南は沖縄まで全国16組合から参集した400名前後の出席者は先のJISAに比べ、勝るとも劣らない。何よりその元気と覇気!磊落さにびっくりしました。
 その原因はどうやら、この団体は今や冠会社、2代目、3代目社長企業が大半を占めるJISAメンバーと違い、ほとんどが創業、それも地方オーナー会社から構成されている所為ではないか。不況どこ吹く風!そのアットホームで茶目っ気に富む会場ムードは会員要職の下掲仮装扮装からも感じられると思います。
この人、何方か皆さん、御検索下さい(^_^;)
                     
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「花だより」;「ぶうげん友の会」最新号

2009年01月20日 | 「Weekly 読書感想」
(以下は「ぶうげん」開店40周年記念・最新誌「花だより」に寄稿拙文の一部です。)
 “築城三年、落城三日”“創業は易く、継続は難し”とはいずれも創業と事業継続の難易を比喩的に表現した言葉です。現実にベンチャビジネスの5割が10年前後に消滅するという統計もある。私の周りを見ても、同じ頃創業した会社の半分以上が今存在しない。かって、県内紙のトップを麗々しく飾り、立ち上がった話題の新興会社がいつの間にか消えている。沖縄県は創業率も全国トップにランキングされるほどに高いが、それ以上に倒産率も高いと言う統計がある。これをどう評すべきだろうか。
 ベンチャースピリットが高いのか、反面、粘り強さが無いのか、はたまたテーゲー・スピリットの表象というべきか。
沖縄では“倒産”などと言う“立派な形ではなく、”ごめん!やめたー!“という言わば”模合崩れ“のような事業放棄や廃業があり、したがって統計にも登場しない形の事業収束が結構あると聞いたことがあります。
 この背景にはいろんなことが考えられますが、沖縄には苛烈な競争原理である近代資本主義原理と同時に “何で、イイサー”“イチャリバチョウディー”“チムグクル”に象徴されるような農村郷土体を背景に持つ相互扶助、中世社会の原理が色濃く残っているせいではないか。

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「新年会!奄美と沖縄の違い」

2009年01月20日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 昨年に続き、上野精養軒で開催された「東京奄美会新年賀詞交歓会」に出席しました。どうしても、沖縄県人会と比較、その違を改めて感じました。
一口に言って、奄美は格式、規律主義に対し、沖縄はザックバラン、開放的。
まず、際立った違いはプログラム。奄美はいつもカラーの10Pを超える次第、地域別出席者記載等の内容ながら広告の類は一切無い。
 奄美は開始定刻前に参加予定者のほとんどが着席、待機しているのに対し、沖縄は概ね開始は予定時刻を過ぎる。奄美会は開始冒頭必ず起立“郷土遥拝”と奄美会歌を斉唱するが、沖縄はこうした行事は一切行わない。奄美は乾杯、余興演舞の前に主催者挨拶・来賓紹介・挨拶が延々2時間近く続き、その間、私語は少なく、会場の静粛は比較的保たれている。
 何より出席者数が違う。奄美は毎年400人超えるのに対し、沖縄はおよそその半分か。これは在郷沖縄130万の人口に対し奄美はその1割以下の12万を考えるとその出席率の差異は大きい。
 しかし、この比較は必ずしも妥当ではないかもしれない。沖縄全県なら鹿児島県を、奄美だけなら宮古島、八重山と比較すべきかも知れない。沖縄でも一般に県人会より宮古、八重山郷友会の方が出席者は多い傾向がある。
 私はここに沖縄の“テーゲー文化”と薩摩の影響を受けた奄美の形式文化の違いを感ずるというのはうがち過ぎか?
 だだ、双方の共通点は歌舞・余興。奄美会でも開会演は何とお馴染の琉舞“かぎやで風”芸能では完全に沖縄文化の影響下にあると言えるか!        
               

