”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

「昔、貢献した!」

2005年01月31日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 これまで何回かお伝えしましたように当社は独立系ソフト企業14社でITA (Information Technology Alliance)を形成、社長会はじめ経営管理、営業、技術、プロジェクトマネジメント各部会担当者で月一度の交流・勉強会をもっています。

先週、経済産業省・商務情報政策局・小林情報処理振興課長等をゲストに迎え約100人の出席の下、その創立10周年記念総会を開催、当社からも部課長7人が参加しました。

10年経って改めて振り返って驚くことは、所属メンバー会社が発足からおよそ半分入れ替わっていること、20年前のITA前身組織である同じ独立系ソフトハウスの交流組織「センチュリー21」の会員18社中現存する会社も半分以下であることを知り、変化の激しい私共IT業界とは言え、会社を継続させることがいかに大変か思い知らされました。

 こうした先例からも会社存続には外部環境に適応する絶え間ない技術向上と内部変革を実施すること、市場の変化に対応するビジネスモデルの変換と同時に絶え間ないコストダウン努力の両輪、内部に痛みを伴う改革の必要性を改めて痛感しました。

よく、組織の成員から「昔、貢献した」ということを聞きますが、これは言い直せば「今はそれほど貢献していない」ということになります。組織は昔の貢献に対してではなく、今の貢献に見合う処遇方式に切り替えねばなりません。昔の貢献者重視に傾斜していたのでは早晩競争力の低下を招き、市場からの退場を余儀なくされます。年功序列制の見直しの一つの根拠がここにもあるように思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「与那覇朝大展2」

2005年01月26日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 朝大画伯と吟呼さんの劇的な出会は今や伝説。

画伯が普天間神宮にその作品「百十踏揚(ももとふみあがり)」を展示奉納した際、偶然お参りに来た吟呼を見た画伯は驚いた。
 そこに自分が想像で描いた作品モデル生き写しを見たからだ。神の啓示を感じたという。もともと金城さん親子も霊感高い(サーダカイ)性質。

以後、吟呼さんは歌の道を止めて画伯のサポートに専念する。

 吟呼をモデルにした画伯の作品は多いが、この作品も画伯の思い入れ深く、例に漏れず非売品。

 吟呼さんをモデルにした作品の前で。(なに!左の男が邪魔?スミマセン!)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「与那覇朝大展」

2005年01月25日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 新年早々沖縄出張の際、「ジュネーブ国際平和遺産認定受賞」朝大画伯展に行った。

 年来、プラザハウスの平良専務以下スタッフが企画、画伯の承諾を得るため何度も足を運び、ようやく実現したという。画中人物が今にも歩き出して来そうな圧倒的なリアリズム!100号1,800万円の画3点を含め、総額2億を超える絵画群に圧倒された。

 先年の脳梗塞をリハビリ中のこの県文化資産とも言うべき画伯を、24時間介護しているのは金城吟呼さん。知る人ぞ知る安室奈美恵ら沖縄ブームの走りを演じたアクターズ・スクール一期生。

 実は40数年前、吟呼さんのお母さんが新卒就職のため上京した折、掛出し記者の私が取材、また20年前当社沖縄事業所開設をグラビアで伝える「沖縄グラフ」の表紙を東京で新進歌手として売出中の吟呼さんが飾るという機縁が重なった。

今、知友の平良さんと共にそうした縁の金城さん母娘が県文化の至宝とも言うべき朝大画伯をサポートする本ショットは至福の情景に見える。

 由乃さん、満都湖・吟呼さん!いい仕事しましたね。本当にご苦労様!