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「09年JISA賀詞交換会」

2009年01月18日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 先々週、恒例のJISA(情報産業サービス協会=会長・浜口NTTデータ会長)の賀詞交換会に社長と共に出席してきました。
JISAとは全国の情報サービス企業620社からなるわが国最大の業界団体。
 これまでの例で不況の年は参加者の数が減る傾向がありますが、今年は逆に優に500名を超す参加者。会場では自社売込み名刺交換とそれぞれの不況対策情報交換。
国会議員も細田官房長、額賀自民党情報産業連盟長、高市早苗経済産業副大臣他例年の倍近い10人以上。消息通に言わすとこれは会場が例年の芝プリンスからオークラに変わったからではとのこと。場所か西部忌避か?
 浜口会長の挨拶「今年の新年、天気は良かった!」「昨年は人が足りず、今年は仕事が足りない!」と云い得て妙!
 参加者もかつてのように創業オーナー社長が減り、系列大企業からの天下りが増えたのか、年々顔見知りが減って来た。私の同期はほとんど会長に退いている。


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「高里元那覇市議、大田元県知事・参議!」

2009年01月18日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 元那覇市副議長にして「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」代表・高里鈴代さん。1996年には世界的に活躍する女性に贈られる「エイボン女性賞」を受賞する等全国的に高名な我等が誇る同期生。市長選は言うに及ばず国会にも度々推されたが、ご本人は地域活動に拘り、辞退され今日に至っている。首都圏で貿易商営む同窓・弟さんの縁でこの日の懇親。
 実はご主人も相撲部で鳴らした偉丈夫・同期ながら惜しむらく早世された。同期リタイヤの中で鈴代さん、最近も北米、EC、北朝鮮と世界を股に駆ける活躍。
 マスコミから受けるそのイメージは”糾弾、追求、抗議”と強面ですが、黒真珠こぼれるその笑顔は、一貫してぶれないその政治スタンス同様、ガールスカウト・ボランティア活動の高校時代と少しも変わらない。この日、私のBlog「WeeklyBook」欄出版を盛んに勧められました。

 同夜、岡留・元「噂の真相」編集長と異色の偶然逢合は先に紹介しましたが、さらに隣室で大田元県知事・参議と鉢合わせ、旧知の仲とて”やぁやぁ!”と合流、気炎。大田知事時代、インターネット・リトリーバー女性秘書派遣以来、早大琉球・沖縄研でもご一緒しましたが、それより銀座のお店でちょくちょくお会いしたご縁。議員リタイヤと言えど、その博覧口舌益々盛ん!叱咤激励の洗礼受けました。
           



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「The Best Laid Plans」;SIDNEY SHELDON

2009年01月13日 | 「Weekly 読書感想」
The Best Laid Plans

Warner Books

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 スミマセン!またSIDNEY、これで17冊目か!
でも本書、1Pに無数の未知の英単熟語あるにも関らず、それをほとんど意識せずホーム上、車中、信号待ち、ベッド、トイレ中と年末・年始休暇中グイグイ読まされた。
 内容はケネディ、モンロー・スキャンダルを連想させる大統領を巡る6人の美女の連続媚薬中毒死事件。物語はあたかも、最初から最後まで上院議員から大統領候補、選挙戦、ホワイトハウス入りする主人公の所業とドキドキさせる記述。最後は側近の仕業と急展開と相変わらずの読者を騙し続けるお馴染の展開。読了“又かよ!もぅ!いい加減に”と思わず言いたくなる読者を騙し、巧みに惹きつける。
 SIDNEY愛読者なら皆さんお馴染みのストリー展開。しかし、まあ「英語の学習だからと!」自ら慰め、納得。そうは言いながら、大統領選の内幕やこれを報道する新聞、テレビキャスターとこれを支配するマスコミのTOPとの確執ストリーは同時進行、リアリティー・ドキュメンタリタッチ、やっぱりSIDNEYは面白い!
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「故玉城先生安らかに!」~1年9組クラス追悼会