(写真:画伯と支える金城さん母子)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「オープン・ソフトウェアの問題」

2005年01月24日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 当社は独立系ソフト会社14社でコンソーアムITAを形成、月一「社長会」以外にも各部会活動で情報交換および勉強会を行っていますが、先週「ITA-OSSフォーラム」を開催、当社も中村経営管理部長が主に著作権等の法的問題を発表しました。他の発表者からは実際にOutlook機能等のPC上のクライアントサイドのソフトをすべてオープン・ソース・ソフトウェアで作成・稼動させる実例も紹介されました。

 0SSとはオープン・ソース・ソフトウェアの意で、その基には個人やその賛同者が協力して作成したLinuxやApache等のオープン・ソース・ソフトウェアがあり、法人が作成した商用ソフトの対極にあります。

 フリーとは無料の意味ですが著作権は厳然として存在すること。また、こうしたフリーソフトを組み込んだシステムは原則として著作権を主張出来ても対価は出来ないこと。個人製作が主という点では類似の「シェアウェア」もありますが、これは使って見て有用性を感じたら対価を払って下さいというもので無料ではないこと。

 今回のフォーラムに参加して知ったもう一つの点は、商用ソフトの対極にあるこうしたオープン・ソース・ソフトウェアを研究・推進している役所等の公的法人組織の担当者の多くが、実は大手コンピュータ企業からの出向者であること。つまり、意外にも商用ソフトの担い手であるメーカー等がオープン化を推進しているか、あるいはその潮流を深く注視している実態が理解出来ました。

 最近ユーザーからコストダウンの一環としてオープン・ソース・ソフトウェアを使用したシステム構築の要請があり、私共ソフト開発業者にはこうした潮流とその法的課題は無視できない問題です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小林秀雄「無常という事」(新潮文庫)

2005年01月24日 | 「Weekly 読書感想」
 近代評論の白眉とも言われる「無常という事」が文庫のわずか4ページなのには驚いた。
昭和17年、日本中が「八紘一字」とかで沸き返る寸前の世相にあって日本の一知性はこんなエッセイをものしていた。といって小林氏は丸山真男のように戦時中にあって、日本の敗戦を信じた平和主義者ではなった。

 本書冒頭の「一言談抄」の有名な一節「或云、比叡の御社にいつはりてかんなぎのまねしたるなま女房の、十禅士の御前にて、夜うち深け、人しづまりて後、ていとうといとうと、つづみうちて、心すましたる声にて、ともかくも候、なうなうとうたひける。其心を人に問われて云、生死無常の有様を思うに、此世のことはともかくもても候。なう後生をたすけ給へと申すなり」

 「生きている間の苦しみはともかく、せめて死後はこの苦しみからの解放を!」という、人が生きるにはあまりに過酷な中世の世界が伺え、妙に心に染み、何度も読んだ。
 こういう書に手を伸ばし、文章に見せられるということは老境に入ったかとわが身を振り返る昨日の休日でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「奄美関係蔵書」(その一)(論文・記録・随筆)

2005年01月21日 | 「Weekly 読書感想」
 どうも還暦過ぎると今まで気にもしなかった自身のルーツが気になりだしたか。午後回復に伴い、思い立って奄美関連蔵書を3分類し、年代順に棚卸して見た。埒もないメール済みません。

1  「南島雑話1・2」 (幕末奄美民俗誌)名越源太;東洋文庫(1984年)
2  「奄美の島々」 九学会連合奄美共同調査委編;毎日新聞社(1956年)
3  「名瀬市誌」(上・中・下) 原口虎雄編;図書刊行会(1963年)
4  「島にて」 島尾敏雄;冬樹社(1966年)
5  「島尾敏雄非小説集成Ⅰ・Ⅱ」 (南島編ⅠⅡ);冬樹社(1973年)
6  「名瀬だより」 (人間選書)島尾敏雄;(社)農山漁村文化協会(1977年)
7  「南西諸島の神観念」 クライナーヨーゼフ・住谷一彦;未来社(1977年)
8  「奄美の伝説(日本の伝説23)」 島尾敏雄・ミホ;角川書店(1977年)
9  「奄美の史の一断面・奄美笠利氏の系譜」 笠利水也;千秋社(1978年)
10 「奄美女性史」 (人間選書)長田須磨;(社)農山漁村文化協会(1978年)
11 「奄美社会運動史」 松田清;JAC出版(1979年)
12 「奄美独立革命論」 新元博文・山田塊也;三一書房(1981年)
13 「近世奄美の支配と社会」 (南島文化叢書⑤)松下志朗;第一書房(1983年)
14 「南島遡行」 (南島文化叢書⑩)中村喬次;海風社(1983年)
15 「沖縄・奄美と日本」 谷川健一編;同成社(1986年)
16 「嘉永六年の奄美」 (嶋中御取扱御一冊)山下文武解説;ひるぎ社(1988年)
17 「奄美伝統文化の変容過程(宇検村調査誌)」 ;高橋統一編;図書刊行会(1989年)
18 「ドイツ人の見た明治の奄美」;クライナー・ヨーゼフ;ひるぎ社(1992年)
19 「奄美郷土史選集」井友直編;図書刊行会(1992年)
20「奄美学の水脈」南海日日新聞社編;ロマン書房本店(1993年)
21 「島さばくり」;右田昭進;道の島通信社(1996年)
22 「奄美・沖縄 本の旅」神谷裕司;南方新社(2000年)