2009年01月13日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 昨年暮れに急逝された私達那覇高・昭和31年入学時の恩師・玉城政光先生の那覇市で行われたクラス有志による「追悼会」に出席しました。
 毎年1年9組に因んで1月9日、先生をお招きしてクラス会を開催、今年は先生の瑞宝中賞受賞のお祝いの筈が今回は図らずも「追悼会」になりました。幹事・上原さんの案内状に対する暮・御健壮の故玉城先生自筆の返事・葉書「ご苦労様、出席します」という恐らくは先生の絶筆を全員で回覧しつつ生前の先生を偲びました。
 出席者全員がそれぞれ先生の思い出を語りましたが、20名近い出席者4分の3を占める教師・公務員OBの女性が交々今にして語るエピソード、若き好男子・故玉城先生は如何に女生徒の胸を焦がしたか改めて思い知りました。
 2次会、出席の女性達、絶叫とまでは言いませんが、悲しみを振り払う如く手振り、声を振り絞り、往時の艶歌を果てる間も無く唄い続けていました。
            
      (S31年那覇高校1年9組。この半数が上の追悼会に出席しています)
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岡留「噂の真相」編集長、お久し振り!

2009年01月11日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 嘗て、出版界でいろいろ物議を醸し、一部著名人に畏怖された岡留「噂の真相」元編集長が沖縄に隠棲?されているのを知っている人は多いと思う。
 岡留編集長とは今から4年前、新宿「ぶうげん」の会報「花たより」誌上・座談会でエッセイストの朴慶南さんとご一緒に沖縄問題を語り合ったことがあります。いつか、沖縄の松山辺りで出逢うことがあるかと思っていたら、先般の沖縄出張折、偶然久茂地の居酒屋でお会いした。当方は同期の高里鈴代さんと一緒。先方は緒方沖縄大学教授。緒方さんとはディレクターとして文化放送・在京現役勤務時代、「三月会」で何度かお会いした仲。岡留さんとは“旧交を温める”と言う程のお付合いではありませんが、「重田さんの著書・出版は知っていましたよ」と言われ、恐縮。
 実はこの日、同じ店の別席に太田元県知事・参議員も居られ、双方意外な顔合わせに湧きました。まさに、沖縄ならではの出会いでした。
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 「琉球・沖縄研究員と渡久山・元日教組書記長」

2009年01月06日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 昨年暮、高橋早大琉球・沖縄研究所員の渡久山・中教審議員・元日教組書記長へのインタビューを仲介セッテングしました。
 ことの切っ掛けは高橋さんが早大研発行の紀要2号に歴年の沖縄教組・研修テーマの変容から「日本復帰の構造」過程を発表した論文へ私が感想コメントしたこと。
 人も知る渡久山さんは沖縄は石垣出身にして琉大物理学科卒ながら神奈川教組から書記局入りした人。実は沖教組とは縁が無いとは言え、それ故に沖教祖の活動閲歴を客観的に見えるのではないか。又過日はあの中山元文部大臣の舌禍問題を取上げたで日教組中傷問題を取上げた、ビートたけしのテレビ朝日「TVタックル」に日教組代表として出演した番組を見た高橋さんはぜひ直接インタビューしたいので紹介して欲しいと言う要請を受けていました。
 渡久山さんは琉球大同窓会関東支部長、私は中退ながら毎年卒業生を採用していることからその顧問という間柄。というよりは時折新宿で落ち合う飲み仲間と言うのが正確か(^-^*) 過日の私の「おきなわ就活塾」の出版パーティでもご挨拶頂いた。
 流石と言うべきか、お二人とも事前にお互いの著述論文を読み合っての逢瀬。
およそ3時間、高橋さんは絶えずメモ取りながら、時に鋭く突っ込んだインタビューやり取り。結果、文科省と厚労省の教職関連統の相違や中教審の裏面等文献や公式発表では得られない貴重な証言データが得られたようです。
 それにしても首都圏育ち・日本女子大院卒、お医者さんのお嬢さんが何でまたよりによって沖教組と復帰運動に学位取得するまで興味を抱いたのか?私の関心は専らそっちの方でした。最近の沖縄研究はこうした本土出身の若手に広がっているようです。沖縄問題は実は本土・日本問題であることの一つの証か!
           
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朝吼夕嘆

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