 この中で自慢は50年前に実施された九学会連合の白黒写真集の「奄美の島々」。古書店でも相当の値になるのでは。試みに我が読者の中で欲しい書籍に値を付けて見て下さい。
 以下フィクション等(その2)他は続報。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

司馬遼太郎「日本史探訪」(角川文庫)

2005年01月20日 | 「Weekly 読書感想」
 以前読んだのではないかと思いつつの久しぶりの司馬作品。司馬氏が物故したときはとモツアルトがこの世から消えるような喪失感に襲われたものだ。 最初に司馬作品に接した時の奇妙は感覚を忘れない。それは競技者が突然トラックを外し、演奏者が突然演奏を中止し解説を始めるような。独特の作品タイトル付けと云い、これはルール違反では無いかと感じつつ、やがて司馬文学に魅了され、その作品をほとんど読む事になった。ただ、初期の幻術記や忍者ものは未だに読む気にならない。

 司馬遷をなぞるなど「日本史」を大観するこの作家に対し、実証史学者はさぞかし忌々しい思いを抱いたのではないか。事あるごとに司馬言辞を揶揄したという梅棹忠夫はそれを代表していたのではないか。

 本書は昭和45~7年、NHKで放映された歴史談だが、「義経」「信長」「関が原」「新撰組」「竜馬」等は馴染みのカラオケを歌う気分だったが、伊達亘理藩家老を嚆矢とする蝦夷地開拓史は今回初めて知るもので新鮮だった。やっぱり、司馬作品は読書というより懐メロを聞くような気分。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「明けましておめでとう御座います。」

2005年01月17日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 明けましておめでとう御座います。昨年は内外共に多難な年でしたが、酉年の今年は文字通り明るい時の訪れを信じたいと思います。

 4日の仕事始めから先週にかけて東京、大阪、中京、沖縄地域の15社を超える主要顧客様へ新年のご挨拶に伺いましたところ、いくつかのお客様から数千万規模の新規・継続の引合案件を頂き、景況回復の確かな足音を聞きました。

 11日(火)は新年早々、㈱沖ソフトウエア様から「感謝状」を頂きました。
当社は一昨年来大阪事業所を中心に累積1億に迫る「旅行会社向け端末制御ソフト開発」を御発注頂き推進して参りましたが、前期に引き続きこの実績がご評価頂き、全国200余社の協力会社の中から選ばれた5社の1社として受賞しました。

 これを「日本製造業の伝統的な下請管理手法の一つ」等というひねた講壇解説主義に組せず、素直に喜びたいと思います。

 様々な課題を負ったスタートですが、この受賞を吉兆嚆矢とし、新年を邁進する所存です。どうぞ今年もよろしくお引き立ての程よろしくお願い致します。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝吼夕嘆

http://blog.goo.ne.jp/admin/showimagedetail/?iid=6d292ae01e91fce8c4f000e010f17835&type=1&return=%2Fadmin%2Fimgmanage%2F%3Flimit%3D12%26type%3D1%26order%3Ddesc%26did%3D%26window%3Doff%26img_year%3D0%26img_month%3D0%26offset%3D12